「第6回B級ご当地グルメの祭典! B-1グランプリin姫路」

2011-11-11 15:29:10 | インポート

思い起こせば今は昔のこととなりにけり。で、初めて思い切ってパソコンを買おうと決めた始まりは日経新聞のウェブサイトの人気コラムだった新日本食奇行を毎週ちゃんと読みたいというところからでありました。

それに元々は和文のタイピスト、写真植字のオペレーターといった仕事を長年勤めていた経験と、子供の時からの、親譲りの読書癖で、読むのも書くのも全然苦にならない。

というわけで機械を買って使い方さえ覚えれば文章作成など簡単々々とパソコンを買い込み、まず始めてみたことのひとつが当時の日経新聞のSNS、「WagaMaga」でした。そこで知り合った方々とのお付き合いはWagaMagaが廃止された後の今も、あちらこちらのSNS上で続いていて、中でも大きいグループがfacebookに移動したグループと、uhuruの方のグループでしょうか。もっとも両方参加している方も多いのですが。

そして、Waga系のグループの中に食奇行以来のメンバーの方々がいて、今も活躍しているわけです。

そンなところから各地の食文化で地域起こしをしていくことができないかということで始まったのが「B-1グランプリ」だったように記憶しています。間違っていたらごめんなさい。

今年の「B-1」が明日と明後日、姫路で開催されます。参加、応援に行く知人たちがそれぞれの行動を開始しています。当方、現地にはいけないのでせめてここで宣伝などしようと思っています。

   http://ameblo.jp/torimotsu/entry-11074288369.html

これはその中の甲府とりもつのグループの作っているブログです。「B-1」についての詳しい記事も載っています。興味のある方はどうぞご覧ください。

ほかにも日本の食文化に関連している方々がそろって出かけています。いけずな京女さんのブログも二日間は多分姫路一色になるかと思われます。味の素氏は果たしてどうなるのか、しかし少なくとも味の素の「ノ ミカタ」は、現地でも活躍することと思います。

というわけで、土・日は姫路から目が離せません。


今週の相棒10-4・・・こうも不況が長引きさえしなければ

2011-11-10 11:05:05 | インポート

夕べの『相棒10-4』の話です。実は昨日は当方自身、お金の話でごたごたしていて、今日もuhuruのほうにはその話を書いたくらいです。今の時代、国も個人も今や実に大変なのです。

昨夜の『相棒』はこんな時代ならではのお話しで、中小企業の運送屋さんの社長が殺されて発見されたところから始まりました。残されていた書類は借金の関係ばかり。1課の刑事さんたちだけでは手に負えない数字の山。

というわけで元2課にいた右京さんが借り出されて数字の計算に追われる場面、流れている音楽はいつも「相棒』の中では、うんざりモードの場面で使われている音楽だったのには笑えました。

苦労して数字の山を計算していってわかったことは、会社が大赤字であり、倒産しておかしくない状態を、高利の闇金融からの融資でなんとか保たせていた事実。更に調べていくと、闇金融の取立てに苦しんでいた被害者が同時に、その闇金融にせっつかれて、他の会社の取立てをする側になっていた事実も出てきました。

従業員にも慕われる良い経営者だった被害者はいったいどうして、誰に殺されたのか。

『相棒9』の、ボーダーラインという話の中では、今の時代の社会の構造に押しつぶされていく個人を描いていましたが、今回は人を雇って使う側もまたこの時代の波に翻弄されている状況を語っているのでした。

いったい、どこでどうなってこの国の歯車が順調に回らなくなってきたのか、実に考えさせられます。日本の経済が右肩上がりの時代に青年期を過ごした当方、あのバブルを境に始まった日本の低落状況、いまだにどこか信じられない思いですねえ。

けれども、世界経済はユーロ圏を中心に危ない瀬戸際に立っているし、今はいいけれどいずれ、中国の状況が変わった時を想像すると実に恐ろしい。ドラマの世界どころではなく、この時代は大きな転換期にたっているのでしょう。

 


映画 『三銃士 王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』

2011-11-09 10:05:05 | インポート

今日は水曜日、夜9時からは『相棒10-4」ですぞ!!

それはさておいて、本題に入ることにして、「三銃士」の話しは、昔々、まだ子供の頃、NHKラジオの夕方の子供向け番組で、連続ラジオドラマの三銃士を聞いて以来大好きだ。アトス役が確か神山繁さんだ。おとなになってから原作を読んで、更にその面白さがわかった。

『三銃士 王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』の予告を見たとき、これはぜひ見にいこうと思っていた。これはただの子供の頃から知っているあの三銃士とは別物のようだと思ったわけだ。

というわけで実際に映画を見に出かけた。どうせなので3Dで見ることにした。

結論を言えばこれは元の三銃士や、ヨーロッパ史の知識が多少でもあったほうが断然楽しめるだろうと感じた。すばらしい出来の娯楽作品だ。これまで見た3D作品の中では一番気にいった。事前に読んだほかの方たちの感想がすべて、ストーリーや音楽の点数が低いのが気になっていたのだが、ストーリーの中心は、本来の『三銃士』をそのままに、そこにハチャメチャナな舞台設定、人物設定を持ってきたというところか。とにかくこちらには面白く楽しめる作品だった。

少なくともあの飛行船対飛行船の戦闘シーンや、王宮の場面、可愛い王様と王妃さまはもう一度みてみたい。ストーリーが気に入らない方でも、全体の絵のすばらしさは認めるのではなかろうか。正統的な西洋チャンバラ+SFマンガチックな娯楽映画としてみるなら、これは十分に面白い作品だろう。

 


11月は自分の誕生月

2011-11-05 16:13:36 | インポート

気がつけば、いつのまにか今年も11月。 今月は自分の誕生月で、さすがに多少の感慨も湧いてくるというもの。

若くして死んでしまった母の経験していない年月を自分は生きているわけで、実は今頃になってやっと自分の母親と自分との関係について正しく見直せるようになった。長女で一番上の子、若かった父母にとって初めての子供だったから大事にされてきたことは自覚している。

今にして思えばそれが自分の性格の土台になっているとも言ってよいのだろう。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。いまだにちっとも変わらない、恐ろしいくらい変わらない。

母は子供のときから耳が遠かった。だから父は母の生前は我が家に電話を入れなかった。おかげで子供のこちらは二十歳過ぎてやっと電話のかけ方を知ったくらいだ。今でも実は電話は嫌いだ。用事でかける以外、かかってくるのがいやだ。なんとなくとまどってしまうのだ。

電話はまだしも、母は耳が遠かったから、子育てでもわが子にたいして心配のあまり、子供が何も言わなくてもすぐに察して自分でしてしまう親だった。要は過保護もいいところ。母は自分で子供の要求を言葉を介さずにすぐに察して自分でしてしまう反面、自分の要求を子供に言葉で伝えることもしなかったから、子供が反抗期になってきたとき、母娘の仲は猛烈に険悪なものに変わってしまった。子供のほうも言葉を介して母と話し合うということを知らなかったのだ。

初めての赤ちゃん、つまり私がまだお腹にいる頃、実家の祖父母の意見で父は我が家にいた飼い猫を遠くに捨てに行ったのだそうだ。猫が赤ちゃんに危害を加えるのを心配したのだ。でも、今思うと猫が好きだったのはどうも母のほうだったようだ。母は我が家の金庫番として浪費家の父とは正反対のしまり屋だったのに、大怪我をして我が家の庭に迷い込んできた子猫だったダボちゃんを犬猫病院に連れて行くお金は何も言わずに出してくれたのは母だった。

その前の飼い猫タマが、どこからか白い野良猫の友達を連れてきたときも母はその野良も我が家に受け入れて半野良のままでえさをあたえた。その白と名づけたメス猫がお腹が大きくなって、庭の物置の中で全員白猫の子供を生んだとき、家に入ることを許されているタマと違って、体を洗っていない白親子のいた物置はは猫蚤の巣になり、人間も物置に一歩入ると猫蚤がわっと飛びついてくるような事態になってさえ、母は猫の事に関しては全然文句を言わなかったのだ。あれは結局母自身が猫が好きだったためとしか思えない。

父は犬が大好きだったのだが、せっかくもらってきたポインターも母が嫌って手放してしまったのだそうだ。私が小学校4年のとき、盲腸をこじらせて1ヶ月以上入院して家に戻ったとき、父方の親戚の家から雑種の子犬をもらってきてやっと犬を飼ったのだ。母にとっては犬より猫のほうが好きだったらしい。

今の私の猫好きは何のことはない、母譲りだったのだろう。たった18年のつきあいだけで、お互いに分かり合えないまま死に別れてしまった母だが、今、母の生きていた年月と同じ44年の年月が、母の死後、過ぎてきた。そしてやっと今になって母を見直し、理解しはじめているところだ。

すれ違い母娘ですなあ。それにしてもいまだにこちらは小さい頃と同じく、相当に依頼心は強いし、いまだについ、言わなくても相手がわかっているはずだという錯覚に陥りやすい。ついそのつもりになっている。たぶん、この性格死ぬまでこんなものなのだろう。


今日見たもの

2011-11-04 18:16:44 | インポート

さて、今日は四谷の昼ミサに出かけてちょっと気味の悪いものを見てしまいました。夢に出てきそう。

前の席に座っていた年配の方の頭がちょうど目の前で、見るとはなしに目が向いて、ふと気がつくと白髪交じりの少し長めの髪の毛の間で何かが動いているではありませんか。目を凝らしてしっかり見つめているとそれは私の大嫌いなにょろにょろ、ぐにゃぐにゃと動く長もの、細い細い、でも毛虫ではない、何か気味の悪いうす緑の細長いはだかの虫で、髪の毛の中にもぐりこんではまた表に出てきたりを繰り返しているのでした。

思わず、ポケットのティッシュをとりだして、「失礼、虫です」と声をかけてぱっとつかまえました。細い細い虫は紙の間でつぶれてしまったようですが、気持ちが悪くて確かめもせずに「これ」とその方に渡しました。たぶん樹の下を歩いて上から落ちてきたのかもしれません。でも、目の前で髪の毛の中でうねうね動いている姿は実に気持ち悪い、気味が悪いものだったのでした。

自分の知らない間に自分の頭で髪の毛の中にあんな虫がうごめいていたらと思うとぞーっとしてきます。

先だって某知人が体調不良で精密検査を受けたところガンとわかり、これから治療に入るのです。今が働き盛りのお父さんですから、奥様もお嬢さんもさぞや心配なことでしょう。

元気でやんちゃな中年のその方が、自分で何も知らないうちに、いつの間にかその体のなかでガン細胞がうごめいていたというわけです。髪の毛の間でうねうねと動きまわる虫を見て、その方とその方の病気のことを思い出してしまったのでした。

ガンの治療は外から見ていても大変なものですが、この方が病気に打ち勝って、ふたたびみんなを楽しませてくださることを願ってやみません。ティッシュでつかんで退治できるものならいくらでも退治して差し上げたいところですが、そうもいかないのでせめて病気からの回復を願って真剣に祈るばかりです。

 


昨夜の『相棒』は

2011-11-03 12:48:19 | インポート

まず出だしはなんと口腔外科、とくればこれはたぶん大変な親知らずの抜歯を連想したのは、以前自分で経験していましたから。あれはもう本当に大変、泣かされましたっけ。

しかし、その前で気が進まないと足を止めたままの右京さんの目に入ったのが和装用の日傘、抜歯のことはどこへやら、持ち主の女性を追いかけて渡しに行く。そこからはなしは始まりました。

今回のはなしのテーマはひとくちに言えば、一組の男女の秘められた悲しい愛のもつれ。お互いに相手の愛を求めながら、プライドと真実をまっすぐに見つめようとしてこなかった40年の年月。ところが女性のほうが不治の病で余命半年とわかった時からはなしは更に複雑に。

その結果は、あっとびっくり。 

はなしとしては、これまでの社会的なテーマに比べれば重々しいはなしではないのだけれど、男女の愛という、普遍的な、複雑でわかりにくい世界。

結局、右京さんの親知らずはどうなるんでしょうねえ。

今回は受信状況が大幅に改善されて、ちゃんとはじめから最後まで、コマーシャルも含めて全部ワンセグで視聴できたもので、日ごろ、お酒の好きなSNSの知人たちが話題にしている、あの「ノ ミカタ」のコマーシャルもきちんと見ることができました。これ、のんべいさんたちの最強「の味方」のようです。

 


今夜は『相棒10』の第3回だ、今から楽しみ楽しみ

2011-11-02 12:47:43 | インポート

タイトルには『相棒10-3』が入っていても中身はこの時間、それどころではなく久しぶりの面倒な針仕事で午前中が終わり。やっとお昼で、今日こそは夕方のミサに行かねば。昨日も一昨日の無理がたたって調子が悪くてミサを休んでしまった。今日もこれでは聖歌隊は無理で、下の会衆席だ。知人の群馬人さんがアメブロでご自分のポーランドで仕事をしていらっしゃった頃の、ポーランドの「死者の日」の様子を書いていらっしゃった。写真を見ると本当にお盆だ。

日本での諸聖人や死者の日は殆ど一般には知られていない。ケルトの民俗行事だったとかいうハロウィーンは商業ベースに乗って、カボチャの飾り物がどこにでも見られるようになったというのに。

とりあえず、知人のブログのご紹介など。

     http://ameblo.jp/iio0907/entry-11065616871.html

 

 

 


放送劇に思う

2011-11-01 22:53:28 | インポート

子供の頃の我が家では、テレビが入ったのは他所の家庭よりもずっとおそかった。その代わりに父は子供にもラジオは与えてくれていたから、小学生の頃からラジオ放送には親しんでいた。なかでも楽しみだったのは当時の子供向けのラジオドラマだった。本を読むのも好きだったが、ラジオの放送劇という、音と台詞だけで成り立っている世界も大好きだった。

おとなになってからもかなり後々までラジオドラマは愛好していたのだが、放送時間の変化や自分の生活時間の変化でいつの間にか、ラジオドラマを聴かなくなっていたのだった。

ところが、今になって、パソコンの動画サイトを利用し始めてから、再びラジオドラマの世界を取り戻しているようだ。ラジオドラマのファンたちは、ドラマを再び甦らせることを望んだわけだ。いや、わたしもカセットテープで採ったラジオドラマを何作も残しておいてあったのだが、たびたびの引越しのときにほとんど処分してしまった。実に惜しいと思っている。こういう場をもっと早く得ていたらあの消えたドラマの数々も残せただろうにと思う。

いまさら言っても仕方がないが、一度放送された番組はよほど優秀な作品以外は消えてしまう。もったいないはなしだ。テレビドラマのように面白いものはDVDになったりしていつまでも人に見られていくものとはこの辺が大きく違うわけだ。昔のNHKの放送劇の数々、すごいものがいっぱいあったのだが、作者の著作権の問題もあるし、当時の技術の問題もあって、今、聞けるものは本当にわずかだ。

パソコンのサイトで、ラジオドラマの再放送の一部を聞けるとは夢にも思わなかったのが、先日、ふとしたことでそれを知ることができた。何のことはない、水谷豊さんのまだ見ていない動画がないかと検索していたところ、古い水谷さん主演のラジオドラマが丸ごと一作出てきて、それでわかったのだ。まあ、玉石混交で、これはというものから屑までいろいろだが、これは目を使わなくてすむのも有難い。

ラジオドラマ、つまり音と台詞だけの世界での演技のできる役者さんはなんと言っても本物だと信じていたので、水谷さんのこの作品を聞いて、来年のゴールデンウイーク頃に上映されるという新作映画『HOME 愛しの座敷わらし』が非常に楽しみになった。この演技力だ、刑事もの以外の世界でも十分にいきるだろう。普通の家庭の冴えないお父さん役も生き生きと演じて見せてくれることと思うのだ。