先日,雪の殿ヶ谷戸庭園を訪れたとき,前と同じ場所に例のマンリョウはまだいました。
若かった実は赤くなり,雪にも負けず立っていました。
多少実が落ちたのか,実のなくなっている枝もみられました。
満身創痍のマンリョウ…
しかしマンリョウは必死に立っていました。
次に訪れるときには,実も落ち着くし,この木も休眠期に入っていることでしょう。
もうしばらくがんばりましょう,マンリョウも…私も…
<本日の一句>
雪になお立つ万両の赤きかな ぴえる
こんばんは~!
功名が辻も4回目になってくると,ちょっとずつ突っ込みどころが出てきますね♪
では,ちょっとずつコメントいきます
1・ラブラブお千代さん
まずは千代さん。
一豊さまに「大ウツケじゃ~!」と言われて別れて早3年。
あのときとはうってかわって,ものすごく自分に正直!!
一豊さまと再会したとたん,「いっしょに逃げて!」とか「百姓になって!」とか…
とても将来一豊さまを一国一城の主にするような才覚をもっている女性とは思えない振る舞い!
若さゆえの暴走でしょうか?
いや,実は不破さんにだまってムリヤリ千代を連れて行こうとした一豊を,千代が遠回しに「ダメよ」と説得するための千代の知略だったのかも…結果として一豊はまんまと丸め込まれたし…
2・軍師竹中半兵衛の存在意義?
次に稲葉山城攻め。
一日で落としてみせましょうと豪語した割には半年も落ちない稲葉山。
我慢の限界の信長さまは,とうとう竹中半兵衛を呼び出しました。
信長さまから策があるのかと聞かれて半兵衛は「亡き道三サマに聞いてみます」と回答!?
すいません,ワタシはこの辺りの話に疎いのですが,これって史実かなんかなのでしょうか?
これが通用するなら,ワタシも上司に怒られたときにでも「亡き前社長に聞いてみます」とか言って逃げます
ところでこの城攻め,半兵衛が裏通路を教えたらホントに一日で城が落ちました。
はっきりいって,半兵衛がこの秘策を半年も黙っておく必要性は,今回のドラマからはまったく見いだせませんでした…
ワタシは何か話の筋を見落としていたのでしょうか?
3・痛快!不破市之丞一家!!
燃えるお城で,不破さんご一家が自害せんとするところに現れた一豊と秀吉!!
美濃のお国にただならぬご恩を感じている不破さん。
タダでさえ敵に攻め込まれ「織田憎し!」と思っているところに,挙げ句の果てに敵の男から「千代殿をもらいたい」と言われる始末
たとえ千代も同意しているとはいえ,普通だったらあの場で「ワシがあの世に逝く前に,まずは貴様を八つ裂きにしてくれるわ~~っ!!」と言って,不破さんは一豊を八つ裂きにして自害して果てるのではないでしょうか?
あんなにあっさり大縁談になるなど考えられません
4・初夜のご講義
祖父江新右衛門は,一豊に無事初夜の作法をご教授できたのでしょうか?
ちなみにこの間まで放送されていたフジ系ドラマ「大奥~華の乱」では,正室信子サマの初夜のご作法のご講義につき,教材は春画みたいなものが用いられていました
一豊さまの教材は,絵もなさそうだったし…まさか…新右衛門さん本体…
し,失礼しました…今夜はこの辺で…
夜空が綺麗だったので,先ほど近所の公園まで星を見に行ってきました
空にはオリオン座の赤い星・ベテルギウスを中心に「冬の大六角形」がどどーんと広がっていました
この機会に,私の愛用しているコンパクトデジカメ「LUMIX DMC-LX1」でどの程度夜空を撮れるのか実験してみました。
はっきりいって,一眼のようなファインダーを持たないこのタイプのデジカメでは,星がどの位置にあるのか液晶画面を覗いてもよくわかりません…
(ファインダーがあってもわからないか…)
とりあえず,地平線に近づいてきたオリオン座方面にカメラを固定し,当てずっぽうでセルフタイマーをかけてみました。
星空モード,開放30秒で上のような写真が撮れました。
今回の写真は,多少コントラストを大きくして,青を強めに補正して載せてみましたが,元の写真と大差はありません。
ちなみに60秒開放してしまうと星が線になってしまったので,30秒でやめときました。
このカメラの売りは,手ブレ補正以上に,縦横比が16:9の縦長・横長の写真がCCD容量フルで撮れることのようなのですが,通常使うときは写真サイズの3:2の方が使いやすいので,16:9はほとんど使っていませんでした。
せっかくなので,今回16:9にして地上の樹木も一緒に入れてみようと試みましたが,ちょびっとしか入ってくれませんでした…残念
まあ,単体でもオリオン座くらいなら写せることが確認できただけでも今回の収穫とします
しかし,暗闇を求めてわざわざ広い公園まで歩いていったのですが,防犯のためかやたら街灯が眩しく,星を見るにはちょっとコンディションがいいとは言えませんでした。
東京都心といえども,夜空の状態が良ければ,双眼鏡で「すばる」や「プレセベ」も見ることができます。
でも,スモッグと光の少ない場所で見るのはまた格別なので,そのうち山奥の温泉にでも泊まりに行った機会に,じっくりと星をながめてみます。
<本日の一句>
冬夜空ベテルギウスの暖かき ぴえる
「功名が辻」第3回についてコメント
3年の月日の流れは幼い少女を仲間由紀恵に変貌させた!
それを目にした一豊サマは急に発情!
川の中で槍を振り回し「ちよ~~~~っ!!!」と叫ぶ始末。
お供の吉兵衛や新右衛門も,主がおかしくなったかと心配してましたね…
あれがもし,仲間由紀恵ではなく樹木希林に変わってたりしたら,吉兵衛じゃないですがホントに「チョ~~~~~っ!!!」っと叫んで逃げたくなるかもしれないですね
すいません,くだらない話をしてしまいました
気を取り直して,今回の疑問点を何点か…
疑問その1
秀吉や一豊は,堂々と敵国内を歩き回って,何度も竹中半兵衛さんのところに足を運んでいましたが,美濃とはそんな無防備な国だったのでしょうか?
それ以上に,当時美濃でも軍師として勇名を馳せ始めた半兵衛さんのお屋敷って,それに輪をかけて無防備でした。
六平太みたいななんちゃって忍者ではなく,本当の刺客が来訪したら,半兵衛さんの命はいくらあっても足りません
余談ですがオンラインゲームの「信長の野望online」では,うかうかと敵国を歩いていると警備のNPCに見つかり,見事にぶち殺されます
疑問その2
原作の六平太は最初から甲賀者だったはずですが,ドラマでは千代と別れてから甲賀に身を寄せ忍者の修行をしたように見えます。
が,忍者ってそんなに簡単になれるジョブなのでしょうか?
今回ははとりあえず,木の葉をばらまいてみたり,変装したり,千代を不破家から拉致してきたりと,なかなか仕事はこなしてましたね(木の葉をばらまくのは仕事じゃないか…)。
きっと,甲賀で地元の出身者以上の修行をしたんでしょうねえ…
少しずつ突っ込めそうなところが出てきた「功名が辻」。
なんとなく原作より面白い気がしてきました!
次回も期待しましょう
こんにちは~!
ぴえるさんちに生息しているシロクマですにゃ!
(ちなみにワタシの関連記事はこちら→「コリラックマ」「白くまレアチーズ」)
昨日はとうとう東京でも雪が積もったですよ~♪
ぴえるさんは「雪景色を撮りに行く」と言い残してどこかに行ってしまいました。
というわけで,勝手にブログに投稿にゃ
せっかくなのでワタシも家のベランダから雪景色と記念撮影なのですにゃ
あらあら,ワタシが目立って肝心の雪景色がボケちゃいました…
さて,この際ワタシも近所をお散歩してきます
うちの前の街路樹ですにゃ。
ちょうどいい感じに雪化粧してますね
最寄り駅ですにゃ。
なんだかいつもより人気が少ない気が…
なんだかどんどん雪がひどくなってきたにゃ…
というわけで,帰ってきました
ちなみにぴえるさんはいつ帰ってくるんだろ?
まさかどっかでのたれ死んでいるのでは…!?
ま,そのうちきっと帰ってきて,つまらない雪ネタのブログでも書くことでしょう
ワタシはさっさと寝ますにゃ。
ではみなさん,おやすみなさい~
鶴岡八幡宮から東へ15分ほど歩いていくと,そこには「鎌倉宮」があります。
この神社,もとは「東光寺」という寺の跡地であり,そこを明治2年に,明治天皇御自ら神社造営の勅を発し建てられたといいます。
そもそも明治天皇が自ら神社を建立を望まれたこの神社,祭られている祭神は誰かといえば,後醍醐天皇の皇子であり,鎌倉幕府倒幕の総司令的人物・大塔宮(おおとうのみや)護良(もりなが)親王です。
1331年(元弘元年)の鎌倉幕府倒幕のクーデター「元弘の変」において,事前に漏れた情報により後醍醐天皇は捕らえられ隠岐に配流,その他の親王たちも捕らえられ,それぞれの地に流されていきましたが,護良親王は逃げ延び,一度は幕府軍に破れたかに見えた楠木正成らとともにその後も抵抗。
自ら幕府倒幕の令示を発し,全国各地の武士たちを蜂起させ,見事鎌倉幕府滅亡に導いた立役者であります。
鎌倉幕府を倒した功により,護良親王は征夷大将軍となりましたが,父・後醍醐との反目,武家政権樹立を欲する足利高氏への警戒など不安材料が重なり,とうとう高氏を倒すべく兵を集めんとしたところを捕らえられ,東光寺の土牢に幽閉されることになってしまいます。
護良親王は,かれこれ9ヶ月の間,上の写真の土牢に幽閉され続けます。
そして運命の建武2年(1335年)7月23日。滅ぼされた鎌倉幕府の忘れ形見的存在であった北条時行(鎌倉幕府最後の執権・高時の次男)が挙兵し,当時鎌倉将軍府執権を任されていた高氏の弟・直義が武蔵国・井出沢(現・東京都町田市)で時行の軍に破れると,時行に護良親王を擁されることを恐れた直義は,混乱に乗じて護良親王暗殺を企て,家臣・淵辺(ふちのべ)義博に暗殺を命じ,護良親王は淵辺の凶刃に非業の最期を遂げるのでした。
享年28歳の若さであったとのことです。
鎌倉宮を創建された明治天皇は,江戸幕府による武家社会の時代から,明治維新という天皇中心の政治形態への過渡期を,後醍醐天皇による建武中興の時代の姿と重ね合わせていたのかもしれません。
先のブログにおいて紹介しました日野俊基ゆかりの葛原岡神社についても,建武の新政に功のあった人物に対する明治天皇の熱い想いがうかがえますし,今回の護良親王についても然りです。
現在,この神社のシンボルとなっている「獅子頭」は,護良親王が常に獅子頭を兜に付けていたことが由来とされ,厄除,幸運招来などのお守りとして現在も親しまれています。
<本日の一句>
獅子たちの守れる牢の冷たさや ぴえる
2回目にして,ようやく登場の仲間由紀恵さん!
いきなり子役から成長してびっくりです
あの子役は結構がんばっていたように思えたのは私だけでしょうか?
それに比べて,やはり舘ひろし氏の信長は,やたら口数が少ないですな。
しかし一豊さま,あんな美濃との国境で大声で「次は美濃攻めだ!」などと叫んでいたら,千代から情報を聞いた不破市之丞がわざわざ伝えなくても,国境に潜んでいる美濃の牒者かなんかに聞かれちゃいますよ!
織田勢に聞かれても,情報漏洩であなたの士官は叶わなくなりますよ!
そういえば今回,一豊はいきなり藤吉郎からナイスな白馬をゲットしましたね。
原作では駄馬とか言われていましたが,そんな風には見えませんでした
いまだに突っ込みどころが少ない功名が辻。
今回はこれくらいしかコメントないですね。
寝ます~
先週放映された時代劇「風林火山」をようやく見ました。
感想を書くべきかどうか微妙でしたが,とりあえず書いてみます。
結論から言って,正直期待はずれでした
井上靖氏の原作は読んでないので,原作の方はどうなのかはよくわかりませんが,今回は軍師山本勘助が主人公になっていることがストーリー進行全体に影響し,勘助の生涯を語るには底が浅いし,逆に川中島の戦い他,信玄と謙信の動きを重視しようとすると,勘助が主人公になっている意味が失われるし,ただでさえ時間が少ないのに「大奥」バリの女性たちの葛藤までも盛り込もうとしてるし,おかげで内容の全てが中途半端な終わり方をしてしまった感じがしました。
おそらくこれを映像化するのであれば,「新春10時間時代劇」でやるべきだったと思います。
過去にも何度かこの作品は映像化されていると聞きますが,過去の作品と比べてみたいですね。
配役について簡単に…
北大路欣也さんは,この手の役柄をやらせたら,まず間違いないですね!
今回のドラマを最後まで見れた要素の9割は,北大路さんがいたからでしたし…
TOKIOの松岡クンも思ったよりナイスな信玄でした。
参ったのは加藤あいちゃん…
「義経」で静役に石原さとみちゃんが選ばれる前は,加藤あいちゃんが候補だったみたいですが,今回の由布姫をやっているのを見て,心底さとみちゃんが静で良かったと思いました
これまでいろいろと年末年始の時代劇について語りましたが,今回のマイベストはやはり「天下騒乱」に決まりかな?
やはり脚本と配役は大切ですね
これまで2回に渡りお話ししてきました祇王と仏についてですが,最後は仏御前のその後についてお話しします。
(前回から間がかなり空いてしまったので,復習する方はこちらから→「祇王と仏」第1回,第2回)
小松市原町。小松市市街地から,以前お話しした「鳥越一向一揆歴史館」に向かう途中のこの地に,ひっそりと「仏御前の里」があります。
この地が仏御前の生まれ故郷であり,終焉の地とされています。
なぜ仏は京の往生院を去らねばならなかったのでしょう?
そこで,加賀に伝わる仏御前の伝承を大ざっぱですがお話ししましょう。
祇王の後を追って往生院に入った仏でしたが,あるとき仏は身体の異変に気付きました。
実はそのとき既に,仏は清盛の子をお腹に宿していたのです。
いずれこの場で子を産むこともできず,産んだら産んだでその子をめぐり,また清盛の呪縛から逃れることができなくなってしまう予想される運命。ましてや祇王に対する面目も立たないその身…
晩春のある日,仏は一人,故郷である加賀の郷に帰ることにしました。
身重である仏一人での加賀への旅路はさぞやたいへんだったことでしょう。
仏は美濃を経由し,白山麓の木滑(きなめり。現・吉野谷村)まで来たとき,陣痛が起こり,通りかかった老婆の力を借りて,その場で出産しました。
ところが,その子は産まれて間もなく死んでしまいます。
しばらく,亡くなった子を木滑の地で弔った後,ようやく故郷にたどり着いた仏は,生活の手段として茶屋を開きました。
元加賀一の白拍子が開いたという茶屋は日に日に繁盛し,村の男たちは仕事を忘れて,仏の茶屋に通うようになりました。
そんなことが続いたこともあり,村の女たちは仏に嫉妬し,村に災いを呼ぶものとして,最後,仏は21歳の若さで村の女たちに惨殺されてしまったのでした…
この話を初めて耳にしたときは衝撃でした。
というより,私が「仏御前の里」を訪れた際には,仏がこの地に帰ってきて亡くなったことしか情報がありませんでした。
そのうちいろいろと調べていく内に,このような伝承があることが判明しました。
なんとなく,ドラえもんの最終回とかサザエさんの最終回とかのうわさ話を彷彿させる悲劇の結末なのですが,わからない話ではありません。
今でも,仏御前の里界隈では,仏御前の祟りが降りかからぬよう,出産の際には四方窓を閉め切って行うしきたりがあるらしいです。
しかし,今では町を挙げて仏御前が大切にされています。
現在,町の一民家に仏御前の木像が代々大切に保管され,事前に連絡をすれば見せてもらえるとのことです。
また,原町には,仏が開いた茶屋の跡や,仏の墓,屋敷跡が残されています。
(冒頭の写真は仏の屋敷跡に残されている仏の墓です。)
この地とは別に,仏が子を産んだ場所とされる吉野谷村の木滑神社境内には,仏が出産するときしがみついたという石が残されており,皮肉にも現在ではその石は安産祈願の石とされています。
さて,伝承では,仏御前が祇王に寺を出ることを話したのかどうかまでははっきりとしませんが,おそらく仏は祇王になんらかの相談をし,祇王たちの協力の下に京を去ったのではないでしょうか。
そして,仏が京を去ったときに,仏は往生院で亡くなったことにし,仏のその後の幸せを祈りつつ祇王たちは仏を送り出したのかもしれません。
しかし,結果は最悪でした。
自ら夢を求めて京に上ってきた仏御前。
一度は夢を掴んだかに見えた彼女でしたが,はかなくも運命に翻弄され悲劇の結末を迎えることになってしまった彼女の物語こそ,平家物語に残されるべきだったのではと思う今日この頃です。
仏御前の里のHPはこちら
昨年秋,国分寺市の殿ヶ谷戸公園を訪れた際に,一本のマンリョウの木を見つけました。
マンリョウの木は,小さいながらもたくさんの実を抱えていました。
葉っぱは頭に集中し,その下の裸になった幹から中途半端に青い実をぶら下げている姿は,なんともみすぼらしく,滑稽に見えます。
やがて冬に突入すると,マンリョウの子供たちは真っ赤に色づき,もはやみすぼらしいとは言わせない晴れ姿を見せてくれるでしょう。
ナンテン,センリョウなどとともにお正月を赤く彩るマンリョウ。
みすぼらしかったき彼女も,きっと今ごろは真っ盛りです
<本日の一句>
おかしげな万両赤く晴姿 ぴえる
※センリョウについては,蒼葉月さんのブログで美しいセンリョウとエッセイがご覧になれますのでオススメです♪