果報は寝て待て!

浮世は疲れることばかり…
いそがず,あせらず,のんびりいきましょう。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

功名が辻(第8回)

2006年02月27日 | 雑談

今回の「功名が辻」は,番組が始まって以来,はじめて上川隆也氏が光ったような感じがしましたね
敵将三段崎勘右衛門の弓に対峙する一豊。
その恐怖に一瞬血の気が引いた一豊でしたが,目の前にある功名に向かって突っ走るその気迫は,本来なら射殺されていたであろう勘右衛門の放つ矢の軌道をも曲げ,見事勘右衛門を討ち取りました!

原作にもありましたが,吉兵衛が一豊に刺さった矢を抜くシーンは,ほんと痛そうでした~
上川氏の演技が「おお~」と思ったのはその後のシーン。
矢傷でうまくしゃべれなくなった一豊が,顔の右側の筋肉だけでしゃべると,まさにこんなしゃべりかたになるだろうなあ…と思わせる非常にうまい表現でした

しかし,射られると腕や脚が吹き飛ぶとか言われていた勘右衛門の矢に当たっていた人たちって,意外と普通の射られ方でしたねぇ。

さて,今回ようやく西田敏行さんの徳川家康が登場しました。
一見パッとしないような家康ですが,信長の使者である一豊への質問とはっきりしない回答から,信長が次にどこを攻めるのかを見極めた不気味な怖さを自然に再現していました
これからも,この不気味さが楽しみです。

ちなみに,今回の三谷公方様のお顔はやたら真っ白でしたね
なにげにホモっぽくしたそうだったけど,さすがに三谷さん,演技に自分を捨て切れていませんでした


あと一言,お千代さんが一豊の出陣にペアのラブラブ手ぬぐいを渡していたですねえ。
いいですねえ…うらやましいですねえ…

というわけでまた来週!

コメント (4)

鬼怒川温泉(その1)

2006年02月26日 | 旅日記,郷土の歴史

土日を利用して,久々に仲間内でのんびり温泉に浸かりに行って参りました

今回訪れましたのは,東武浅草駅から特急で約1時間50分の栃木県鬼怒川(きぬがわ)温泉郷です。

回ってみる気になれば,遊ぶところは結構あるかもしれない鬼怒川方面なのですが,あいにくの雨により,観光巡りはほとんどパス
まさに飲んで,食って,湯に入って,寝て…というある意味すばらしいひとときでした…

夜の宴会では,同行した仲間の一人が,ミニ版の「人生ゲーム」を準備してきていたので,みんなでプレイ(残念ながらホリエモンバージョンではありませんでした
考えてみると,「人生ゲーム」なんか小学生以来やってなかったので,懐かしさを感じながらプレイしておりましたが,以前ではなかった「ジャングルでの遭難イベント」や「地域の物産購入」などマニア心をくすぐる新たな要素が盛り込まれており,ナニゲに燃えました
しかし,鬼怒川まで来て一番印象に残った出来事が,上記の「ジャングル遭難イベント」で遭難したことであるというのも,ある意味人生の悲哀を感じずにはいられませんが…
そういえば,ゲーム中でゴッホの絵を25万ドルで購入して破産した猛者の方にも笑わかせてもらいました

というわけで,今回の幹事様,ご苦労様でした
同伴のみなさまもおつかれさまでした

コメント (10)

金メダルの価値

2006年02月24日 | 写真とひとりごと

なかなか手の届かなかったトリノのメダル
誰もが待ち望んだメダルがようやく本日もたらされました。

ちょうど今朝,朝食をとる時間にリアルタイムで放送されていた女子フィギアスケート・女子シングルフリーの部で,まさに荒川静香選手が演技しようとするところでした。
荒川選手の力強く,安定した演技に,思わず朝食の箸も止まり,テレビに見入ってしまっていました。
耐え難いプレッシャーの中,強豪コーエン,スルツカヤがそれぞれミスってしまう中,荒川選手は見事に氷上で舞い終えました。
普段クールな荒川選手が演技後に見せた爽やかな笑顔がすごく印象的でしたね

大量のメダルが日本にもたらされたアテネ五輪に比べ,トリノでのメダルは寂しい限りですが,今回努力の人・荒川選手のもたらした一つの金メダルは,数では言い表せない貴重な価値があるような気がします

コメント (8)

雪に臘梅

2006年02月22日 | 写真とひとりごと

残業,もしくは午前様になる飲み会が連日のように続き,ブログもおろそかになってしまって恥ずかしい限りです
もうじき冬も終わってしまいそうな雰囲気。
というわけで,冬に撮っていた写真でちらほらと小話でもしたいと思います。


雪の殿ヶ谷戸公園をふらふら散策していたとき,ホウキで通路を掃いていた管理人の方が,カメラを持って歩いていた私に気付いたのか,「あっちに臘梅が咲いてるよ」と教えてくれました。

なるほど,臘梅が咲いていました。

本来ならほのかな香りが漂ってくるところなのでしょうが,風雪のために匂いを楽しむことはできませんでしたが,雪の白から黄色の花が芽生えてくるような,雪の少ない東京ではあまり見られない臘梅の姿を見ることができました。
寒い日でしたが,臘梅の黄色がなんとなく暖かさを醸し出してくれるようでした。

臘梅が咲いている間は,もうしばらく冬は続くでしょう。
けど,もう梅も開花したとの話も聞きました。
春はすぐそこですね

<本日の一句>
臘梅や積もれる雪に咲きにけり  ぴえる

コメント (4)

功名が辻(第7回)

2006年02月19日 | 大河ドラマ

第5話で子だくさんであることが判明した新右衛門さん。
最初は一豊や吉兵衛との単なる痴話話かと思った新右衛門一家のお話は,まさに今回第7話のための布石であったのでしょうか。

単身赴任続きで家に帰ってこない新右衛門さん。
身重の奥さん一人で7人の子どもたちをがんばって育てて早幾年。
日頃の疲れがたまってか,とうとう奥さんはダウンしそのまま帰らぬ人に…

意外としっかりしている子どもたち。
死の間際,母は子らに一言ずつ別れの言葉をかけます。
しかし,その中で「おまえは暴れん坊だから…」と言われた腕白トクジロウくん。
反抗期真っ盛りなのか,日頃から帰ってこない父にたいしては猛反発。
母の死も父のせいにしてしまう微妙な少年の心。
挙げ句の果てに一豊や千代にまで八つ当たり。
父に怒鳴られて,とうとうトクジロウくんは出て行ってしまいました

一豊らはトクジロウ捜索本部を開設。
手分けしてあちこち探すことになりますが,さすが千代さんが主人公のドラマ!
真っ暗で手探りでなければ先にも進めないような山道や洞窟にどんどん入り込み,ダウジング以上の精度で適格にトクジロウの現在地を探り当てました

トクジロウを連れ帰って一件落着。
濡れネズミになって帰ってきた吉兵衛に「おまえはみんなに探してもらっていいなあ」と言われ,トクジロウはなぜか改心。
それからトクジロウは,父の留守をしっかり守るよい子になったとさ。
めでたしめでたし

…という内容でしたが,大河ドラマ1回分を潰すほど意味のある内容だったかといえば,はっきり言って否でしょう!
どちらかといえば,今回の功名が辻は,朝の連ドラを見ている感じがしました

今回は浅井長政役の榎木孝明さんの,信長暗殺阻止の一言の場面のみが見所だったと言うべきでしょうか…

あと,気休め程度にガラシャ少女時代が登場しましたね。
気が付いたらあの女の子も,突然ハセキョンに成長するんだろうなあ…

来週の内容は,おそらく原作の小説でもハラハラした場面だと思うので,どのようにドラマで再現されるのか楽しみです。

では,また来週~

コメント (8)

金曜時代劇「出雲の阿国」総括

2006年02月17日 | TV番組,アニメ,ゲーム
密かに毎週楽しみにしていたドラマ「出雲の阿国」が本日最終回を迎えました。
戦国時代を舞台とするドラマといえば,大抵,信長や秀吉といった戦国武将たちの生き様が描かれることが多いかと思われますが,その点この「出雲の阿国」では武将,剣豪云々の話などはほとんどなく,そのような暗黒の時代に生きた一芸人にスポットが当てられているところに,ある意味新鮮さがあったドラマであったと思われます。

自分のやりたいこと,夢の実現のために出雲の田舎から旅立った阿国。
現代で言えば,さしずめアイドルや歌手になるために上京してきた少女といったところでしょうか?
興業は成功を収めたものの,この手のドラマには欠かせない仕事と恋愛の駆け引き
も阿国を苦しめることになりますが,最後には一踊り子としての生き方を選びました。
自分のことだけでなく,自分の踊りを喜んでくれる人々に対する思い,自分を支えてくれる仲間への思いも決して忘れない阿国。
この情熱的でかつ優しい心を持った舞姫・阿国を,菊川怜さんは非常に良く演じていたと思います

さらに私の一押しは,阿国を常に影で支えていた青年・傳助役の鈴木一真さんのあのキャラクターです
好きな女性に思いを伝えることができず,しかし誰よりもその女性を守り続けていくその姿は,まさに「ベルばら」のアンドレ的で,このようなキャラに,私は非常に弱いです
どう考えても三九郎なんかより全然いい男だと思うんですが,阿国はなびきませんでしたねえ…

ちなみに,三九郎役の堺雅人さんは,「新撰組!」で山南敬助を演じていたときにはもの凄いはまり役で,山南敬助が自刃したときはショックを隠せなかったくらいですが,今回のドラマの三九郎は,キャラがキャラだっただけに,そんな気持ちにはなりませんでした
しかし,いつも同じような細目で薄笑い顔の堺雅人さん(笑)が,ここまで山南敬介と正反対のキャラを演じていたところに,新たな発見があった気がします

最後に付け加えて言わせていただくと,阿国を追ってきた九蔵って,見た目すごく嫌なヤツみ見えますが,出雲の田舎で阿国をずっと待ち続け,挙げ句の果てには阿国を追って京まで上り,最後の最後まで阿国の気に留められることがなかったという,実はすごく可愛そうな方で,密かに同情してしまう私なのでした

全6回という回数の割には,よくまとまっていた番組だったと思います
というわけで,またひとつ楽しみにしていた番組が終わってしまいました。
来週からは,以前放送されていた村上弘明さんの柳生十兵衛が再放送されるので,また楽しみです
コメント (8)

忘れ去られた展覧会の絵

2006年02月15日 | 音楽と私
最近、仕事にハマリ続けている私ですが、今日は輪をかけて最悪な一日でした…(+

風邪で休んでいる人もおり、ただでさえ人手不足の折、予期せぬ客、予期せぬ照会、予期せぬ苦情のオンパレード!

夕方くらいには、「た、頼む…ワタシに本来の仕事をやらせて…」と、頭の中が廃人の状態になってました

ほぼ死人状態となって、帰りの電車の中で呆然としながら、ポータブルCDプレイヤーでユージン・オーマンディ指揮の「展覧会の絵」を聞いていましたが、今までたいした名演とも思わなかったこのCDが、なんだかやたら素晴らしい名演に聞こえました!(実は8年くらい聞いておらずお蔵入りしていました)

なんとなく精神力が回復した感じがしました
ちょっぴりオーマンディとムソルグスキーに感謝です♪

クラシックのCDが我が家に推定250枚以上はあるのですが,一度だけ聞いてほとんど聞いていないものも結構あるかも…
たまには紐解いてみると,今日みたいに意外と新たな発見ができるかもしれませんね
コメント (14)

寿福寺(その2)

2006年02月13日 | 旅日記,郷土の歴史


↑北条政子の墓

寿福寺その1からの続きです)

寿福寺の裏側は,墓地になっています。
そこには岩盤をくりぬいて作られたいくつもの房(やぐら)があり,その中に墓や石塔が立てられているのを見ることができます。

その中には,寿福寺を創建した北条政子の墓もありました。
そして,政子の墓に沿うように,隣のやぐらには政子の次男・三代将軍源実朝の墓が立てられていました。


↑源実朝の墓

頼朝の死後,鎌倉幕府は陰謀渦巻く地になりました。
二代将軍頼家は妻の実家である比企氏を重用したために,北条氏をはじめとする有力御家人により比企氏は滅ぼされ,頼家は修善寺に幽閉後暗殺されます。
自らの息子であり,自らが補佐した頼家が,時代の大きな流れにより消されることを,政子は甘受するほかなかったのかもしれません。
むしろ,頼朝の築きあげた鎌倉を守るため,自ら進んで頼家を亡き者にしたのかもしれませんね…

そうして三代将軍となった実朝。
1219年鶴岡八幡宮において,実朝が頼家の子公暁に暗殺されてしまうまで,我が子を補佐せんとした尼将軍政子は,その死後も,実朝をそばで見守っているのかもしれません。

実は本日2月13日(陰暦1月27日)は,歳時記によると「実朝忌」にあたるそうです。
金槐和歌集」を遺している彼の歌人としての功績は大きく,寿福寺でも毎年実朝忌が修されているということです。
俳人高浜虚子も「鎌倉に実朝忌あり美しき」という句を詠み,この地を愛した虚子もまた寿福寺の墓地に眠っています。

<参考:建保7年(1219年)1月27日の吾妻鏡の記載>
(出展は,サイト「三浦三崎ひとめぐり」から引用させていただきました。)

1月27日 戊子 霽、夜に入り雪降る。積もること二尺余り。
  今日将軍家右大臣拝賀の為、鶴岡八幡宮に御参り。酉の刻御出で。
  (中略)
  夜陰に及び神拝の事終わる。漸く退出せしめ御うの処、当宮の別当阿闍梨公暁石階の
  際に窺い来たり、劔を取り丞相を侵し奉る。その後随兵等宮中(武田の五郎信光先登に進む)
  に馳せ駕すと雖も、讎敵を覓むに所無し。或る人の云く、上宮の砌に於いて、別当闍
  梨公暁父の敵を討つの由名謁らると。
  (中略)
  遂に悪僧敗北す。阿闍梨この所に坐し給わず。軍兵空しく退散す。諸人惘然の外他に無し。
  爰に阿闍梨、彼の御首を持ち、後見備中阿闍梨の雪の下北谷の宅に向かわる。膳を羞むるの間、
  猶手を御首より放さずと。

この直後,執権北条義時は緊急評定により公暁追討をを決定し,公暁はあっけない最期を迎えます。
実朝は,この右大臣拝賀の儀式に出発する前に,館の梅を見ながら次のような歌を詠んでいます。

  出でいなば主なき宿と成ぬとも軒端の梅よ春をわするな
幼い頃から陰謀の中に生きてきた実朝…自らの死をも予感していたのかもしれません
それに比べて私は…

<本日の一句>
我はまだ現在(いま)をも見えぬ実朝忌  ぴえる

コメント (4)

功名が辻(第6回)

2006年02月12日 | 大河ドラマ
トリノの合間に大河ドラマ!
ということで,今週も功名が辻についてコメントです。

やってきました新右衛門さん一家!
50石取りの一豊さんちでみんなで元気に居候
一気に家計は苦しくなり,着物を売ったり,露天商までやってみたり。
(しかしあのにわか露天商,仲間さんが「トリック」で街頭ペテン手品師をやっていたときの光景を彷彿させました
おかげで千代さん,自分の食い分を食べずやりくりした結果,倒れてしまう始末…
なんとも健気ではありませんか,若妻お千代さん

ちなみに一豊家の家計に支えられてようやく食べていけるくらいの新右衛門さん一家。
いままで新右衛門さんはどうやってあれだけの家族を養っていたのでしょう?

それに比べて,新右衛門さんとは対照的に,吉兵衛さんは一徹ですねえ。
「丸に三ツ葉柏」の話を語るときの得意気な様子といい,ミニ家老様のようでした


さて,本日は明智光秀と将軍足利義昭が初登場でした。
三谷将軍サマは,キャラがそのまま生かせてGOODでした
しかし,明智光秀役の坂東三津五郎氏は,ちょっと年輪の深みがありすぎるの気がします…
去年の「国盗り物語」では光秀役の渡部篤郎氏がハマリ過ぎていたので,板東光秀になじめるかどうかちょっと不安…
和久井映見さんのお濃と見事なほど釣り合ってませんでした!

というわけで,また次回お会いしましょう!
コメント (10)

寿福寺(その1)

2006年02月10日 | 旅日記,郷土の歴史

去る秋に訪れた鎌倉の名刹巡り,今回は鎌倉五山第三位の寺,寿福寺をご紹介します。
正治2年(1200年),北条政子が臨済宗の開祖栄西禅師を招いて建てたお寺です。

この地には,もともと政子の夫頼朝の父である源義朝の館があった地であると伝えられています。
以前,当ブログにおいて紹介させていただきました源氏山の東麓に位置し,そのことからも,源氏代々ゆかりの深かった場所であったことがうかがえます。

残念ながら,現在境内は非公開とされています。

他の鎌倉五山(建長寺や円覚寺など)のように境内が公開されていないため,なんとなく参拝者にとっては物足りない感が否めませんが,この山門から本堂に至るほどよい参道を歩いているだけでも,なんだか心が静かになっていく感じがします。

<本日の一句>
寿福寺や秋の参道陽が降りし ぴえる

ちなみにこの寺が建てられたのは,夫・頼朝の死の翌年にあたります。
政子は頼朝の菩提を弔うためにこの寺が建てられたと言われています。
しかし,頼朝の墓は,鶴岡八幡宮の東方にひっそりと存在し,この寺の位置関係からも菩提を弔うには効率がいいとは思えませんけど…
なお,この年は年始めから,御家人たちにとって讒言が脅威の存在であった梶原景時父子が,謀反の疑いありとして誅されました(梶原の乱)。
せっかく作り上げられた将軍中心とした武家政権は,御家人たちの陰謀と野望の温床となり,その後も鎌倉幕府は血の歴史を刻んでいくことになります…

参考までに,寿福寺建立についての吾妻鏡の正治2年の記載を掲載します。

閏2月12日 戊戌 晴
  尼御台所の御願として伽藍を建立せんが為、土屋の次郎義清が亀谷の地を点じ出す。
  これ下野国司の御旧跡なり。その恩を報ぜんが為、岡崎の四郎義實兼ねて草堂を建て
  るものなり。今日、民部の丞行光・大夫屬入道善信件の地を巡検すと。 

閏2月13日 己亥 晴
  亀谷の地を葉上房律師栄西(後に僧正に昇る)に寄付せられ、清浄結界の地たるべき
  の由仰せ下さる。午の刻、結衆等その地に行道す。施主監臨し給う。所右衛門の尉朝
  光御輿に供奉す。義清仮屋を構え珍膳を儲くと。未の刻、堂舎(寿福寺なり)営作事
  始めなり。善信・行光等これを奉行す。

7月15日 己巳
  金剛寿福寺に於いて、新図十六羅漢像の開眼供養を遂げらる。導師は当寺の長老葉上
  房律師栄西なり。尼御台所御聴聞の為に参堂有りと。

(出展は,サイト「三浦三崎ひとめぐり」から引用させていただきました。)

次回に続きます。

コメント (2)

戦国自衛隊

2006年02月08日 | TV番組,アニメ,ゲーム

先週と今週放送された「戦国自衛隊・関ヶ原の戦い」は,当初想像していたよりも非常に楽しめたドラマでした。

下手に時代に忠実な内容を再現する時代劇より,最初からフィクションと思って安心して見られたというのも一つの要因でしょうか。
この前やってた「風林○山」なんかよりずっと良かったと思います(笑)

結局,過去に飛ばされた自衛隊隊員の中で,唯一の勝ち組は,賀来千香子といっしょになった布施博ということになるのでしょうか?
それとも,石田三成として命の炎を燃やし尽くした渡部篤郎か?

結末としては救われないストーリーでしたが,下手にハッピーエンドに終わるより現実的な気がしました。
隊員一人一人にもちゃんとエピソードが用意されていたのもグッドでした!

ちなみに小早川秀秋は1602年まで生きたはずですが,あんな関ヶ原の同年に討ち死にしてしまったらタイムパラドックスが…

その他,先週から今週に至って気付いた点を箇条書きにしてみますと…

・戦国の世にタイムスリップした先に,自動車が通ったと思われるワダチが…

・「鉄の鳥」,「動く鉄の箱」を自然に受け入れる,順応性の高い戦国の人々

・主従とは思えないほど息の合っている,リアル兄弟・津川雅彦氏と長門裕之氏

・第1回で自衛隊にさんざん数を減らされたはずなのに,まるで数が減っているように思えない小早川軍

・女忍者が戦車を動けなくした秘術が謎
・あいかわらず一城の主とは思えないほど自由奔放な小早川秀秋

・松方弘樹,島左近というよりは遠山の金さん

・もはや石田治部少輔になりきりご満悦の渡部篤郎氏。その彼に対し「全然似てないぞ!」と駄目出しする藤原竜也クンの妙!

・演習用の弾薬しかなかったはずなのに,ほとんど弾切れのないマシンガン

・さすがに忍者は強かった。ゲリラ戦法でヘリも撃破!でもなんでついでに弾薬庫まで爆破しなかったの?

・戦車に対する火攻めトラップ。あれだけの油をどこから…

・天下分け目とは言い難い,関ヶ原の規模の小ささ

・サトエリ,ラストで発情!急にどうした!?(もともと好いてたっけ?)

・反町の残したドッグプレート。400年も神社に同じ縄が残っているのか?

以上,突っ込みどころも満載で,非常に楽しいドラマでした!!

コメント (8)

功名が辻(第5回)

2006年02月06日 | 大河ドラマ

今回の「功名が辻」は,千代とお市大地真央)の心のふれあいがテーマでしたね。
千代は愛する殿御と最後まで連れ添うことになる一方で,浅井に輿入れしたお市はその後数奇な運命を辿り,悲劇の最期を遂げる…
さらにお市の残す姫,茶々が,未来の一豊と千代の運命を翻弄させることになろうとは,新婚ほやほやの千代さんには知る由もなかったことでしょう。
その運命の女性,お市の方とのつかの間のふれあい…
小袖やナマ板(笑)といったたわいのないアイテムを通して,互いに持っていない何かに憧れを感じていたのかもしれません。
(ちなみにこのまな板代わりにしていた升は,山内家の家宝になったみたいですね。)

このドラマのさらに憎い演出は,お市のことを秀吉が好いているという設定です。
これって,悲劇をさらに悲劇にする仕掛けでしょうか?
あと数回後,私の予想する光景が演出されるか否か,不謹慎ながら楽しみだったりもします

また,今回は今後一豊と出世街道をともに歩いていく堀尾吉晴生瀬勝久)と中村一氏田村淳)も大々的に登場。
田村淳が思ったより自然な演技をしていたのにはびっくりしました
生瀬氏は「トリック」でのおちゃらけ刑事のイメージが強すぎて(),おそらく真面目な堀尾吉晴をどう演じるのか今日の段階では見極められませんでした。
今後のこの二人,実はこのドラマのダークホース的みどころかも…と密かに期待!

ちなみに,今日の信長さまの赤いお着物…めちゃくちゃ似合ってませんでしたっ!!

では,今回はこの辺で…

コメント (10)

劇団四季「オペラ座の怪人」

2006年02月05日 | 雑談


昨日,久々に「劇団四季」の公演を見に行ってきました。
場所は汐留の「四季劇場<海>」
公演は言わずと知れた「オペラ座の怪人」です。


この作品は数年前に一度,確か赤坂の四季劇場で公演されていたときに見に行きましたが,そのときにハマってCDも買って聞いていました。
そして数年公演がありませんでしたが,去年あたりから復活。
ようやく再びお目にかかることができました。

あいかわらずクリスティーヌの歌う「スィンク・オブ・ミー」は名曲です
携帯電話にまだ「作曲機能」が付いていた時代,自分でこの曲を一音一音手入力して登録させた記憶があります

今日のクリスティーヌ(確か沼尾みゆきさんだったか?)は,前半は声が伸びきっていなかった感じがありましたが,後半はバッチリでした
クリスティーヌ役は5名ほどいらっしゃるみたいですが,一度,全員の歌を聞き比べてみたいですね。

ファントムやラウル子爵については特にコメントありません

コメント (10)

節分に恵方巻

2006年02月04日 | 写真とひとりごと

昨日は節分でした。
節分といえば豆撒き…という光景も都会ではあまり見られなくなりました。
そのかわりに,いつのまにか広まった風習,恵方巻

私が幼い頃にはそんな風習の存在など全く知りませんでしたが,それもそのはずで,この風習は明治期に廃れ,1977年ころ大阪の海苔問屋組合が海苔販売促進のために行った行事から恵方巻の風習が見直され,全国的に広がったということのようです。

というわけで私の職場でも近所のコンビニから恵方巻をまとめて予約購入し,みんなで丸かじりしておりました。

今年の恵方南南東とのことで,私もその方向に向かってもぐもぐと食べていましたが,全部食べ終わった後,自分が向いていた方向は実は南西だったことが判明!
あまりにおマヌケなワタシ…今後の運命はいかに…

恵方巻の行事とは別に昨夜は職場の歓送迎会がありました。
わいわい騒いで,結局帰りは午前様…
そこに待っていたものは…


<本日の一句>
節分や夫帰りて豆捲かれ  ぴえる


コメント (18)

源頼朝の墓

2006年02月02日 | 旅日記,郷土の歴史


鶴岡八幡宮から東に少し歩いた小高い丘に,源頼朝公の墓があります。

平治の乱後伊豆に流され,流人として青春時代を過ごした頼朝は,後に平家政権に対し不満を持つ関東武士を統率,様々な武断的政略を用い,1192年には鎌倉幕府を開くまでに至ったことは,このブログをご覧になっている皆様の方がよくご存じかと思われます。

この栄誉ある頼朝公ですが,鎌倉幕府を開くまでのこの人の歴史については一般によく知られているのですが,その後,死去までの話というのはあまり大っぴらに知られてはいないのではないでしょうか?

頼朝は1199年1月13日に死去されたと伝えられていますが,その死因については,落馬したとか溺死したと暗殺されたとかまちまちです。
おもしろいのは,鎌倉幕府公認の日記書「吾妻鏡」によると,同年1月の記載には,どういうわけか頼朝死去の記事が載せられておらず,2月の記事でいきなり次の将軍に頼家が就いた話が出てきます。
少なからず,公表できない死因であったことがなんとなく窺い知れます。
(ウィキペディアの「源頼朝」の項目では,数々の死因も紹介されていましたので,こちらをご参照ください。)

彼の死後は,幕府内での有力御家人同士の謀反や陰謀が次々と起こります。
自らも,この地位に至るまで,兄弟,叔父らを次々と誅してきており,頼朝も,死に至るまでの間,部下や諜者がいつ自分の命を狙いに来るかと気が気ではなかったでしょう
墓所も,同じ鎌倉にありながら妻政子や子実朝とは離されています。
華やかな武家政権の統領という立場にいながらも,彼の心は孤独,死してもなお孤独なのかもしれません。

<本日の一句>
冬ざるる頼朝塔の孤独かな  ぴえる

コメント (16)