今は昔、河合隼雄先生は「偶然がいくつもつづくとすれば、それは必然』とおっしゃっていらっしゃったのを覚えています。まさかそんなとか言われても事実は事実で、本当に本当の話というのも現実にあるのです。
ただ、その始まりがひどい誤解に始まっていたばかりに話が捩れに捩れて、ある方の誤解を隠したり、正当化するために何十年も真実が隠されたままになっていたりすることだってこれも現実に起こるのです。
日本人だけだったら、こうもややこしい問題にはならなかったかもしれませんが、カトリック教会は国際的な世界なのでお国柄の違いと言うか、国民性の違いと言うか、結構いろいろとあるのです。日本人が普通に考えている宗教の世界のイメージだけで見ているととんでもない大間違いも起こると思いますが、日本の仏教の世界にしても実際は人間の世界なので同じようにきれいごとばかりではありませんから、カトリック教会自体を悪く見るのも間違いです。ただ、宗教の世界も人間の世界ですからきれいごとだけではいかないということです。
前置きが長くなりましたが、とにかくこちらがプロテスタントからカトリックに改宗して四ツ谷の教会に行き始めてからというもの、なぜか普通はありそうにもない奇妙なことばかり起こってきたわけです。教会の司祭方はもちろん、上智のほうの司祭方まで含めてのすごい誤解を受けた事件がまず第一に起こりました。その頃はこちらも親元を離れたばかりで本当に世間知らずでしたから、どうしていいかまったくわからず、おろおろしながら、それでも自分はそんな変なものではないぞ、正しいものは正しい、いつかは真実がわかるはずだと思って普段どおりに教会にも通い続けていました。(この事件のおかげでこちらも心理学について多少勉強したわけですが)
で、この件は今は亡きライフ神父様の登場と、当時の上智で社会学を教えていらっしゃった松本先生とカリタスの家のおかげで、とりあえずはいつのまにかうやむやになっていきました。大学の先生や司祭方と言うのはもうちょっと人を見る目をお持ちかと思っていましたが、なんだか学歴と学力の違いもお分かりにならない方が多くて困ったものだと思います。
ライフ神父様だけは私の書いたものを読んで「あなたは頭のいい人です。もったいない、なぜ大学にいかなかったの」と言ってらっしゃいましたけど、家は貧しかったわけでもないし、親は進学させようとしていたのを当人の私自身が何のために大学に行くのかの意味や目的がつかめなかったところに母の急死で、勝手に進学をやめてしまったというだけだったのですけどね。それとも化粧をしてめがねを外すとけっこう目立つ顔やグラマラスな体型は頭が悪いに決まっているとでも思われたか、今となっては闇の中の奇妙な誤解です。
実はこの誤解が今に尾を引く問題の土台になっています。
土台にそんなことがあって、それでもこちらは、だからと言って自分が引っ込まなくてはならない理由などありませんから簡単に負けているわけにいきません。きちんと会社で働き、きちんと教会に通い、その頃は自分でも良くわからなかった自分を理解して指導してくださる方を探していたのですが、結局これもライフ神父さまのおっしゃていた「本当の指導者は聖霊です」というのが今となっては一番正しかったようでした。
こちらは子供の時から終わりのないもの、永遠につづくものがほしかっただけなのですけどね。どうしてこんなややこしいことになってしまったのだかわけがわかりません。でも神様はそうなさったのでした。
このあとがなにしろ、実に奇妙な話の連続になるので、面倒でもここまではちゃんと言わせていただきたいのです。ここまでの話はまだ導入でしかありません。とはいえ、遠藤周作先生や霜山徳爾先生、河合隼雄先生が関わり始めてからのことは、たぶんまだ覚えている方々もおいでのはず、特にマスコミ関係の方々。巫女だ、シャーマンだとカリスマだと、さんざん話の種になさったおかげでこちらはまともに会社勤めができなくなっての生活保護受給ですからねえ。忘れてなりますか。
しかし、どうも腹が立って感情的になってきましたから続きは次回に致します。