伝説や物語の生まれるところ

2012-10-18 13:49:57 | インポート

こんにちは~、マリーで~す。

昨日の「相棒」の最後に来週の予告がちょこっと出てきて、カイト君のお父さんが右京さんにむかって、あんなのが自分の息子だなんて忘れたくなるよ、とかって言ってたの覚えてるかしら? 初回のときもお父さんはカイト君に親孝行だと思って警察を辞めろって言ってたわよね。

親子の間に何があるのかしらねえ。来週はカイト君、ボクシングなんかもやるみたいだし、家のおばはんに付き合って見ているあたしも、なんか興味津々よ。来週が楽しみなんだわさ。

だけど、家のおばはんは今、どうもドラマは脇において、現実の事件のニュースに興味津々みたいなのよねえ。いつもだったら、こんなニュースはすっ飛ばして、あんまり見ない人なのに珍しいこともあるもんだわ。今、だいぶ騒がれている尼崎の大量殺人事件よ。

あれってさあ、やたらたくさんの人が出てきて何が何だか良くわからないって、あの人、細かく調べ始めたら、これがまたとてつもない話なのよね。長い期間にこれだけ大勢の人がかかわっていて、それも殆どが親戚とか身内よ。それでどうしてこんなことになっちゃったんだか、すっごく不気味なの。

どうして誰もこの吸血鬼婆をなんとかしようとしなかったのかしら。いや、出来なかったのかなあ。とにかく不思議で不気味で、恐ろしいのよね。ほんでもって、これを調べていたら他にも、似たような事件で北九州で起こった大量殺人の話も出てきて、うちのおばはんなんかびっくり仰天よ。

あの人が今まであっと驚いた事件ていったら、あのとんでもないやつが小学校に入り込んで大勢の子供たちを殺傷した時のこととか、秋葉原の通り魔大量殺人とかだったら、さすがに大きなニュースになったから知ってるけど、一見、普通の人が、よそのお宅にいつの間にか入り込んで、いつのまにか、そこのうちの親類身内まで取り込んで殺し合いをさせて、一族を滅亡させちゃった話なんて、見たことも聞いたこともなかったわよ。

どうしてそんなことになっちゃったんだか、わけがわかんないわよね。それでも、家のおばはん、いろんな記事を読み比べているうちに、思い浮かんだのが、安達が原の鬼婆伝説だったわけよ。

安達が原の鬼婆伝説のほんとのストーリーは大量殺人事件とはかけ離れているんだけど、人をとって食う鬼婆という存在が日本人のこころに生まれてきたのはたぶんそれなりの何かがあったんじゃないのかしら。今は昔の話だから、現代みたいな生活とはかけ離れた時代よね。

現実にか比喩(たとえ)かは別としてさ、その昔、生きるためには、人をとって食うか、自分が飢えて死ぬか、なあんていう、極限の状況に陥った時代の記憶が物語りや伝説の鬼婆を生み出したんじゃないかしら。尼崎や北九州のとてつもない大量殺人事件も突き詰めていくと、要は(自分が食べて生きていく)お金のために、他の人たちを殺した(比喩的に言えば食べた)形は違うけど、鬼、鬼婆になっちゃった人の物語みたいな気がするんだわさ。

時代は変わっても人間が生きていく状況はいつの時代も土台はあんまりかわらないから、油断していると鬼婆にとって食われることだってあるんだわ。ご用心、ご用心よ。 ほんじゃまたね。

おまけ)

今日はこんなところで終わりにしようと思っていたんだけど、さっき、うちのおばはんがフェイスブックのお友達のところを見たら、こんなニュースが出てたのね。

         新しい記念日について
 「福者ヨハネ・パウロ二世教皇」は、2011年度より典礼暦に<WBR>加えられました。同記念日を日本の典礼暦に加えることについては<WBR>、2011年7月7日付で日本カトリック司教協議会から教皇庁典<WBR>礼秘跡省に申請し、同年十月三日付で承認を得ましたので、「任意<WBR>の記念日」として、10月22日(月)に加えられます。    <WBR>      (『毎日のミサ』より)

うっかりしていて、うちのおばはんは忘れるところだったけど、史上初めて日本にも来られたたった一人のパパ様で、カトリック教会の福者に列福されているヨハネ・パウロ二世の記念日というのがあって、任意の記念日だけど、10月22日なんですって。あれからこの世界にはずいぶんいろいろなことが起こってきたけど、あのパパ様の働きがなかったら、下手をすると世界はどうなっていたかわからないのよねえ。忘れたりしちゃいけないんじゃないの?ほんとの平和は平和ぼけの口先だけのものではなくて、世界中を飛び回って働いていらっしゃったあの方の行動力を見習わなくちゃいけないのかもね。

ほんじゃ、今度はほんとに、あしたまたね。 

 


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