本日の報道によると,とうとう熊本県を除く全国46都道府県,495校に及んだとのことですね。
さらに,茨城県の某高校においては,この件がきっかけに校長が引責自殺するといった事態にまで発展してしまいました。
本日の文部科学省の会見によると,各学校長から各都道府県の教育委員会に,未履修科目も履修として虚偽の報告をされてしまったら,もはや文部科学省では一々把握できないといったようなコメントがなされていました。
確かにこれはもっともなことで,それらの報告の真偽を全て確認作業を行うことは,現実的に不可能であろうと思います。
虚偽の報告をした学校側にも当然責められるべきところがありますし,もしかしたら各都道府県の教育委員会も見て見ぬふりをしていた可能性は十分あり,それらの責任問題もあるかもしれません。
ただ最も問題なのは,なぜ全国的規模で必須科目の未履修が起こったのか?ということです。
マスコミ等では「大学受験偏重の指導方法」,「学校自体の成績,成果主義」といったものが主立った背景にあると連日のように報道されています。
なるほど,確かにより良い大学へ進学させるために,各高校は受験に必要な科目の履修を重視することは,ある意味生徒側のニーズにも応えている形でもあり,受験に向けたカリキュラムとしては最も理想的な形でありましょう。
理数系の受験をするのに,あえて世界史に時間を割くのは,これまでの受験主義の教育現場からすれば,ある意味非常識とも捕らえられかねません。
おそらくは保護者の側も,受験に有利になる教育方針を学校に求め,受験に必要ない科目までオールラウンドに学ばせるという見解には消極に傾いていたのではないかと思います。
そのようなお受験重視の社会背景があることを知りながら,国は各教育機関に対し,学習指導要領によって,受験に不要な科目まで履修させることとしてしまいました。
これは,現代社会,国際社会の一員たるに必要な知識を満遍なく学習させるといった,一見もっともな説明がなされています。
しかし,国のその方針が,一般の教育の場で受け入れることができるものであるのであれば,おそらくは今回のような大規模な問題にまで発展することはなかったのではないかと思いますが,実際は違いました。
要するに,国の作った新たな学習指導要領は,現実の社会背景を無視し,理想論のみ先行して作られた結果,現場では受け入れられず,特に進学校と称される高校においては独自のカリキュラムが組まれてしまったのだと思われます。
最近の報道では,特に必須科目となっている世界史の未履修が問題になっているようですが,国際社会の一役を担う人物を育成するために世界史を必須にするというのであれば,逆に世界に羽ばたいた日本人が,必須でなかった日本史を学ばず,自国の歴史すら語れなくて良いのか!?と,私は声を大にして言いたい。
結局のところ,国はポーズのみで現実に合わない教育方針を下々に課した結果が今回の事件の根本原因です。
今回,校長が自殺してしまった高校において,生徒,現場の教師,保護者…これらの当事者の行き場のない怒りはどこに向けられるでしょう…?
…おそらくその矛先は,現場から手の届かないところで教育を語る官僚センセイたちに向けられるのではないでしょうか?