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果報は寝て待て!

浮世は疲れることばかり…
いそがず,あせらず,のんびりいきましょう。

謹賀新年~2007年~

2007年01月02日 | 写真とひとりごと

ただいま福島の実家より東京に戻って参りました。
みなさまはお正月をいかがお過ごしでしょうか?

すがすがしく晴れた元日,毎年お参りに行く神社に足を運ぶと,そこには例年以上の行列ができていました。
おそらくは,これまで大晦日に飲みまくり,除夜の鐘と同時にお参りに来ていた人たちが,飲酒運転取り締まり強化の影響で,しらふの元日昼間にお参りを移行させたことが原因なのではないかと推測されます。

そんなこんなで世の中は変われども,毎年並ぶ参道は変わりません。
鳥居にかけられたしめ縄も相変わらず。
その背後の木々や空も相変わらす。
変わらずに平和に過ぎていくことが,何よりも代え難い宝なのかもしれません。

ただ,私自身は,ちょっとずつ進化していきたいなぁ…

というわけで,今年もよろしくお願いします。

<本日の一句>
初空に巻かれし強き縄一本 


さようなら2006年

2006年12月31日 | 写真とひとりごと
(写真:新宿南口のサザンライト2006)

本日で2006年も幕を閉じます。
今年も拙ブログにお立ち寄りいただきました方々には心より感謝申し上げます
今年もあっという間に終わってしまいましたが,皆様の2006年はどんな1年だったでしょうか?

余談かもしれませんが,今年の漢字は「命」だったとのことでしたが,昨日のニュースではフセイン元大統領の死刑が執行されたとのこと。
今の時点でフセインの死刑が執行されるメリットというのがなかなか考えにくいのですが,不謹慎かもしれませんが,これによる「正月テロ」が増えないことを祈る限りです…
命の尊さを叫ぶことの多かった今年の幕を,このようなあまり気分の良くない事件で閉じることになるのは,なんだか残念な気がします。

私的には,今年はやたら物が壊れる1年でした。
ビデオ,冷蔵庫,パソコン,テレビ,風呂のガス釜,挙げ句の果てには車検で25万の出費…
まさに「命」の縮む思いでの出費でした…
来年は洗濯機あたりが壊れそうで怖いです。

体調の面でも,最近,必要以上に疲れやすくなってきた感じがするのですが,単に運動不足なだけなのか,何かの病気の兆候なのかはわかりません。
睡眠時間が平均5時間くらいで,日々パソコンを見ている毎日なので,ひょっとすると眼精疲労が溜まっているのかもしれません。
健康管理にも気を遣わねばならないと思い始めてきた今日この頃です。

またすぐに来年はやってきます。
今年はどうあれ,来年に希望をもって,がんばっていきましょう!
それではみなさん,良いお年を!

<本日の一句>
電光に希望を求む晦日かな

聖夜2006

2006年12月25日 | 写真とひとりごと

光の球に映るのは
球の周りに光るもの
自ら輝けるものもあれば
光を受けて輝けるものもある
どちらが綺麗?
そんな問いはナンセンス
発するも個性,映すも個性
みんなの個性で
綺麗な夜を飾りましょう

     

みなさま,素敵なクリスマスをお過ごし下さい!



紅葉を見たい…

2006年12月01日 | 写真とひとりごと

(上写真:渋谷・NHK前)

とうとう12月…
この秋は,まだ本格的な紅葉を見に行っていません。
町中を歩いていても,強烈な「赤」には出会えません。
紅葉シーズンが去りゆく前に,ひと目「赤」を焼き付けておきたいと思う今日この頃です…

<本日の一句>
行く秋や見ゆる木々の葉まだ黄なり


おやすみ,松山の町…

2006年10月26日 | 写真とひとりごと

正岡子規は,
名月や伊予の松山一万戸
という句を残しています。

夜,どこから眺めたのかはわかりませんが,満月の月明かりと,松山の地の存する家々のわずかな光が,子規の目には美しいものに写ったには違いありませんね。

子規の時代,松山の町の世帯数はその程度だったのでしょうが,現在は歴史と文化を兼ね備えた近代都市に発展しています。
時代こそ違えど,松山の町の美しさは,今も昔もこれからも変わらずにあってもらいたいと心より願っております。

初めて訪れた文学の町松山。
おやすみ…また会う日まで…

<本日の一句>
松山の街の灯浮かぶ秋の暮 


一日おくれても名月

2006年10月08日 | 写真とひとりごと
前回,月が見れなくてダンゴのみ食べた記事をアップしましたが,十五夜が過ぎた次の夜の月は,台風やら前線やらが通り過ぎていってしまったため清々しい夜空となりました

お月様も若干,形の整わない円になっていましたが,それでも名月は名月!
たまに薄い雲がかかる程度で,輝かしいばかりに夜空の支配者と君臨しておりました。

ああ,ここにダンゴとススキがあったなら…

しかし,コンパクトデジカメで満月に近い,光量の多い月を撮るのはなかなか難しいことがわかりました。
シャッタースピードを速めると,単なる白丸にしか写らず,逆にシャッターを遅くすると,太陽のように必要以上に光ってしまいます(今回の写真はまさにそれです…
むかし,天体望遠鏡を持っていた時代に,月の光量を減らして見やすくするための「ムーングラス」というフィルターがあったことを記憶していますが,このデジカメにはそのようなオプションが付けられるような機能は残念ながらないですね…
肉眼で月の中のウサギさんが見える状態でも,それを撮影するにはそれなりの技術とカメラ性能が要されることを痛感した月夜でした

<本日の一句+α>
雨去りぬ十六夜待ちて名月や 
名月や団子は既に無かりけり 

月よりダンゴ

2006年10月06日 | 写真とひとりごと
今年の中秋の名月は10月6日。
虫の音を聞きながら,優雅にお月見と洒落込もうかと思いきや,あいにくの雨空…

しかし,たねやの月見団子だけはしっかり買って帰りました

月を見れない分,団子だけはおいしくいただいた私でした!

<本日の一句>
秋雨や団子喰えども月は無し  ぴえる

時代を残す

2006年09月30日 | 写真とひとりごと
松山城の天守閣は,天明年間の落雷により消失。
数十年の歳月をかけて,1835年に再築されたものが現存しています。

戦後は昭和44年に大規模な修復が行われましたが,それから30年以上経過した現在,経年劣化により大修復が行われています。

工事中の松山城。
外装が足場とシートに包まれ,景観もごつごつした鉄骨に遮られています。

辛うじて,開いた窓から城下を見下ろすことができました。
古の人たちも,この窓から城下を眺めていたに違いありません。

見える景色は時代と共に変われども,この窓から見える景色を守ろうとする地元の人たちの思いは,これからも変わらないことでしょう。

そうして,時代は後世に残される…

<本日の一句>
骨組みに秋の城下を閉じ込めむ ぴえる

初めての梅酒

2006年09月09日 | 写真とひとりごと
鎌倉で梅の実を見て,昨年7月に我が家で仕込んだ梅酒があったことを思い出しました。
職場で青梅を分けていただき,その翌日に「こんな感じかな?」というアバウトさで仕込んだ梅酒。
最初の1ヶ月はほとんど変化を見せず心配していましたが,徐々に色づき始めたので,安心してそのまま放っておくことに。
それから約1年。果たしてお味の方は…
お,ちゃんと梅酒っぽくなってるじゃん!

私の人生初の自家製梅酒は,とりあえず成功(!?)した模様です
ロックも良し!ソーダ割りでも良し!
やみつきになりそうです

座椅子に寄りかかって優雅に梅酒ロックを楽しんでいたところ,どこかで花火が上がっているのか,ドーンという音が聞こえてきました。
なんだか至福のひとときです

<本日の一句>
梅酒飲む座椅子はるかに花火鳴る ぴえる

ひっそり青梅

2006年09月07日 | 写真とひとりごと

アジサイを見に鎌倉に行ったときのこと,明月院にほど近い道端に,梅の実がたわわになっている木を見つけました。

梅干しや梅酒というように,なんらかの加工を施すことにより,さまざまな健康食品となる青梅ですが,生のままだと,分解されていない青酸の成分により人体には毒となる,実は危険な果実です。
昨年放送されていたドラマ「大奥」でも,落ちた青梅で将軍の子を殺害しようとしていたシーンがあったと記憶しています。

しかし,そんな二つの顔を持つ青梅も,鎌倉の風景の中に溶け込むと,その一粒一粒は,何の意味もない風景に,意味を与えてくれるようです

そういえば,去年の夏に仕込んだ梅酒はどうなったかな…

<本日の一句>
忘らるる茶房に梅の実の垂れし ぴえる


一本の木に咲いた花々

2006年07月29日 | 写真とひとりごと
去る7月27日に,毎年恒例の「足立区花火大会」に行って参りました

最寄りの北千住駅は,例によって花火の見物客でごった返していましたが,実際に花火を見る場所は基本的に広大な敷地である荒川の河川敷なので,ほかの花火大会では考えられないほど場所取りの必要もなく,多少出遅れてもゴザをひいてビールを飲みつつ優雅に花火を見れるという都内でも屈指の花火大会です。

この花火大会,志向が変わったのか,場内に流れる音楽にあわせて花火を打ち上げるというようなことを今回試みられていたようですが,いきなりベートーベンの運命が流れ出したときは,さすがに会場全体にどよめきの声があがりました…

さすがに都内屈指の花火大会であるだけに,様々な種類の花火が夜空を彩っていました。

写真をごらんいただくと,手前の木の影が気になるかと思います。
どうも今回我々が陣取った場所から打ち上げ会場方面を見ますと,この木が邪魔をし,写真を撮っていても必ず彼が視界の中に入ってきてしまい,初めのうちは正直腹立たしく思って見ておりましたが,しばらく花火を見ているうちに,だんだんこの一見みすぼらしく見える木に「花火が咲いてきた」ような錯覚を覚えてきました


赤い花…

青い花…

緑の花…

そして黄色い花…

何もない夜空に打ち上がる花火は,ある意味いつでも見れると思いますが,逆に今回のようなシチュエーションは,実は出会えそうで出会えない光景であり,ある意味不思議な風情を感じました

最後は見事なヤナギの連発で締められました

花火に参加された皆様,お疲れ様でした!
そして,花火を風情あるものにしてくれた名もない木にも感謝したいと思います

<本日の一句>
みすぼらし木に大輪の花火咲き ぴえる



掌(たなごころ)のアジサイ

2006年07月25日 | 写真とひとりごと
そろそろ梅雨も明けそうな時期。
アジサイを材料にできるのもいい加減におしまいにしませんとね

これまた明月院での一場面なのですが,境内を歩いていると,結構人通りの多い通路の傍らに,地蔵さまが鎮座されておりました。
地蔵さまの手の中には,住職の方がそうされたのか,アジサイがこんもりと乗せられていました。
さすが「あじさい寺」におわしますお地蔵さま。
その掌からは,アジサイが溢れ出てくるということなのでしょうかね

お地蔵さま,あふれるアジサイとともに,人々の幸福もどんどんと溢れ出してくださいね

<本日の一句>
紫陽花の溢れる掌かな石地蔵  ぴえる

竹に紫陽花

2006年07月21日 | 写真とひとりごと

明月院の境内を歩いていたところ,竹林を見つけました。
すくすくと天にのびる竹の足下には,明月院特有の紫陽花が見事な花を咲かせていました。
どこにでもある竹と,何らかわらない竹ではありましたが,そこに紫陽花が添えられているだけで,ただの竹林がなんだか違うものに見えた気がしました。

7月も下旬に突入。
でも,まだ梅雨は明けません…

<本日の一句>
紫陽花や天突く竹のもとに咲き ぴえる


明月院の紫陽花

2006年07月11日 | 写真とひとりごと

6月の末に,鎌倉の明月院を訪れました。
こちらの寺は,別名「あじさい寺」と称されるとおり,梅雨の時期には境内の約2500株とも言われる紫陽花たちが一斉に美しい花を咲かせます。

この時期の明月院には,紫陽花たちの競演を一目見ようと,朝から多くの人が行列し,紫陽花が逆に人間の数に飲み込まれるほどであります。
前からこの時期の明月院の紫陽花を見に行きたいと思っていましたが,そのような状況を聞き及んでいたため,これまで明月院の紫陽花を現場で見たことはありませんでした。
しかし今回,気力を振り絞り,人波に飲まれる覚悟で,朝一で明月院を訪れることにしました。

北鎌倉駅に到着したのは午前8時15分ころだったのですが,この時点でも人の数は相当なものでした。
昼間だったらどんなことになっていただろうと,あらためてぞっとしました。

まあ,人間ウォッチングは置いておいて,さすがあじさい寺と言われるだけあって,紫陽花が見事なまでに咲き誇っていました!

土壌の関係からか,それとも品種の関係からか,この場の紫陽花は青紫もしくは白のものが大部分でしたが,境内のどこを巡っても紫陽花のないところはないというくらい紫陽花づくしのお寺でした。

これで人が少なければ大満足だったんですが…

次回は,アジサイではなく明月院そのものについて多少お話ししたいと思います。


<本日の一句>
紫陽花や流れる人に沿いて居り ぴえる


また彦星と織姫は会えず

2006年07月07日 | 写真とひとりごと

本日は、言わずと知れた七夕です

少なからず、私の記憶では、ここ数年、7月7日に夜空が晴れた状況に出会っていない気がします。
牽牛と織女にとっては重要な約束の日が、毎年の天の川の増水により、文字通り流されてしまっていることになりますね。

もともとは旧暦7月7日が七夕とされていたことから考えれば、それは現在の暦では7月末から8月頭ころであり、梅雨も明けて、天の川もきれいに見える時期のはずです。
私たちは、物心が付いた頃から現在の暦で七夕のお祭りをしてきていますが、それは牽牛と織女にとっては、あえて不利な時期に七夕を設定している結果になってしまっているのだということに意外と気が付かないものです。
かといって、わざわざ旧暦に七夕を合わせるのは、古来からの風習を重視する地方くらいでしょうかね…

ちなみに、私も最近知ったのですが、七夕の祭りは、7月7日の夜に行うのではなく、7月6日の夜から7月7日の明け方にかけて行うのが正しいようですね。
私も生まれてこの方、ずっと7月7日に七夕を行っていたので、ある意味目から鱗でした

さて、とある駅のコンコースの中に、短冊の下がった大きな笹が飾ってありました。
考えてみると、最近は星に願いをかけることもなくなった気がします。
それだけ自分も現実主義的な人間になってしまったということなのかもしれません
曇り空ではありますが、思いを馳せつつ、笹に短冊でも下げてみれば、ちょっとはロマンチックな世界にでも浸れるでしょうかね…

<本日の一句>
七夕の仰ぐ飾りも曇りかな  ぴえる