風邪です

2012-10-23 20:13:39 | インポート

こんばんは~、マリーで~す。

うちのおばはん、朝からまるで調子がわるいの。機嫌も悪いし、起き出しても咳はひどいし、足腰の関節は痛いしで、まるっきり風邪がひどいときの症状なんだけど、あの人、秋冬は毎年出だしはこんなだから、この間の高血圧の検診のとき、ちゃんと常備の薬はもらってきてあったから、咳止めに痰きりと解熱剤を飲んで一日おとなしくしてたわよ。明日暖かくなれば治ってくると思うけどさ、天気の様子がどうも心配よ。

あの人、昨日、天気予報見ないで寝ちゃったから、夜中にお布団をもう一枚出したんだけど、それでも冷えたのかなあ。今朝の咳はかなりだったのよ。うっかりしていて、また気管支炎にでもなるとどうしようもないのにさ、油断しすぎよ、あの人。

それでも今日は、眼鏡屋さんから申請の認可が下りた知らせが来たから一安心だわ。おばあさん眼鏡でも何でも、とにかくすぐに足元のバランスを崩して転びやすいんだから、旧式の遠近両用のほうが絶対無難よ。あの人の出かける都合で来週の木曜日にお店のほうにいくことになったの。とにかく転ばないようにしないと、せっかくの眼鏡も転んで壊したりしていたら大変よ。まったく情けないことになってきたもんだわ。

これってさあ、あの人のお母さんのほうの体質かもしれないわ。船橋の母方の叔母さんも腰がだめだったのよねえ。でも、お祖母さんはそんなでもなかったような気がするんだけど、今頃言ってもどうしようもないんだわさ。

明日は、何とか晴れてほしいとこだわ。あの人、今、あわてて天気予報を見たら、明日は雨は止むらしいわ。でも最高気温が21度くらいって、もう本当に秋の終わりに近いのね。皆様も風邪ひかないでね。

ほんじゃ、またね。

 


中山法華経寺と美智子様の正田家

2012-10-22 20:27:39 | インポート

昨日はうちのおばはん、転んで足腰や背中(ちょうどあの人の具合の悪いところばっかり)を打って、それもさあ、自分の部屋の中で転んだってのが相当ショックだったみたいだけど今日はぼちぼち気を取りなおしてきてるみたい。

それで、パソコンで調べ物をしながら、たまたま先日の皇后様のお誕生日の記事をみて、前からちょっと気になっていたことを思い出したのね。昔、うちのおばはんが「公園のお風呂ダヌキ」って言う、大人の心の中にいる子供のための童話を書いたとき、ある方が教えてくださったはなしでは、それを美智子様もお読みになってくださったっていうの。あの人のかかわっていた、今は亡きスペイン人の神父様が大変な有力者だったから、その辺からの伝でだと思うけど、とにかくそんな話だったの。

でも、家のおばはん、それを聞いてもあまりおどろかなかったし、そういうこともあるだろうなくらいにしか思わなかったのよね。なぜかって言うと、あの人のお父さんのほうの本家は鎌倉時代からの中山法華経寺のゆかりのいえだったから、法華経寺のことはお父さんや親戚からよく話しにきいていたわけよ。

それで、中山法華経寺の墓地には正田家のお墓があるのも聞いていたし、はるか遠い昔のご先祖様や法華経寺つながりのご縁を感じていたのね。それが、そういうこともあるだろうなあって思った理由だったの。だけどこの話、あの人はやたら誰にでも話したりしていなかったのよ。だって、あの人のお父さんが、自分で自分の宣伝をするようなみっともないことはするな、わかる人ならわかるものだって言ってたのよ。でもそれから30年近く経っちゃって、いろいろな目にあって、さすがのあの人も、お父さんの言うことはあんまり現実的じゃなかったって思ってるみたいだけどね。

まさか上に立つ人が、真実を隠したり、自分の利益のために人を利用したりすることもあるなんて想像もしてなかったの。まるでおバカさんだったし、たぶんあの人一生根本はそんなとこじゃないかなあ。三つ子の魂百までって言うじゃない。

それで長い間、自分からはそんな話はやたらに人に話さなかったの。でも、自分の書いたほかの作品もかなりお目にのぼったのはわかっていたのよ。それでいてやたら人を信じすぎるから、まさかまさかの目にあってたんだわ。あのとんでもないひどい、誹謗、中傷が流されていた時期のことも今にして思えばこの辺も関係してたのね。あの人のお父さんは、わかる人はわかるって言ったけど、わかっても、それを自分の利益に利用するために隠しちゃったりする連中もいるのは教えてくれなかったのよ。

でも、今はそんなことを言ってるときじゃないのよね。中山の法華経寺と美智子様の正田家のつながりの話し、昔と違って、最近は表に出てきてることがわかったの。前は法華経寺がどんなに古い歴史のあるお寺さんかも知らない人が多かったし、美智子様の正田家が法華経寺とゆかりだといっても、そんなはずはない、美智子様のご先祖なら隠れキリシタンだなんていうトンチキもいたわよ。日本のカトリックって層が薄いから歴史も何もわかってない信者もいるんだわ。情けないわよ。

今は市川市の地元の歴史愛好会とかいろいろなグループでも法華経寺のことをちゃんと伝えようとしているのよ。うちのおばはんにとっては法華経寺は代々のご先祖様につながる本当のふるさとの地。はるか昔の先祖たちもこの土地を歩いて、この土地で生きていた懐かしい場だから、「公園のお風呂ダヌキ」以前からのご縁をあの方にも感じるのよねえ。

でもって、今朝たまたま、いつものyahooやgooじゃなくてniftyのニュースを見たら、天皇、皇后、両陛下が原発事故の被災地で除染が進んでぽちぽち人が戻って住み始めた地域を見舞いに訪れたときの記事が出ていて、お二人が20キロ圏内でも防御服無しで入られたことが出てたのね。さすがだと思ったみたいよ。そりゃあ、お二人とももう70歳過ぎてるからとかっていうことはできるでしょうけど、やっぱり立派だわ。上に立つ人はこうでなくちゃいけないんじゃないの。ただし、放射能には子供や若い人に同じにしてほしいとは絶対思わないけどさ。

あの人、この20数年というか30年近くの年月、いろんなことがあったんだけど、こうしてみると、人間も年月がたつと、本当の姿が見えてきちゃうのよね。こういうお二人と、ほんの一瞬のようなものでも、かかわりのようなものがあったというのは、今のあの人には心の中の宝物なのね。それは中山のはるか昔のご先祖様からのプレゼントみたいな気がするんですって。

だってさあ、あの人が子供の頃から、終わりのないものがほしいだの、永遠のものにあこがれるようになったのは、やっぱり、お寺さんの地元だったことや、実のお祖父さんにあたる人がお坊さんだったりしてたのがどっかで関係してるんだと思うもん。

もうみんな亡くなっちゃったけど、遠藤周作先生や、河合隼雄先生、霜山徳爾先生といった方々とのかかわりだって、みんな見えないご縁の糸でつながっていたような感じだったのよね。それでここまで来ちゃったんだから、この先もたぶんそれなりの導きの手があるんじゃないのかしらね。

この先は、あたしなんかじゃわかんないんだけど、たぶん見えない手の導きはなくなっちゃうとは思えないんだわさ。

ってとこで、今日はおしまいね。 ほんじゃまたね。

 


今日は厄日

2012-10-21 18:53:42 | インポート

昨日の丸一日がかりだった部屋の片づけ物が響いたようで、今日は朝から調子が良くはなかったのだけど、それでも午後は出かけようかと思っていたのに、足元がよろついて畳のへりで躓いて転んで、弾みでそばの柱で頭を打ち、勢い余ってひっくり返ったので、背中と腰もいやというほど打った。めちゃくちゃである。

風邪気味のうえにこんな程度の段差で転んだり、ひっくり返ったり、本日はまったくの戦意喪失。参った、参った。

仕方がないので午後はずっとビデオを見ているだけだった。しかし、ジブリの「千と千尋の神隠し」、何度見ても飽きない作品だと思う。後はドラマの「相棒」も飽きない。頭をぶつけたのはちょっぴり気になるが、今回は弾みで後ろにひっくり返ったから、眼鏡を壊さなかったのは不幸中の幸いだ。眼鏡を壊すとビデオをみるどころではなくなるところだった。

後は右腕に広い範囲の擦り傷、今日はほんとに散々だった。

ひとつだけ安心したのは闘病中の上尾の知人が消息不明になった日からずっと緊急入院していたことがわかり、まあ、それほど重いじょうたいでもないらしいことがわかってほっとしたこと。そして、小倉でのB-1グランプリも無事に終わったことだった。

 追) 今入院中の知人の状況を読んできた。簡単にはいかないらしい。この病気、普通に考えると手術や放射線、薬といったところを考えるのだが、それいじょうの手段が必要なのに、敵である病気の攻撃で当人の体のほうが弱っていて細菌感染をおこしやすいみたい。心配だ。

 

 


B-1グランプリin北九州今日から

2012-10-20 07:04:59 | インポート

北九州はちょっと遠いけど、それでもこれは書かないわけにはいきません。昨日から、日経ワガマガ以来の友人知人たちが現地にでかけています。こちらをごらんください。

    http://www.b1-kitakyushu.jp/

言うべきことは多々ありますが、どうも言葉にまとまりません。現地の皆様、応援の皆様、個人的には特に、浪江やきそばにはご注目ください。 


本日は、業務連絡

2012-10-19 17:18:49 | インポート

こんにちは~、マリーで~す。今日は朝早く、うちのおばはんを叩き起こして、荻窪病院に行かせたのよ。そしたらあの人、歩きながら半分居眠り状態でもって、荻窪警察署の信号のところで赤なのに渡っちゃったら、ちょうど警察のくるまに見られちゃってて、おまわりさんが窓から首を出して、赤信号でわたっちゃ駄目って注意されてんのよ。まったく、あの人ときたらもう何やってるんだかもう、ほんとに、こっちが恥ずかしいんだわ。

荻窪病院の整形外科には、この前来た時、日本医科大で撮ったレントゲンや何かの記録もCDになったものを持参したし、前回と同じ先生の筈だから、少しは話が通じるかと思ったら全然駄目で、あの人も嫌になって、はじめ、これならさっさと別の病院に行こうかとか思ったみたいなの。

だけど、はたと気がついて、これまでの事情を知らない一般の人とか、病院とかに、おばはんが自分で本当のことをそのまま話しても今日の荻窪病院の整形外科の堀内先生でなくとも、簡単には信用するわけがないから、話がごちゃごちゃするのが落ちだってわかったの。それで、堀内先生にもう一度頼みなおして、直接他所の整形外科にあのひとが自分だけで話を持っていくのではなくて、堀内先生から荻窪病院の脊髄の専門の先生に紹介してもらって、その先生のところから、また通院しやすそうな適切な病院に紹介してもらう形にしないと駄目だって気がついたの。

なにしろ生保だし、四谷あたりからちゃんと話を通してくれないと、お医者さんもあの人を全然知らないから適当にしか扱わないのよ。たとえばこの間の老眼鏡だって、日医大の眼科で検眼しなおしたら、あの人の今の視力眼鏡をかけて0.2と0.5なの。どうしてそんなことになったかって言うと、福祉事務所が前回、老眼鏡を作り直すのを認めてくれなかったから、おばはんも仕方なく、近視の眼鏡の度を弱くして作ってもらったから、今では近くも遠くもよく見えないの。今回は眼鏡屋さんがおばあさん眼鏡でも見えるほうがいいからってふるい形のかっこ悪いものになるけど遠近両用で申請してくれてるんだけど、今回も福祉事務所が認めてくれなかったりするとおばはん、片目0.2のままかもね。

整形外科も似たり寄ったり、あの人、ないお金から腰をかばえる2本杖を自分で買ったりしてるけど、お医者さんが適当だと介護認定や包括支援センターに相談しに行くにも差し支えてくるのよね。介護認定ったって、おおげさなことじゃなくて、重いものを3階から下に下ろす手助けとか何だけど、介護認定の申し込みって当人でないとだめなんですって。だからまだ体が動くうちに区役所に行って相談するようにって勧められてるのよ。それもこれもお医者さんの診断が関係してくるから、ちゃんと診てもらえるところでないと困るんだわ。

亡くなった誰かさんが絡んでいた河北や衛生病院は向こうも嫌がっているし、こちらもありがたくないわよ。前の苦長だの某製磁家だのも絡んでずいぶんだったんだもんね。言いたくはないけど福祉事務所は何にも知らなさすぎるんだわ。鬼や鬼婆ほどには行かなくても、人を散々利用するようなおえらいさんもいるんだから。今の四谷はその辺は知らないのかもね。

とにかく、今後のためにも整形外科のちゃんとしたお医者さんに見てもらえるようにならないと、あの人もどうしようもないんじゃないのかしら。あの人がカトリック教会のために多少は役に立つと思うのだったら、お医者に見てもらったり、眼鏡を作ったりくらいは何とかしてほしい気がするわよ。

なんかあの人の愚痴の代弁をしちゃってる感じ。でもさあ、これは抛っておかれちゃ困るんだわ。今日、病院で次の予約は11月16日の11:30~の河野先生で、当分まだまだ時間があるけどとりあえず、こんなとこでおしまいにしとくわ。

ほんじゃまたね。

 

 


伝説や物語の生まれるところ

2012-10-18 13:49:57 | インポート

こんにちは~、マリーで~す。

昨日の「相棒」の最後に来週の予告がちょこっと出てきて、カイト君のお父さんが右京さんにむかって、あんなのが自分の息子だなんて忘れたくなるよ、とかって言ってたの覚えてるかしら? 初回のときもお父さんはカイト君に親孝行だと思って警察を辞めろって言ってたわよね。

親子の間に何があるのかしらねえ。来週はカイト君、ボクシングなんかもやるみたいだし、家のおばはんに付き合って見ているあたしも、なんか興味津々よ。来週が楽しみなんだわさ。

だけど、家のおばはんは今、どうもドラマは脇において、現実の事件のニュースに興味津々みたいなのよねえ。いつもだったら、こんなニュースはすっ飛ばして、あんまり見ない人なのに珍しいこともあるもんだわ。今、だいぶ騒がれている尼崎の大量殺人事件よ。

あれってさあ、やたらたくさんの人が出てきて何が何だか良くわからないって、あの人、細かく調べ始めたら、これがまたとてつもない話なのよね。長い期間にこれだけ大勢の人がかかわっていて、それも殆どが親戚とか身内よ。それでどうしてこんなことになっちゃったんだか、すっごく不気味なの。

どうして誰もこの吸血鬼婆をなんとかしようとしなかったのかしら。いや、出来なかったのかなあ。とにかく不思議で不気味で、恐ろしいのよね。ほんでもって、これを調べていたら他にも、似たような事件で北九州で起こった大量殺人の話も出てきて、うちのおばはんなんかびっくり仰天よ。

あの人が今まであっと驚いた事件ていったら、あのとんでもないやつが小学校に入り込んで大勢の子供たちを殺傷した時のこととか、秋葉原の通り魔大量殺人とかだったら、さすがに大きなニュースになったから知ってるけど、一見、普通の人が、よそのお宅にいつの間にか入り込んで、いつのまにか、そこのうちの親類身内まで取り込んで殺し合いをさせて、一族を滅亡させちゃった話なんて、見たことも聞いたこともなかったわよ。

どうしてそんなことになっちゃったんだか、わけがわかんないわよね。それでも、家のおばはん、いろんな記事を読み比べているうちに、思い浮かんだのが、安達が原の鬼婆伝説だったわけよ。

安達が原の鬼婆伝説のほんとのストーリーは大量殺人事件とはかけ離れているんだけど、人をとって食う鬼婆という存在が日本人のこころに生まれてきたのはたぶんそれなりの何かがあったんじゃないのかしら。今は昔の話だから、現代みたいな生活とはかけ離れた時代よね。

現実にか比喩(たとえ)かは別としてさ、その昔、生きるためには、人をとって食うか、自分が飢えて死ぬか、なあんていう、極限の状況に陥った時代の記憶が物語りや伝説の鬼婆を生み出したんじゃないかしら。尼崎や北九州のとてつもない大量殺人事件も突き詰めていくと、要は(自分が食べて生きていく)お金のために、他の人たちを殺した(比喩的に言えば食べた)形は違うけど、鬼、鬼婆になっちゃった人の物語みたいな気がするんだわさ。

時代は変わっても人間が生きていく状況はいつの時代も土台はあんまりかわらないから、油断していると鬼婆にとって食われることだってあるんだわ。ご用心、ご用心よ。 ほんじゃまたね。

おまけ)

今日はこんなところで終わりにしようと思っていたんだけど、さっき、うちのおばはんがフェイスブックのお友達のところを見たら、こんなニュースが出てたのね。

         新しい記念日について
 「福者ヨハネ・パウロ二世教皇」は、2011年度より典礼暦に<WBR>加えられました。同記念日を日本の典礼暦に加えることについては<WBR>、2011年7月7日付で日本カトリック司教協議会から教皇庁典<WBR>礼秘跡省に申請し、同年十月三日付で承認を得ましたので、「任意<WBR>の記念日」として、10月22日(月)に加えられます。    <WBR>      (『毎日のミサ』より)

うっかりしていて、うちのおばはんは忘れるところだったけど、史上初めて日本にも来られたたった一人のパパ様で、カトリック教会の福者に列福されているヨハネ・パウロ二世の記念日というのがあって、任意の記念日だけど、10月22日なんですって。あれからこの世界にはずいぶんいろいろなことが起こってきたけど、あのパパ様の働きがなかったら、下手をすると世界はどうなっていたかわからないのよねえ。忘れたりしちゃいけないんじゃないの?ほんとの平和は平和ぼけの口先だけのものではなくて、世界中を飛び回って働いていらっしゃったあの方の行動力を見習わなくちゃいけないのかもね。

ほんじゃ、今度はほんとに、あしたまたね。 

 


相棒 Eleven-2 

2012-10-17 18:37:58 | インポート

今日は水曜日。今期の相棒Elevenも第2回目です。ところで、相棒の公式フェイスブックページはご存知でしょうか。先ほど見たら、第1回のちょっと前に始まったフェイスブックページに、すでに「いいね」の数が7000を超えて、更にどんどん伸びていました。

 

今、見たら更に増えていました。さすが相棒です。

それはよいとして、本日の話はオークションをめぐる殺人事件ですが、面白かったのは事件自体より、右京さんとカイト君の新しいコンビの様子が気になる捜一の三人や、隣の部屋の暇課長と大木、小松の二人、いや、それどころか内村刑事部長と中園参事に、カイト君の父親、つまり、周囲で二人の動向を見守る人たちの様子です。

ギクシャクしている二人の関係が軌道に乗るにはまだもうちょっと時間が必要なのでしょうね。来週の話が待たれるところです。

 

 


真面目と真面目なお遊び

2012-10-16 19:47:28 | インポート

こんばんは~、マリーで~す。

今日は朝から、うちのおばはんのポッケの中に入ってずっと一緒にあっちへいったり、こっちへいったりしてたの。出だしの上野毛教会では順調だったのよ。あの人、この1年以上ずっと、上野毛教会の講座から離れてたから、なんと今日行ったら、ひとつのテーマのちょうど最終回にあたっちゃってたの。たしかこのテーマの始まりの頃に行かなくなっちゃってたのよね。なんか面白い偶然なんだわさ。

最終回だけは間に合ったテーマっていうのはね、アビラの聖テレジアのこれも有名な「霊魂の城」っていう本で、これを中川神父様の解説でずっと読んできていたわけ。今日は最終回で、霊魂の城の総まとめみたいなところだったの。ちょっとさあ、これじゃ、うちのおばはんも調子がよすぎると思わない。ずーっと休んでいて一番おいしいところだけ食べに来たみたいな感じよ。

あの人ったら、今日の神父様の解説を聞いてやたら、なるほど、なるほどって納得してんの。ほんとにわかってんのかしらってこっそり聞いてみたんだけど、信仰のセンスって言葉であの人、昔々、祈りについて四ツ谷では一番影響を受けた神父様がよく「絶対者には頭を下げる」ってことをたびたび教えてたんですって。今日の話を聞いてなぜかそれを思い出したんですって。何が起こってもそこに神様のご意思が働いてそういうことになったのなら、人間のちっぽけな考えを超えたもっと大きな神様の理由があってそうなってるのだから、人間は自分の小さな思いでではなくて、神様の計らいを信じて受け入れて頭を下げる姿勢が大事だってことらしいのよ。

自分の気持ちがどうこうじゃなくて神様の思し召しには従っていくって言うのが一番大事なんですって、そう教わったのよねえ。確かにそれは大筋としては正しいんだと思うわよ。何しろ文句もあるけど今でもやっぱり尊敬してる人の言葉だから忘れないのね。

やっぱり小さな自分を探していたんじゃどうしたって神様には出会えないだろうなあって思うわよね。ほんでもってさ、とにかく1年遅れちゃったけど、ここから初めに戻って霊魂の城を読んでみようって気になったみたい。次のテーマは次のテーマとして、一度通し読みする価値はあるって今になって思ったみたいだわ。

だけどさ、正直に言うと現実はいろいろととんでもないことが多いから、あの人だって「相棒」のカイト君じゃないけど文句もあるし、反抗心もあるし、時々それで暴走もするんだけどな。相手も一個の大切な人間だけどさ、こちらだって自分を大切にする権利と義務もあるんじゃないの。正義というものもあんまり無視しちゃいけないんじゃないの? ただ、それでもそこをも乗り越えなきゃいけないのよね。出来るのかねえ、あの人に。

まあ、とにかく始まったばかりだし、どうなっていくか見てるしかないわ。あ、そうそう、あしたは水曜日だからあの人の「趣味のページ」の日ね。時々、お遊びの日もないと続かないじゃない。信仰の話からいきなり、「相棒」に移ってもあきれないでね。どっちも本当にあの人なのよ。

てわけで、きょうはここまでよ。 ほんじゃまたね。

 


アビラの聖テレジア

2012-10-15 19:46:54 | インポート

こんばんは~、マリーで~す。

今日は陽気も暖かくて、動き回ると汗ばむくらいだったから、うちのおばはんなんかは足腰の痛みも軽くなってだいぶ調子がよかったみたいよ。ほんでもって、あの人、四ツ谷の昼ミサに行ったんだけど、今日はカルメル会のアビラの聖テレジアの祝日だったから、ミサのお説教も大聖テレジアの祈りのこととか、念祷の話だったの。

大聖テレジアが自分の祈りの本にいつも挟んでいた祈りの言葉って、うちのおばはんの好きな、今も部屋が狭いから冷蔵庫の横の壁に貼ってある祈りの言葉だったの。現代語の訳とちょっと言葉が違うけど、おうちに貼ってあるのはこんなのよ。
  

  何ものにも心乱されず  何をも怖れるな
  すべては過ぎ去る  神のみ変わらず
  耐え忍ぶとき  すべてをかちえる
  神に生きる人には  欠けるものはなし
  神のみにて足りる

うちのおばはんには、大聖テレジアのたくさんの著作物はどうも肌に合わなくて、ちゃんと読めたのは完徳の道と創立記で、後は自伝がなんとかかんとか、まだ十字架の聖ヨハネの言ってることのほうがピンと来る気がするんだって。だけど、完徳の道は、これは本物だっていうのよねえ。何が基準なんだかあたしにはわからないんだわさ。

たぶんどうもあの人には異性に対する恋にも似た思いだの、愛だの、友情だのって感覚がよくわかんないのよ。純日本人なんだわさ。神様への思いも恋心に似たものより、絶対者なるお方への帰依の心、子供が親を慕うような思いでしか捕らえられないのね。しょうがないじゃない、生まれ育った文化が違うんだもん。 

それよりも大聖テレジアが大切にした「念祷」についてだったらかなりよくわかるような気がしてるみたいよ。完徳の道に出会う前に、プロテスタントの頃、カルメル会の人とは知らずに、CLC出版ていうプロテスタントのほうの出版社で出ていた、ラウレンシオ修士の「神の現存の体験」ていう本を読んでいたんだけど、祈りのことではすごく役に立つ本だったの。そのころは念祷なんて言葉も知らなかったんだけどね。

大体、プロテスタントの教会で祈りっていったら、みんなであつまって声に出しての嘆願の祈りが主で、沈黙の祈りとか、神様との個人的な語り合いのことはあまり教わらなかったのよ。ただ、あのひとのおうち、お父さんのお父さんに当たる人が実はお坊さんだったとかで、お父さん自体も意外と宗教的な人だったから、あの人も小さいときから、人間より大きな何者かが存在しているって感覚は親から伝えられていたのね。でもって、そのお方はいつもそばにいて、声に出さなくてもちゃんと自分の心を知っているんだって思っていたらしいのね。それで、声に出さない祈りっていわれてすぐにどういうことかわかったの。

だから、お祈りする時、大聖テレジアが台所仕事をしながらでも祈ることはできると言った意味もすぐわかったの。マルタとマリアのうち、マリアはイエスの傍らにいてイエスの言葉を聴く存在だっていうけれど、マルタだって家事や雑用で、イエスのそばにいつもいられなくても、心がいつもイエスに向いていたら、仕事をしながらでもイエスの言葉に耳を傾けることも、イエスと語り合うこともできるんじゃないの。イエスに心が向いていないと雑音しかきこえないけどね。

それはとにかくさ、ラウレンシオ修士の話に戻るけど、何十年もたってから上野毛教会に行ったら、中川神父様の講座でこの方の話が出てきたの。カルメル会の祈りって、なんとなく、普通の生活とかけ離れた生き方をしないと体得できないようなイメージがあるけど、そうじゃないのよね。ラウレンシオ修士(ブラザー・ローレンス)の祈りや生き方は普通の生活の中でも十分可能なのよね。

あの人、今日はそんなことを思い出して、大聖テレジアの会はすごいなあ、大聖テレジアがカルメル会のためにしたたくさんの仕事はやっぱりすごいなあって、あらためて感心してたの。それで明日、上野毛の講座に行くのを怠けたりしたらこれはちょっと情けないわよね。あしたはあの人をあたしの目覚まし時計機能の最大の音でたたき起こすつもりよ。

そんなわけできょうはここまでよ。ほんじゃまたね。