中山法華経寺と美智子様の正田家

2012-10-22 20:27:39 | インポート

昨日はうちのおばはん、転んで足腰や背中(ちょうどあの人の具合の悪いところばっかり)を打って、それもさあ、自分の部屋の中で転んだってのが相当ショックだったみたいだけど今日はぼちぼち気を取りなおしてきてるみたい。

それで、パソコンで調べ物をしながら、たまたま先日の皇后様のお誕生日の記事をみて、前からちょっと気になっていたことを思い出したのね。昔、うちのおばはんが「公園のお風呂ダヌキ」って言う、大人の心の中にいる子供のための童話を書いたとき、ある方が教えてくださったはなしでは、それを美智子様もお読みになってくださったっていうの。あの人のかかわっていた、今は亡きスペイン人の神父様が大変な有力者だったから、その辺からの伝でだと思うけど、とにかくそんな話だったの。

でも、家のおばはん、それを聞いてもあまりおどろかなかったし、そういうこともあるだろうなくらいにしか思わなかったのよね。なぜかって言うと、あの人のお父さんのほうの本家は鎌倉時代からの中山法華経寺のゆかりのいえだったから、法華経寺のことはお父さんや親戚からよく話しにきいていたわけよ。

それで、中山法華経寺の墓地には正田家のお墓があるのも聞いていたし、はるか遠い昔のご先祖様や法華経寺つながりのご縁を感じていたのね。それが、そういうこともあるだろうなあって思った理由だったの。だけどこの話、あの人はやたら誰にでも話したりしていなかったのよ。だって、あの人のお父さんが、自分で自分の宣伝をするようなみっともないことはするな、わかる人ならわかるものだって言ってたのよ。でもそれから30年近く経っちゃって、いろいろな目にあって、さすがのあの人も、お父さんの言うことはあんまり現実的じゃなかったって思ってるみたいだけどね。

まさか上に立つ人が、真実を隠したり、自分の利益のために人を利用したりすることもあるなんて想像もしてなかったの。まるでおバカさんだったし、たぶんあの人一生根本はそんなとこじゃないかなあ。三つ子の魂百までって言うじゃない。

それで長い間、自分からはそんな話はやたらに人に話さなかったの。でも、自分の書いたほかの作品もかなりお目にのぼったのはわかっていたのよ。それでいてやたら人を信じすぎるから、まさかまさかの目にあってたんだわ。あのとんでもないひどい、誹謗、中傷が流されていた時期のことも今にして思えばこの辺も関係してたのね。あの人のお父さんは、わかる人はわかるって言ったけど、わかっても、それを自分の利益に利用するために隠しちゃったりする連中もいるのは教えてくれなかったのよ。

でも、今はそんなことを言ってるときじゃないのよね。中山の法華経寺と美智子様の正田家のつながりの話し、昔と違って、最近は表に出てきてることがわかったの。前は法華経寺がどんなに古い歴史のあるお寺さんかも知らない人が多かったし、美智子様の正田家が法華経寺とゆかりだといっても、そんなはずはない、美智子様のご先祖なら隠れキリシタンだなんていうトンチキもいたわよ。日本のカトリックって層が薄いから歴史も何もわかってない信者もいるんだわ。情けないわよ。

今は市川市の地元の歴史愛好会とかいろいろなグループでも法華経寺のことをちゃんと伝えようとしているのよ。うちのおばはんにとっては法華経寺は代々のご先祖様につながる本当のふるさとの地。はるか昔の先祖たちもこの土地を歩いて、この土地で生きていた懐かしい場だから、「公園のお風呂ダヌキ」以前からのご縁をあの方にも感じるのよねえ。

でもって、今朝たまたま、いつものyahooやgooじゃなくてniftyのニュースを見たら、天皇、皇后、両陛下が原発事故の被災地で除染が進んでぽちぽち人が戻って住み始めた地域を見舞いに訪れたときの記事が出ていて、お二人が20キロ圏内でも防御服無しで入られたことが出てたのね。さすがだと思ったみたいよ。そりゃあ、お二人とももう70歳過ぎてるからとかっていうことはできるでしょうけど、やっぱり立派だわ。上に立つ人はこうでなくちゃいけないんじゃないの。ただし、放射能には子供や若い人に同じにしてほしいとは絶対思わないけどさ。

あの人、この20数年というか30年近くの年月、いろんなことがあったんだけど、こうしてみると、人間も年月がたつと、本当の姿が見えてきちゃうのよね。こういうお二人と、ほんの一瞬のようなものでも、かかわりのようなものがあったというのは、今のあの人には心の中の宝物なのね。それは中山のはるか昔のご先祖様からのプレゼントみたいな気がするんですって。

だってさあ、あの人が子供の頃から、終わりのないものがほしいだの、永遠のものにあこがれるようになったのは、やっぱり、お寺さんの地元だったことや、実のお祖父さんにあたる人がお坊さんだったりしてたのがどっかで関係してるんだと思うもん。

もうみんな亡くなっちゃったけど、遠藤周作先生や、河合隼雄先生、霜山徳爾先生といった方々とのかかわりだって、みんな見えないご縁の糸でつながっていたような感じだったのよね。それでここまで来ちゃったんだから、この先もたぶんそれなりの導きの手があるんじゃないのかしらね。

この先は、あたしなんかじゃわかんないんだけど、たぶん見えない手の導きはなくなっちゃうとは思えないんだわさ。

ってとこで、今日はおしまいね。 ほんじゃまたね。

 


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