果報は寝て待て!

浮世は疲れることばかり…
いそがず,あせらず,のんびりいきましょう。

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アドベンチャーワールド(その2)

2007年11月28日 | 旅日記,郷土の歴史

アドベンチャーワールドの「パンダランド」では,9頭のパンダファミリーが暮らしており,本日現在うち3頭が自然繁殖の要請のため中国に渡航。
現在アドベンチャーワールドでは6頭のパンダを見ることができます。
ここでは,難しいとされていたパンダの繁殖が何度も成功しており,昨年12月には2度目の双子パンダ「愛浜(♀)」「明浜(♂)」が誕生しました。

↑後で豪快に笹を食べているのがお母さんパンダ「梅梅」。
手前にいるのが双子パンダの1匹「愛浜」と思われます。
「愛浜」と「明浜」の見分け方は,目と目の間のつむじが2つであるのが「愛浜」,1つなのが「明浜」だそうです。
「愛浜」はほとんどお母さんにべったりでした


↑マイペースに木の上で昼寝しているのが「明浜」。
この段階で双子パンダはまだ屋外でお披露目はされておらず,室内運動場でのガラス越しのお披露目となっていました。
現在は屋外でのお披露目がされているようです。


↑あらら…ちょっと目を離していたら,どうやら木から落ちたようです…
このドジっぷりには共感が持てます♪


↑お父さんパンダの「永明」。
さすがパンダとはいえ,なんとなくおっさん臭い顔つきをしていて,これまた共感が持てます…(!?)
母子3頭は同じ部屋でお披露目されていましたが,父パンダだけ隣の部屋に隔離されていました。
かわいそうなお父さん…オヤジの悲哀を感じさせます…
ひょっとするとちゃぶ台をひっくり返すような凶暴なオヤジなので隔離されているのでしょうか???

次回につづく


風林火山(第47回)

2007年11月26日 | 大河ドラマ

今回の風林火山は「決戦前夜」というだけあって,話の進展はほとんどなかったように思えましたが,決戦が近づいている予感に対する各登場人物の感情の動きが見所だったというべきでしょうか?

上杉政虎と伊勢
夫・成田長泰への虐待に対し,ひるむことなく政虎に抗する伊勢。
自らを神の化身と図に乗っていた政虎は伊勢の言に,自らの行いの愚かさに気づく。
単なる力による抑圧ではなく慈愛による支配が上に立つものには重要であることは,以前の政虎であれば知っていたはずなのに,権力の巨大化とともに,いつの間にか増長していた自分に気がつかずにいたのでしょう。
熱く政虎に異を唱える伊勢役の井川遥さんは美しかった!
やはり美しい女性の言うことには殿方を動かす説得力があるのでしょうか?
伊勢が森三中やハリセンボンみたいな女性だったらその場で手打ちにされていたかもしれません。

勘助,香坂弾正,リツ
女性に免疫のない勘助と香坂。
意味不明な勘助の例え話でいきなり縁談を持ちかけられた香坂は,びっくりしたというよりは,「山本殿はとうとうボケてしまわれたか?」と思ったのではないでしょうか?
リツとしても,何の相談も無しにいきなり縁談の話をされ,困ったことでしょう。
結局,勘助死亡を停止条件とする香坂・リツの縁組みが,ほぼリツの同意無しで成立しました。
香坂がリツを早くゲットするには,早く勘助に成仏してもらうのが最も手っ取り早い方法ですね。
まさか川中島のどさくさで香坂が勘助を…
そんなわけないか…

伝兵衛と葉月
あっという間に夫婦になっていたこの二人。
夫婦で二人三脚での諜報活動に晴信から褒賞までもらえちゃいました。
はじめは嫌がっていた葉月も,なんだか嬉しそうに見えました。
登場人物が,暗い運命に縛られるこのドラマ中で,こういう異色な二人も良いですね。

平蔵とヒサ
ある意味この一家が一番深刻です。
いよいよ平蔵の出陣…ヒサの口数の少なさは,事の重大さを予感させました。
今までも平蔵は幾多の戦場を乗り越え,生きて帰ってきました。
しかし,今度ばかりは本当に平蔵が帰らぬ人になってしまう予感がしたのでしょうか?
個人的には,このドラマで平蔵は最も死んでもらいたくない人物です。
愛する家族のために,がんばれ平蔵!

その他,窮地を脱した北条家や,大恩ある前主を亡くした真田家などもさまざまな思いをもって,上杉・武田の決戦前のひとときを過ごしていたように見受けられました。

次回,いざ決戦へ!

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アドベンチャーワールド(その1)

2007年11月24日 | 旅日記,郷土の歴史
もう今年も冬の足音が聞こえ始めてきました。
今年の晩夏に旅した南紀の旅レポートも,このアドベンチャーワールドで最後になります。

田辺市のすぐ南に位置する白浜町にあるアミューズメントパーク「アドベンチャーワールド」は,単なる遊園地といったものではなく,動物園や水族館,サファリパークも兼ね備えた,本気で遊べば一日あっても足りない総合アミューズメントパークです。
旅の最終日,三重の伊勢神宮に赴くか,このアドベンチャーワールドを見るか2択に迫られましたが,田辺から伊勢神宮へは思ったより移動時間がかかってしまうという時間的な面もありましたが,何と言ってもアドベンチャーワールドには,昨年末に生まれた双子のパンダがいるということで,天照大神には申し訳ありませんが(汗),アドベンチャーワールドを選ばせていただきました

私が訪れたのは午前11時ころで,電車の関係上午後2時には去らなければならなかったので,実質3時間程度しか見れませんでしたが,私としてはメインのパンダさえ見れれば目的を達したと言っても過言ではないので,結構満足でした。

実際に見れたのは「海獣館」と「パンダランド」の2カ所。
今回は「海獣館」で撮った写真を3枚ほどアップです。

↑ペンギンたちです。
「海獣館」の館内は,水族館を想像していただければおわかりのとおり,全体が暗く,フラッシュ厳禁のため,コンパクトデジカメでの撮影は困難を極めました。
陸上に上がっているペンギンは比較的動いていないものが多く,なんとかこの程度撮影できました。
ちなみに,水中で泳ぐペンギンも見れるように展示室が作られているのですが,水中のペンギンはもの凄く速く泳ぎまくり,撮影はダメでした…

↑水の中のシロクマ
水槽に浸かっているシロクマさんです。
しっかり二足で立っています…というより浮いているのかな?
なんとなく手がおちゃめです。

↑やる気のないシロクマ
この「海獣館」のシロクマは,同じ高さ,水中,上方の3方面から見れるようになっており,この写真は上から見下ろしたもの。
泳ぎ疲れたのでしょうか?
それとも客の多さにウンザリしているのでしょうか?
でも,そんな彼に共感を覚えるのはワタシだけ…?

そのほかにラッコやアザラシといった生き物もいましたが,例によって薄暗い水中で泳いでばかりで写真はボツでした…
しかし,リアルで見るとなかなか迫力のある会場の造りになっていたのにはなかなか興味深かったです。

次回はいよいよ,パンダいきます!

アドベンチャーワールドのHPはこちらから

南紀白浜をふらっと散歩

2007年11月21日 | 旅日記,郷土の歴史

熊野方面を旅した私ですが,余った時間で南紀白浜方面を散策してみました。

マリンスポーツの盛んなイメージのある白浜ですが,いろいろと名所もあるようです。
時間も限られていたので,見れた場所も限られてしまいましたがとりあえずご紹介。

千畳敷
古代の砂岩からなる岩盤が,長い年月のあいだ波に削られ,3.5ヘクタールもの広大な岩畳が形成された名勝。
写真ではそれほど広いように見えませんが,この両脇広範囲にわたり,同様の光景が広がります。
明光バス・千畳口バス停から徒歩5分程度。


三段壁
荒波が作り上げた高さ50メートルにもなる大岸壁。
自殺者も多いと思われ,「飛び込み禁止」の警告も…
ちなみに観光エレベーターで海面ぎりぎりの「隠し洞窟」まで下りることができるようです。
明光バス・三段壁バス停すぐ。


崎の湯
波打ち際にある町営の露天風呂。
さすがに塩っ辛い湯でした。
海の側で油断していると,たまに波しぶきに見舞われます
入湯料は300円。
ただし,大きめの荷物は鍵付きロッカーに入らないので,荷物の管理にご注意。
明光バス・湯崎バス停から徒歩3分程度。


次回は最終訪問地,白浜アドベンチャーワールドをご紹介する予定です。

南紀白浜観光協会のHPはこちらから


風林火山(第46回)

2007年11月19日 | 大河ドラマ

今回はほぼ淡々とストーリーが進んでいった感がありましたが,この飽きがきそうなストーリーの中に,要所要所で息抜きの場が設けられていたのが良かったと思います。

コンピューターのような頭脳の持ち主・香坂弾正が34にして独身生活であることを指摘され動揺する場面や,敵情報を伝兵衛に伝える葉月とぎこちない伝兵衛の電撃告白劇などがそうなのですが,今回最も笑わせてもらったのは,何と言っても景虎が小田原城門前であぐらをかいて何事もないように酒を飲んでいたシーンでしょう!
雨のように降り注ぐ矢や銃弾がどういうわけか当たらない…
これには北条氏康もびっくり!
以前,氏康も命を狙ってきた関東管領の小倅にあえて刀を与え,自らの強さをアピールしましたが,今回の景虎は,そんな氏康のさらに上を行く演出を魅せてくれました!!
今回のような伝説があったというのは私も知りませんでしたが,あまりにもウソくささに拍手喝采!!
あのような「絶対回避」能力があったら,某戦国アクションゲームのように,常に先陣をきって敵陣に乗り込んで,景虎一人で戦に勝てるでしょうに…
いっそのこと今回のシーンをガクトの新曲のプロモーションに使ってみては…なんか思ったりしました
しかし,景虎には今まで神仏に対する慎ましさがありましたが,今回はやたら慢心が過ぎ好感度が薄れてきました。
こうやってファンが離れていくのも宇佐見の心配する事柄の一つかもしれません。

というわけでまた来週!

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弁慶と田辺市(その2)

2007年11月17日 | 平家物語-一般

↑紀伊田辺駅からほど近い場所に鎮座する闘鶏神社

(前回の続き)
熊野地方においては,熊野三山を統括していた熊野別当の地位にある者が相当な権威を持っていました。
そして熊野別当は陸地における権威に止まらず,海域においても勢力を持ち,熊野水軍といえば,その戦力が味方に付くか否かで海戦の勝敗を分けるほどの影響力を持っていました。

時に元暦2年(1185年)3月。
源氏が平家を屋島において敗走させた後,平家側は得意とする海戦にて源氏勢を迎撃せんと,山口沖の壇ノ浦に集結していました。
源氏としては騎馬兵力において勝るものの,水軍の数においては平家に劣り,来る壇ノ浦の決戦までに,いかに水軍を揃えるかが勝敗の鍵を握ります。
源氏の西征軍の大将である源義経は,各地域の有力水軍に対し,源氏側への参戦を必死に呼びかけます。
その中で,最強の水軍と謳われる熊野水軍の動向は,源氏,平家ともに重大関心事であったことは想像に難くありません。
当時の熊野別当・田辺湛増(たなべのたんぞう)は,一説には妻が平家縁者の姫であったり,娘が平家に嫁いでいたりともともと平家方に与しており,いよいよ平家側に参戦しようとしていました。
その際,田辺の鳥合王子社(現・田辺市の闘鶏神社)において祈誓したところ「白旗(源氏側)につけ」とのお告げがあり,困ってしまった湛増はさらに闘鶏で熊野権現の真意を諮ろうと赤・白それぞれ7羽の鶏を戦わせたところ,赤い鶏は1匹も勝てずに逃げてしまったことから,熊野権現の神意は源氏方にありとして,湛増は源氏に加勢することを決意し,熊野水軍は壇ノ浦に向けて出陣しました。

↑田辺の海岸に立つ「熊野水軍出陣の地碑

古典「平家物語」では次のとおり記述があります。
熊野別当湛増は,平家へや参るべき,源氏へや参るべきとて,田辺の新熊野にて御神楽奏して,権現に祈誓したてまつる。「白旗につけ」と御託宣有けるを,猶うたがひをなして,白い鶏七つ,赤い鶏七つ,これをもつて権現の御まえにて勝負をせさす。赤きとり位置もかたず,みな負けてにげにけり。さてこそ源氏へ参らんと思ひさだめけれ。
(岩波文庫「平家物語(四) 巻第十一 鶏合 壇浦合戦」より抜粋)

ここで,古典平家や源平盛衰記などを見るに,湛増は特に誰から言われることなく勝手に闘鶏をして源氏への加勢を決めたように読めますが,一般に時代劇や小説ではどういうわけか,武蔵坊弁慶が湛増に源氏への加勢を説得したとしてこの場面が現れることが多いものと思われます。
この弁慶の身上関係につき,多くの伝説において「熊野別当の子」とされています。
(「義経記」では,名前は湛増ではありませんが,やはり「熊野別当の子」とされています。)
そうなると時期的に弁慶が湛増の子である可能性もあり,義経からの救援要請の使者としては最も適任であることから,このような伝説が残されてきたものと思われます。

↑闘鶏神社境内にある湛増と弁慶の像

吉川英治の「新平家物語」では,この鶏合わせの話は,湛増のイカサマの末,必ず「赤い鶏」が勝つように仕組まれ,これにより平家側を油断させ,実は源氏に荷担するといった一風変わったストーリーに仕上げられていました。
いずれにせよ,世相を読むことに長けていた湛増としては,最初から源氏に荷担したいと思っていたところ,平家の身内の手前公然と源氏に加勢できず,なんとか源氏に味方するための大義名分を得んといろいろ悩んでいたのではないでしょうか?

・ウィキペディア→「闘鶏神社


弁慶と田辺市(その1)

2007年11月14日 | 平家物語-一般
これまで,熊野古道についてお話ししてまいりましたが,今回,熊野方面の旅の拠点にしたのは和歌山県田辺市でした。
この地域は,武蔵坊弁慶のゆかりの地というだけあって,あちこちに弁慶にちなんだものが見られました。

宿をとったのは,JR紀伊田辺駅にほど近いところでしたが,紀伊田辺駅前には弁慶がファイティングポーズを決めて立っていました(冒頭写真)。
さすがにこの地においては,主である源判官義経は全く関係がないようで,義経ゆかりのものの存在はまず見られず,この地では「判官びいき」というより「弁慶びいき」に傾いているように見られました

駅前メインストリートには「弁慶祭」なる横断幕が張られていました。
私が訪れたのは9月下旬だったので,ちょうど町ではお祭りムードで盛り上がっていたところだったのではと思われます。
田辺に訪れるのがあと1,2週間ずれていれば弁慶祭が見られたんですけどね。ちょっと残念…

さすが地元!
このような(↑)お酒もあるのですね!
地元民の弁慶を愛する心がこのようなところからもうかがい知れます。

次回,この地における弁慶の動静と,田辺の勇・別当湛増及び熊野水軍について検証したいと思います。

風林火山(第45回)

2007年11月12日 | 大河ドラマ

とうとう一つの山場である桶狭間の回になりました。
いままで多くの時代劇ドラマを見ましたが,今川義元が登場しない桶狭間は見たことがあっても,織田信長が一切登場しない桶狭間を見たのは今回が初めてのような気がします。
まあ番組としても織田信長の配役を選ぶのは難しかったのかもしれませんし,残りわずかな放送回にわざわざ新たなキャラクターを登場させる必要もなかったのでしょう。

信長が登場しなかったことはさておき,今回の桶狭間は,期待させておいた割にはあまり面白い内容には思えませんでした。
これはやはり主人公が山本勘助であることが全ての元凶なのかもしれません
勘助が,実は義元を桶狭間に向かうようにし向けた黒幕であるような演出に力を入れる一方で,実際の進軍,城攻略などは全て報告のみ。
挙げ句の果てに,谷間の狭い地形であるはずの桶狭間が十分広い場所のように見え,いくら油断していたとしてもあの状態であそこまで鉄砲隊の侵入を許すのはどうかと思われますし,狭い土地の利を利用しないあんな攻撃の仕方では,義元を討ったとしてもすぐに数に勝る今川勢に取り囲まれて織田勢は全滅するものと思われます。
更に言えば,今川勢の泥酔状態を強調した方が良かったでしょうね。

ということで,あっけなくお亡くなりになってしまった今川義元サマ。
番組の当初から何かと勘助に絡んでいた義元サマを演じた谷原章介さんお疲れ様でした!
また王様のブランチでお会いしましょう!?

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熊野古道を行く(おまけ)

2007年11月10日 | 旅日記,郷土の歴史


熊野本宮を歩くと,上の写真のような三本足のカラスにお目にかかれるでしょう。
これは「八咫烏(ヤタガラス)」と呼ばれるものです。

本来,カラスというのは不吉な生き物のような感じがしますが,実は神の使いとして方角や道を示したり,案内をしたりとなにげに良い鳥である言い伝えもあるようです。
この熊野においては,神武天皇が東征に赴いた折,熊野の山中で道に迷い,その際にカラスが現れて導いたという言い伝えがあり,現在のシンボルとなっているようです。

三本足なのは,主祭神である素戔嗚尊の神徳である智・仁・勇もしくは天・地・人を表していると言われています。

さて,今回の旅の土産として,熊野牛王神符(くまのごおうしんぷ)を入手しました。
上の写真がそうなのですが,この中には88羽のカラスがいるそうです。
数えられるでしょうか?
この神符は歴史小説や時代劇などでもよく登場するのでご存じの方も多いかもしれませんが,古の契約書,誓約書として使われていました。
もしも誓約を破ると熊野大神の使いであるカラスが一羽亡くなり,本人も血を吐き地獄に堕ちると信じられていたようです。
今では主に厄除けに使われるようですが,熊野大社で神前結婚式を行う際にも,誓詞の裏にはこの神符が貼られているとのことです。
もし別れたりしたら地獄に堕ちてしまうのでしょうか!?

ともあれ,このおカラスさんたちに導かれ,私の運気もよい方向に導いてもらいたいものです

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風林火山(第44回)

2007年11月05日 | 大河ドラマ
もはや武田信虎同様,駿河に追い払われた者として二度と劇中に登場することはないと思われた寅王丸が帰ってきました。
長尾景虎の上洛と今川の桶狭間との繋ぎの話として一見うまく作られた話のように思えましたが,以下の理由によりなんとなく腑に落ちませんでした。

理由その1
今回,寅王丸が甲斐への刺客として利用された目的は,長尾景虎の上洛中の越後に武田が攻め入ることを封じるために一時的に武田家の中枢を麻痺させるということだったはずですが,肝心の武田家では,今回のドラマ内容を見る限り,せっかく大将のいない越後に全く侵入しようとする気配が見られませんでした。
脚本の筋を通すのであれば,今にも武田軍がこれ見よがしに越後に攻め入らんと緊迫した状況の中で寅王丸が信玄の命を狙うといった構成にしないと,寅王丸が単なる「咬ませ犬」と成り下がり,今回1話分さいた意味が全くなくなってしまいます。

理由その2
さらに,「長岌」というリアルの名で於琴姫のもとにナイスな坊主を演じて参上し,どう考えても信玄には正体がバレバレの状態で,しかも暗殺方法として信玄が於琴姫のところへやってくるのをひたすら待って暗殺を実行しようと計画していたことからして,まず暗殺者としては失格であり,仮に信玄が於琴姫のところに訪れることなくそのまま越後攻略に軍をあげて出陣してしまったら,越後の宇佐見が目論んでいた「武田の中枢の麻痺」という目的は全く果たせず,武田軍は何事もなかったかのように越後に侵入していたことでしょう。


まあ,今回は武田側が「つかの間の平和でのんびりしていた」という状況だったからこそ寅王丸も信玄に近づけたと言うべきであり,そのような状況だったからこそ信玄もあえて寅王丸がどこかの刺客である可能性が高いことを承知で相まみえることができたと言うべきでしょう。
結果,三条夫人お付きの萩乃が寅王丸に刺されてしまいましたが,刺された萩乃さんには申し訳ありませんが,この程度では武田は微動だにしないと思います。
でも少なからず武田と今川の同盟に亀裂を入れる程度はできたかもしれませんね。

ちなみに寅王丸役の柄本佑さんは,あの柄本明さんの息子さんですね。
言われてみれば,どことなく似てる気がしました。
おそらく1話限りの大舞台。
お疲れ様でした

次回の桶狭間は楽しみです。
さすがに信長サマは登場しないかな?
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熊野古道を行く(第6回)

2007年11月03日 | 旅日記,郷土の歴史

前回の続き)
ようやくたどり着いた熊野本宮大社
ここまで来ると,観光客の数も格段に増えました。

熊野本宮大社は,現在の高い位置にある「本社地」と低い場所にある「旧社地(大斎原(おおゆのはら))」の2カ所に別れています。
明治22年までは,大斎原が本社であったようですが,この場所は熊野川の中州に位置しており,同年の大洪水によって被害を被り,現在の本社地に主たる部分を移したとのこと。

これが現在の大斎原(↑)。
田園地帯に必要以上に巨大な鳥居が現れ,その背後にある林のような森のような場所に,現在でもニニギノミコトほかの神様が祀られているとのこと。
時間の関係上,大斎原は遠くから見るだけになってしまったのですが,今の大斎原に残されているのは,祀られている神様分の石造りの祠程度のようです。
また洪水で流されてしまったら大変ですからね

長い階段を登ったところに本宮の山門がありました。
両脇に「人生の出発の地」「甦る日本の心!」との垂れ幕が…
わからないではないですが,個人的には何も書いてもらわない方が趣があって良かったと思います…

本宮大社本殿で祀られている神様は順に「伊邪那美大神」「事解之男神」「速玉之男神」「伊邪那岐大神」「素盞鳴尊」「天照皇大神」。
日本神話に登場する有名な神様が多いですね。
そもそも熊野本宮の由来は,崇神天皇65年,当時の熊野連のもとへ素盞鳴尊ほか2神が現れ,この地に社殿を造って祀りなさいとの神勅が下されたことが始まりと伝えられています。
なんとなく脅迫に基づく本社建立のような気がしますが(),そもそも神様は昔から絶対的な者のシンボルとして崇められてきたのであり,得てして我が国の由緒ある神社とはどこでもそのようなものなのでしょう。
ともあれ,古来よりこの地を目指して遠路はるばる旅してくる人々がおり,その人々が通った道が熊野古道として残され,この地一帯が世界遺産となりました。
このことはひとえに古の人々の厚い信仰がそこにあったからだと思います。
この地を大切にしようという人々の思いが欠けてしまったとき,おそらく熊野地方の世界遺産登録は解除されてしまうに違いありません。
今も昔もこれからも,我らの誇れる世界遺産を守っていきたいものですね

熊野本宮大社の公式サイトはこちらをクリック
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