もともと金剛峯寺は,高野山一山を指す総称でしたが,豊臣秀吉が亡母の菩提のためにこの地に建てた青巖寺と,これも秀吉が建てた興山寺を合わせて,明治期に金剛峯寺と改称したとのこと。
金剛峯寺は,高野山座主の住坊であると同時に,全国の真言宗の宗教行政を管理する,一般企業でいう本社社屋にあたる寺です。
その様式は書院造で,もはや仏閣,寺院というよりは,いわば巨大な大名屋敷といった方がわかりやすいかもしれません。
正面入口を入って右側には広めの厨房が存在し,現在でも行事の際にはこの厨房で古来のとおりに食事が用意されるとのことです。
かつて天皇の行幸など接待に使用された広間,書院などは豪勢な襖絵で装飾され,まるで二条城の内部を見ているような感じにさせられます。
ちなみに,襖絵の写真撮影は一切禁止されていました
屋内だけでなく,各所の庭も見事でした。
上の写真はちょっとした裏庭。
そしてこちらが蟠龍庭と名付けられた庭園。
石庭としては我が国最大の広さ(2,340平方メートル)とのことです。
建物の奥の方には,高野山2世・真然僧正の御廟がありました(上写真)。
余談ですが,ぐるっと建物内を見学すると,途中の新別殿で,お茶とお菓子を振る舞って貰えます。
暑くて疲れた身体には,ちょっと嬉しいサービスでした
というわけで,金剛峯寺内部を一通り見学してきましたが,感想としては,宗教と権力の融合といった感じが否めず,果たして空海はこんな状況を望んでいたのだろうかと思ってしまいました。
まあ当時の権力に屈する=征伐の図式が成り立っていた時代背景からはやむを得ないところだったのでしょうか。