11月は自分の誕生月

2011-11-05 16:13:36 | インポート

気がつけば、いつのまにか今年も11月。 今月は自分の誕生月で、さすがに多少の感慨も湧いてくるというもの。

若くして死んでしまった母の経験していない年月を自分は生きているわけで、実は今頃になってやっと自分の母親と自分との関係について正しく見直せるようになった。長女で一番上の子、若かった父母にとって初めての子供だったから大事にされてきたことは自覚している。

今にして思えばそれが自分の性格の土台になっているとも言ってよいのだろう。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。いまだにちっとも変わらない、恐ろしいくらい変わらない。

母は子供のときから耳が遠かった。だから父は母の生前は我が家に電話を入れなかった。おかげで子供のこちらは二十歳過ぎてやっと電話のかけ方を知ったくらいだ。今でも実は電話は嫌いだ。用事でかける以外、かかってくるのがいやだ。なんとなくとまどってしまうのだ。

電話はまだしも、母は耳が遠かったから、子育てでもわが子にたいして心配のあまり、子供が何も言わなくてもすぐに察して自分でしてしまう親だった。要は過保護もいいところ。母は自分で子供の要求を言葉を介さずにすぐに察して自分でしてしまう反面、自分の要求を子供に言葉で伝えることもしなかったから、子供が反抗期になってきたとき、母娘の仲は猛烈に険悪なものに変わってしまった。子供のほうも言葉を介して母と話し合うということを知らなかったのだ。

初めての赤ちゃん、つまり私がまだお腹にいる頃、実家の祖父母の意見で父は我が家にいた飼い猫を遠くに捨てに行ったのだそうだ。猫が赤ちゃんに危害を加えるのを心配したのだ。でも、今思うと猫が好きだったのはどうも母のほうだったようだ。母は我が家の金庫番として浪費家の父とは正反対のしまり屋だったのに、大怪我をして我が家の庭に迷い込んできた子猫だったダボちゃんを犬猫病院に連れて行くお金は何も言わずに出してくれたのは母だった。

その前の飼い猫タマが、どこからか白い野良猫の友達を連れてきたときも母はその野良も我が家に受け入れて半野良のままでえさをあたえた。その白と名づけたメス猫がお腹が大きくなって、庭の物置の中で全員白猫の子供を生んだとき、家に入ることを許されているタマと違って、体を洗っていない白親子のいた物置はは猫蚤の巣になり、人間も物置に一歩入ると猫蚤がわっと飛びついてくるような事態になってさえ、母は猫の事に関しては全然文句を言わなかったのだ。あれは結局母自身が猫が好きだったためとしか思えない。

父は犬が大好きだったのだが、せっかくもらってきたポインターも母が嫌って手放してしまったのだそうだ。私が小学校4年のとき、盲腸をこじらせて1ヶ月以上入院して家に戻ったとき、父方の親戚の家から雑種の子犬をもらってきてやっと犬を飼ったのだ。母にとっては犬より猫のほうが好きだったらしい。

今の私の猫好きは何のことはない、母譲りだったのだろう。たった18年のつきあいだけで、お互いに分かり合えないまま死に別れてしまった母だが、今、母の生きていた年月と同じ44年の年月が、母の死後、過ぎてきた。そしてやっと今になって母を見直し、理解しはじめているところだ。

すれ違い母娘ですなあ。それにしてもいまだにこちらは小さい頃と同じく、相当に依頼心は強いし、いまだについ、言わなくても相手がわかっているはずだという錯覚に陥りやすい。ついそのつもりになっている。たぶん、この性格死ぬまでこんなものなのだろう。