信仰年のミサに行った

2012-10-14 18:04:05 | インポート

こんにちは~、マリーで~す。時計を見たらもうすぐ5時なのね。うちのおばはんに付き合ってビデオを見てたから全然気がつかなかったわよ。朝、あの人をたたき起こしたのが5時で、もう夕方の5時っていうか、17時なんだもん、どうしてこう時間が経つのって早いのかしら。

今日はねえ、午前中は、うちのおばはんと一緒に東京カテドラルってとこの、信仰年開始のミサに行ったのよ。信仰年てなんだって? その辺はあたしに聞かれてもよくわかんないわよ。うちのおばはんだってよくわかんないんじゃないかしら。

あの人、若い頃はプロテスタントの信者だったから、何年も日曜学校の先生をして子供たちに聖書の話をしてたのよ。だから今でも、聖書ってどういうことが書いてあるのかとか、キリスト教ってどういうことを教えているのかとかなら、聞かれればちゃんと答えられるわよ。難しい話もできる限り子供でもわかる言葉で、わかる形で説明するのは慣れてるのよね。

あのさあ、ほんと言うと、あの人があたしや、お風呂ダヌキさんや。ブルドッグの子犬の頑固丸を登場させるようになったのもその辺が土台になってるのよ。キリスト教の説明の延長だったってわけ。

だからその辺はそんなに難しくないんだけどねえ、信仰年とか信仰ってあらためて構えられちゃうと,どうも偉い大司教様や、神父様のお説教を聴いても、あの人もなんかいまいちよくわかんないみたいよ。

ただねえ、このところツイッターでアメリカの猫先生が現代のユダヤの人たちの話を時々、いろいろな形で書いているの。ユダヤの人たちって言ってもイスラエルにいる人たちのことっていうわけじゃなくて、東欧、西欧各地に散らばっている人たちね。

うちのおばはんなんか、ほんのちょっぴりその世界を垣間見るだけなんだけど、それでも考えてみればすごいことじゃないの。アンネの日記のアンネの民族は旧約聖書の時代にまでさかのぼれる歴史があるのよね。そして、長い長いあいだ虐げられてきた歴史があるわけよ。

第二次世界大戦の後、イスラエルという国ができるまでずっと領土のない、国のない民族だったの。そしてイスラエルが生まれてからもあいかわらず住み慣れた国にユダヤの民族として残って住み続けている人たちもたくさんいるわけよ。

でもってさあ、よその国に住んでいれば、やっぱり何かと考え方や生き方の違いでぶつかることもあるし、いじめや迫害はしょっちゅうだったわけ。今でもユダヤ人て言うと嫌われ者だったりしてるしね。それが極端な形になったのがナチスのユダヤ人迫害でしょ。

それでもユダヤの人たちが民族としてひとつにまとまり続けて、よその国に同化して消えてしまったりせずに生き残ってきたのはユダヤの人たちの信仰があったからなの。キリスト教にとってはユダヤ教は本来、生みの親、母体なんだけど、長い長い年月、別々に歩んできちゃってるのね。でも、ユダヤの人たちの信仰の強さは、他の宗教の信者だって軽視しちゃいけないんじゃないの。

今の時代はたくさんの価値観がありすぎて、何がなんだかわけのわからない時代だけど、本当に守らなくてはいけないもののためには命も惜しまなかった民族がいるっていうことは忘れちゃいけない。考えなくちゃいけないことみたいな気がするのよ。

なんか、いやに長話になっちゃった。そろそろやめとくわね。うちのおばはん、まだビデオの続きが気になってるみたいだしさ、この辺で終わりにしとくわ。

ほんじゃまたね。