果報は寝て待て!

浮世は疲れることばかり…
いそがず,あせらず,のんびりいきましょう。

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高野山(その3)

2007年09月29日 | 旅日記,郷土の歴史
今回は真言宗の総本山・金剛峯寺についてお話しします。

もともと金剛峯寺は,高野山一山を指す総称でしたが,豊臣秀吉が亡母の菩提のためにこの地に建てた青巖寺と,これも秀吉が建てた興山寺を合わせて,明治期に金剛峯寺と改称したとのこと。

金剛峯寺は,高野山座主の住坊であると同時に,全国の真言宗の宗教行政を管理する,一般企業でいう本社社屋にあたる寺です。
その様式は書院造で,もはや仏閣,寺院というよりは,いわば巨大な大名屋敷といった方がわかりやすいかもしれません。

正面入口を入って右側には広めの厨房が存在し,現在でも行事の際にはこの厨房で古来のとおりに食事が用意されるとのことです。

かつて天皇の行幸など接待に使用された広間,書院などは豪勢な襖絵で装飾され,まるで二条城の内部を見ているような感じにさせられます。
ちなみに,襖絵の写真撮影は一切禁止されていました

屋内だけでなく,各所の庭も見事でした。
上の写真はちょっとした裏庭。

そしてこちらが蟠龍庭と名付けられた庭園。
石庭としては我が国最大の広さ(2,340平方メートル)とのことです。

建物の奥の方には,高野山2世・真然僧正の御廟がありました(上写真)。

余談ですが,ぐるっと建物内を見学すると,途中の新別殿で,お茶とお菓子を振る舞って貰えます。
暑くて疲れた身体には,ちょっと嬉しいサービスでした

というわけで,金剛峯寺内部を一通り見学してきましたが,感想としては,宗教と権力の融合といった感じが否めず,果たして空海はこんな状況を望んでいたのだろうかと思ってしまいました。
まあ当時の権力に屈する=征伐の図式が成り立っていた時代背景からはやむを得ないところだったのでしょうか。
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高野山(その2)

2007年09月26日 | 旅日記,郷土の歴史

高野山,第2回目は壇上伽藍についてお話しします。

大門と金剛峰寺との間にあるこの敷地は,弘法大師が最初に真言密教の根本道場を開いた場所とされています。
この場所には,大小10を超える建物が整然と配置され,真言密教の精緻の美を堪能できます。
今回は,その中のいくつかをご紹介しましょう。

今はなき中門跡から入門すると,まず見えるのが金堂(冒頭写真)。
現在でも年中行事の大半がここで行われているとのこと。
汗ばむ陽気の中,金堂の中に入って一休み。
どことなく張りつめたようで穏やかな空気に癒しを感じたのは,きっと私だけではないでしょう。

六角経蔵
鳥羽天皇の皇后が,天皇の菩提を弔うために経を納めさせたお堂。

御影堂
もと大師の持仏堂。
真如親王(嵯峨天皇の皇太子であったが,世に言う「薬子の乱」によって廃された高岳親王が出家し,弘法大師弟子となり,天竺へ向かった。)が描いた「大師御影」が祀られている由緒正しき堂。

東塔
白河上皇の御願により1127年建立。

大塔
弘法大師,真然僧正の2代にかけて建立された高さ約50メートル,四面約30メートルの巨大建造物。
現在の建物は昭和12年に再建されたもの。
内部には黄金に輝く大日如来を中心に,4体の仏像が並んでいました。
如来サマのお顔をまじまじと拝見していますと,特に悪いことをしているわけでもないのに,なぜか「ごめんなさい」と思ってしまうのが不思議です。

この後は伽藍の対面にある霊宝館(高野山の文化財を保存,展覧する資料館)を見て,次の金剛峰寺に向かいました。

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風林火山(第38回)

2007年09月24日 | 大河ドラマ
村上義清がとうとう越後に逃れることとなりました。
武田の,駿河との婚儀といった政略をうまく利用した諜略により,戦わずして総崩れとなった村上勢は,もはや為す術もなく,ちょうど昨日のニュースにもあった自民党総裁選の福田氏対麻生氏のような状況になってしまいました。

ところで,このドラマを見る限り,村上義清は決して愚将ではないと思います。
晴信のような小賢しい政略を潔しとしない,古いタイプの真っ直ぐな武将であり,立場的には上である信濃守護の小笠原氏が使えない者であるとわかるとすぐに縁を切ってのける度量もあり,カリスマ的にも悪くはない人格の持ち主なのだろうと思います。
ただ,政治的手腕は武田晴信には遠く及ばず,気が付いたら四面楚歌になっていたという,ある意味気の毒な方でした。
ここで,最後の戦いを武田に挑み討死といったシナリオを選ばず,あえて越後に落ち延び,長尾を引っ張り出してくる選択をしたのも,やはりただでは死なないとする村上の意地のなせる業だと思います。
(まあ,劇中ではそれも勘助や春日弾正の諜略の一部でしたが…)
村上という大義名分を得た越後の長尾景虎もいよいよ参戦。
取られたら取り返し…これから長い長い川中島の戦いが始まることになります。
なにげに動向が気になる平蔵とヒサの運命は?
そして勘助と平蔵は戦場で相まみえることになるのか?
これからの風林火山は目が離せなくなりますね…

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高野山(その1)

2007年09月23日 | 旅日記,郷土の歴史
先日旅をしてまいりました南紀方面。
旅先から携帯電話でブログに記事を送っていましたが,今回からちょっとずつ写真を交えて再度アップしていきます。

はじめに足を運んだ高野山ですが,大阪からそんなに遠くもないだろうと多寡をくくっていたところ,新今宮駅から南海電車+ケーブルカーで2時間くらいかかりました。
ある意味,それだけ山深い場所であるということなのでしょうが,いざ現地に到着してみると,整備された道路,町並みといったバリバリな観光地でした。
平日の午前中だったので訪れる人も少なく,準貸し切り状態でのんびり散歩を楽しみました。

最初に訪れたのは高野山の西端に位置する高野山大門
現在,電車で高野山に来た場合は,バス経由で高野山町の中心部にいきなり到達してしまうのですが,昔の高野山参詣は,高野山に至る7つの石道を通って行われていたそうです。
大門はいわゆる高野山の正面玄関。
この方面からの入山者は多かったのではないのでしょうか。

大門の側に続いている高野山石道
現在でも,ハイキングがてらこの道を伝って参詣する人も多いみたいですね。

大門では,たくましいアニキ…もとい仁王サマたちが参詣客を歓迎してくれます。
上の写真は門の向かって右側。

こちらは向かって左側です。

ちなみに,高野山は明治5年まで女人禁制が敷かれていました。
参詣も当然のことながら女性はシャットアウト。
そこで女性は,高野山に続く7つの道に設けられた女人堂において参籠したとのことです。
現在,女人堂は高野山駅からのバス道路沿いに一つ残されているのみです。
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南紀へ(おまけ)

2007年09月21日 | 雑談
いよいよ南紀から帰路につくことになりました。
それにしても、なんで旅程で飲む缶チューハイはこんなにおいしいのでしょうか?
一日平均3本は飲んでいたように記憶しています。
これがこの旅最後の缶チューハイになりそうです。
缶チューハイ様、お世話になりました!
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南紀へ(その4)

2007年09月21日 | 雑談
(↑母パンダとじゃれあう子パンダ)

現在、南紀白浜のアドベンチャーワールドに来ています。
昨年末に誕生した双子パンダがギザかわゆす!
もう一匹の子パンダは、木の上でお昼寝中。
あ~幸せ♪

南紀へ(その3)

2007年09月20日 | 雑談
予定どおり、熊野古道「発心門王子→熊野本宮大社」コースを踏破してきました。
大したことないだろうと多寡をくくっていたら、いや~、結構疲れました!
でも、平均想定時間2時間30分の行程を2時間で歩き通し、まだまだ私の脚力も衰えてはいないとちょっぴり自己満足(汗)
さらに、終点である熊野本宮に着いたときにはプチ感動ものでした(涙)

歩きながら、古道の存在、存続についていろいろ考えていましたが、これについてはまた後日語りたいと思います。

南紀へ(その2)

2007年09月20日 | 雑談
紀伊田辺駅前に立ち塞がっていた弁慶像です。
田辺市は弁慶誕生の地としていろんな史跡があるのが面白いですね♪

これから熊野古道に挑みます!

南紀へ(その1)

2007年09月19日 | 雑談
(↑高野山奥の院の明智光秀の墓。すぐ近くには石田三成もいらっしゃいました。)

今日は正味4時間ほど高野山を散策して参りました。
さすが連休の狭間の平日だけあって、奥の院以外はどこに行ってもほぼ貸し切り状態でした。

さて、私が見た限りの高野山ですが、山の中で、関連施設以外の建物を寄せ付けない比叡山と違い、高野山は多数の下部組織的な寺院や商店が一つの街を形成しているといったオープンな印象を受けました。
さらに、時の権力との対立を極力避け続けたからか、奥の院周辺には、古今東西様々な武将、藩、著名人、企業の墓や慰霊碑がひしめきあっていました。
秀吉が金剛峯寺の創建に携わっていたこともあってか、信長の墓より豊臣家の墓の方が大きかったのが面白いところです。
さらに、甲斐武田家の墓が巨大な石碑であるのに対し、越後上杉家は木造の廟に故人を祭っていました。
(これらの写真はいずれアップしたいと思います。)
それにしても、電車とバスの接続の悪さにより、活動時間を2時間くらい無駄にしている気がしました。

明日は熊野古道を散策します。

南紀へ(序)

2007年09月18日 | 雑談
本日は何を隠そう私の誕生日。
自宅でささやかに祝いの宴をしてもらい、ほっと一息ついたところで、いよいよ南紀方面へ出発となりました♪

今回は久々の一人旅。
一人旅を許可してくれた妻には厚く御礼申し上げますm(__)m

寝台急行銀河、間もなく発車!
では、行ってきます♪
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風林火山(第37回)

2007年09月16日 | 大河ドラマ
今回は晴信の母・大井夫人がメインの回でした。
常に晴信の成功を祈り,最期は三条夫人,由布姫,そして勘助に晴信を託し,大往生を遂げました。
ある意味,勘助よりも晴信を託すべき家臣がいるように思えますが,ドラマだから仕方ないとあきらめましょう…

ただ,私としては今回あっぱれと思ったのは,母上ではなく,久しぶりに登場した北条氏康サマだったと思います!
主・上杉憲政を出し抜き,嫡子・竜若丸を捕らえて氏康のもとへ走った上杉家臣・メカタ氏たち。
氏康は,竜若丸に対しては縄を解き,敵将である自分と一騎打ちの戦いを挑ませ,名誉の戦死という武士としての最高の栄誉をもって報いた一方,人道に反し,裏切りにより主を敵に差し出し自分たちの栄達を願ったメカタたちに対しては打ち首,獄門という名裁きをやってのけました。
以前,銀英伝のローエングラム公も同様の裁きをしたことがあるのを読んだことがあり,この手の話は古今東西その他よくあるものと思いますが,個人的にはこの手の裁き方は大好きです♪
あの場で氏康が竜若丸を打ち首もしくは監禁といった手段を用い,メカタたちを保護するような武将だったら,きっと人は彼に付いてきていなかったでしょう。
その場に立ち会っていた勘助も,良いものを見せてもらったと思ったと同時に,名君・北条氏康が率いる北条軍を現時点で武田の敵に回すことを避けるべきと一層思いを強めたに違いありません。

一方,メカタの陰謀にまんまとはまってしまい,息子竜若丸を残して景虎のもとへ落ちのびてきた関東管領サマはほんとにお粗末でした。
逆に上州に関東管領が残り,竜若丸が景虎のもとへ落ちてきたとしたら,景虎はすぐにでも上州へ出陣しなければならなかったかもしれませんね。
景虎側とすれば,今回余計な出陣をすることなく,関東管領という大義名分まで手に入れて,機が熟した段階で北条攻めができるようになり,ある意味良いことづくめだったのかもしれませんね。

次回はいよいよ武田対村上の最終局面になりそうですね。
ではまた来週!

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ようやく夏休み

2007年09月15日 | 写真とひとりごと
<本日の一句(お盆の夜に墓参りに行った蓮の写真を題材に)>
闇に伸ぶ蓮のつぼみや墓参り



7月,8月と夏休みを取らず働き続けてきた私ですが,遅まきながら,ようやく昨日から夏休みに突入しました

夏バテしないように週3で5キロくらいづつジョギングをしながら猛暑を乗り切りましたが,FF12で夜更かしをして身を削る毎日により,徐々に眼精疲労が蓄積し,そろそろ体中が痛くなり始めてきたころに夏休みとなったので助かりました…

さて,毎年夏休みには,恒例の歴史史跡めぐりを決行しております。
3年前は「隠れキリシタンの悲劇」「原爆の悲劇」をテーマに長崎へ。
2年前は「木曽義仲」「平家物語の女性たち」テーマに京都,石川方面へ。
昨年は「四国にて諸所の歴史に触れる」として徳島以外の四国3件。
そして今年は…
どういうわけか,今さら世界遺産を歩こうと,高野山・熊野古道といった南紀方面へ旅立つ予定です。
余裕があれば,伊勢神宮も回ってみたいところですし,アドベンチャーワールドでパンダ親子も見てきたいところです。

2年前に比叡山で体験修行ツアーをした記憶を元に,高野山を比較してみるのも面白そうです(今回は修行はしませんが…

旅は18日の夜中に,寝台急行「銀河」に乗って出発します。
久々に寝台列車の中で缶チューハイを開ける醍醐味を味わえそうです

しかし,この時期は高確率で台風の襲来にあたるので,今年も気は抜けません。
4年前の長崎は,台風のど真ん中の雲仙普賢岳に挑み,ひどい目にあいました
現在も台風接近のニュースにどきどきものの毎日です。

とりあえず夏休み最初の4日間はゆっくり寝て過ごします
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「美しい国」はいずこへ…

2007年09月12日 | 雑談
仕事から帰り,テレビを点けてみると,「安倍首相辞意表明」なるニュース一色となっていました。
内閣が改造されて何日もたたず,このまえ所信表明をしたばかりのこの状況で辞任とはいやはや…

厚生年金問題が大きくのしかかったり,大臣らの不正行為等が相次ぐといった,ある意味不幸な時期にぶちあたった総理であり,気の毒という気もしますが,それにしても,何をするのにつけても全て後手後手に回るというか,タイミングが悪いというか,最後の最後までお粗末な幕引きになってしまいました。

果てさて,このような状況で次の首相は誰になるのかが気になるところですが,もともと今日のような自民党にとって動きづらい状況が作られたのは小泉前首相の型破りな政策によるものが大きいと思われ,おそらく小泉氏が再登板でもしない限り,他の誰が総理になったとしても,与党自民党が勢いを盛り返すことはできない気がします。
ただ,小泉氏が返り咲くとなると,間違いなく平和憲法は改悪の一路を辿ることになるでしょう。

格差社会は…拉致問題は…自衛隊派兵問題は…

問題山積みの日本。
「美しい国づくり」は果たして実現するのでしょうか…
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風林火山(第36回)

2007年09月10日 | 大河ドラマ
今回は,いつにもましてインターバル的な内容に感じましたが,そのような合戦でもない回で田辺誠一氏演じる小山田信有を亡き者としてしまうNHKにある意味すさまじさを感じました。

それはさておき,インターバルとはいえ,今回は由布姫,美瑠姫,於琴姫といった敗者の姫たちが,それぞれの生き様を魅せてくれました。
戦国の世において,敗者の辿る末路は惨憺たるものがありますが,この3人の女性もこれまで辛い日々を送ってきた女性たちの代表的な者なのかもしれません。
しかし,各人が「生きる」意味をそれぞれ心に抱き,その信念に従い生き続けてきました。
特に,子を持った女性の強さには,さすがの戦国武将たちでもかなわないみたいですね。

その中で,小山田様が引き取った美瑠姫は,かつて嫁いだ笠原家の恨みを捨てることなく,笠原の子を小山田の子として産み,育て,いずれその子をして復讐を成し遂げようと考えていたのかもしれません。
ところがその子はあっけなく病死。
それを「定め」として片付けられてしまった美瑠姫は,小山田信有の自分に対する思いを知りながらも,閨において小山田様を殺害し,不幸な方向で宿願をかなえることになりました。

美瑠姫に対する思いを事前に小山田様から語られていた勘助は,武田家臣団の中で,最も嫌みがあり,接しにくかったと思われるこの小山田信有という人物も,もともとは武田に破れた家柄を継いだ者であり,敗者の苦しみを誰以上にわかっている人物であることを改めて認識しつつ,小山田信有を愛に生きた一人の人間として,敵将笠原の子と知りつつ姫の生んだ子を養育していたという疑惑に対し,涙ながらに弁護した勘助の姿には熱いものを感じました。
敵将の姫にどう思われようと一途に愛し抜いた小山田の死に,勘助はもしかすると,ある種の憧れの念を抱いたのかもしれません。
それは,自分が由布姫に対して持っているものと相似したものだから…

ということで,今回はインターバル的な回とはいえ,突っ込みたくても突っ込みどころがなく,逆に考えさせられる回となりました。

ではまた来週

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地球へ(第22話)

2007年09月08日 | TV番組,アニメ,ゲーム

(画像は公式HPより引用)

登場する人物の奇妙さにはじめの頃は慣れず,惰性で見ていた土曜6時からのアニメ「地球へ」でしたが,話が進むにつれてなかなか面白いアニメに思うようになってきました。

数話前のソルジャー・ブルー消滅の回もかなり見応えがありましたが,今回もまた,視聴者の痛いところを突くナイスな回でした。

一度はキース様の命を狙ったこともあるマツカ君。
どういうわけかキース様の小姓として付き従い早数ヶ月。
キース様にいいように使い走らされ,いつぶち切れてもおかしくない関係りにしか見えなかったマツカ君でしたが,キース様のピンチになると必ず助けてしまう忠臣ぶりに,キース様も心理の奥底では,人間とミュウとの隔たりを超えた安らぎを感じていたのかもしれません。

今回もマツカ君は,本当は誰よりも哀しみを背負って生きているキース様を守るため,キース様の命を狙いにやってきたトォニィと戦闘になり,壮絶なバトルの末,殉職を遂げられました。

常に友情とか愛情といったものを封じられてきたキース様は,体制こそ最も守るべきものであると信じて生きてきたものの,いざ死線をさまよい浮かんできたものは,今は亡きシロエ,マツカといった,自分に干渉をしてきたミュウたち…
息を吹き返したキース様がマツカの無惨な骸を目にしたとき,そこにいたのは無血の戦闘マシーンとしてのキースではなく,一人の人間キースでした。

そろそろクライマックスとなる「地球へ」。
ワタシは原作を読んでいないので,今後の展開が楽しみです!

「地球へ」公式HPはこちらから

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