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愚痴る

2012-01-14 13:08:38 | インポート

その昔、まだ若かった頃、ある司祭のところに行って、実は修道生活を希望していると話したことがあった。こちらは今でもそうだが口は苦手で言いたいことがうまく言えない人間だ。今にして思えばどんなに霊的に優れていても相談は日本語が堪能でできれば読み書きも不自由しない人物でなければだめだ。しかし当時は現実に疎かったから霊的に優れている面だけで判断した。

で、結局相手はこちらをまったく理解なさらなかった。言ってはなんだが向こうはまず外見重視だった。服装のよしあしも判断要素みたい。次に勤めている会社はどういう会社か、どんな仕事か、どこの学校を出たかなどなど。そしてこちらの話を聞こうとしないで、「召しだしは次の世代に現れる、二代目、三代目に」とおっしゃる。それならこちらは当てはまる、実の祖父は僧侶だったのだ、その子である父は私の小さい頃から仏典の一節や禅の道歌を教え込んでいたから、こちらは小さい時からその意味を考えているうちにキリスト教にたどり着いたのだ。たしかに、二代目、三代目じゃないかと、内心思ったものの口の苦手な当方、何も言えなかった。

うちの父親は本当のところ、世間一般の人たちとはだいぶ違っていたのだ。学歴こそ持っていなくても本が好きで何でも知っていた。仕事では有能でも、普通の家庭に育っていないから自分の子にも持っているものしか教えられなかったのだ。子供である当方も父親と同じようなのも仕方ないじゃないか。

でも、カトリック教会でそれがわかる人に出会えない限り、話はいつまで経っても通じない。お金や物はそれほどほしいと思えない。なぜなら人間は誰でもいつかは死んでいなくなる。お金も物も持っていけない。それより終わりのないものがほしいと子供の頃からおもってきたのに、心の中より、学歴や会社、服装で判断されてはどうしようもないじゃないの。

 


偶然の一致(共時性) ― カトリック教会

2012-01-14 12:23:43 | インポート

今は昔、河合隼雄先生は「偶然がいくつもつづくとすれば、それは必然』とおっしゃっていらっしゃったのを覚えています。まさかそんなとか言われても事実は事実で、本当に本当の話というのも現実にあるのです。

ただ、その始まりがひどい誤解に始まっていたばかりに話が捩れに捩れて、ある方の誤解を隠したり、正当化するために何十年も真実が隠されたままになっていたりすることだってこれも現実に起こるのです。

日本人だけだったら、こうもややこしい問題にはならなかったかもしれませんが、カトリック教会は国際的な世界なのでお国柄の違いと言うか、国民性の違いと言うか、結構いろいろとあるのです。日本人が普通に考えている宗教の世界のイメージだけで見ているととんでもない大間違いも起こると思いますが、日本の仏教の世界にしても実際は人間の世界なので同じようにきれいごとばかりではありませんから、カトリック教会自体を悪く見るのも間違いです。ただ、宗教の世界も人間の世界ですからきれいごとだけではいかないということです。

前置きが長くなりましたが、とにかくこちらがプロテスタントからカトリックに改宗して四ツ谷の教会に行き始めてからというもの、なぜか普通はありそうにもない奇妙なことばかり起こってきたわけです。教会の司祭方はもちろん、上智のほうの司祭方まで含めてのすごい誤解を受けた事件がまず第一に起こりました。その頃はこちらも親元を離れたばかりで本当に世間知らずでしたから、どうしていいかまったくわからず、おろおろしながら、それでも自分はそんな変なものではないぞ、正しいものは正しい、いつかは真実がわかるはずだと思って普段どおりに教会にも通い続けていました。(この事件のおかげでこちらも心理学について多少勉強したわけですが)

で、この件は今は亡きライフ神父様の登場と、当時の上智で社会学を教えていらっしゃった松本先生とカリタスの家のおかげで、とりあえずはいつのまにかうやむやになっていきました。大学の先生や司祭方と言うのはもうちょっと人を見る目をお持ちかと思っていましたが、なんだか学歴と学力の違いもお分かりにならない方が多くて困ったものだと思います。

ライフ神父様だけは私の書いたものを読んで「あなたは頭のいい人です。もったいない、なぜ大学にいかなかったの」と言ってらっしゃいましたけど、家は貧しかったわけでもないし、親は進学させようとしていたのを当人の私自身が何のために大学に行くのかの意味や目的がつかめなかったところに母の急死で、勝手に進学をやめてしまったというだけだったのですけどね。それとも化粧をしてめがねを外すとけっこう目立つ顔やグラマラスな体型は頭が悪いに決まっているとでも思われたか、今となっては闇の中の奇妙な誤解です。

実はこの誤解が今に尾を引く問題の土台になっています。

土台にそんなことがあって、それでもこちらは、だからと言って自分が引っ込まなくてはならない理由などありませんから簡単に負けているわけにいきません。きちんと会社で働き、きちんと教会に通い、その頃は自分でも良くわからなかった自分を理解して指導してくださる方を探していたのですが、結局これもライフ神父さまのおっしゃていた「本当の指導者は聖霊です」というのが今となっては一番正しかったようでした。

こちらは子供の時から終わりのないもの、永遠につづくものがほしかっただけなのですけどね。どうしてこんなややこしいことになってしまったのだかわけがわかりません。でも神様はそうなさったのでした。

このあとがなにしろ、実に奇妙な話の連続になるので、面倒でもここまではちゃんと言わせていただきたいのです。ここまでの話はまだ導入でしかありません。とはいえ、遠藤周作先生や霜山徳爾先生、河合隼雄先生が関わり始めてからのことは、たぶんまだ覚えている方々もおいでのはず、特にマスコミ関係の方々。巫女だ、シャーマンだとカリスマだと、さんざん話の種になさったおかげでこちらはまともに会社勤めができなくなっての生活保護受給ですからねえ。忘れてなりますか。

しかし、どうも腹が立って感情的になってきましたから続きは次回に致します。