ものすごく懐かしい歌を聴いた

2012-01-10 19:03:54 | インポート

はるか大昔まだこちらも二十代の初めのころだったろうか、いやもっと前かもしれない。なにしろ当時の関西のフォークソング運動のことを知ったのはテストの前にラジオの深夜放送を聴きながら勉強していた時代だ。高石ともや、岡林信康、高田渡、ジャックス、六文銭、小室等、言うまでもないフォークル、みんな懐かしい名前だ。

死んだ父は子供に甘い人だったから、たいていのことは文句も言わずに黙認してくれていた。子供がアングラコンサートに行きたいといえば自分も一緒についてきた。だからあのころの思い出はほとんどフォークソングと関係しているくらいだ。

その高石ともやの歌で、歌詞もメロディも覚えているのに、舞台で聞いて録音して以来、ほかではぜんぜん聞いたことのない歌があった。タイトルもわからなかった。古いカセット録音だったから長い年月のうちについに壊れて失われた曲だった。

それがたまたまニコニコ動画であちこち見ていると出てきたのだからびっくりだ。「ホー・チ・ミンのバラード」という歌だ。あのころは正義などというものも頭から信じていた時代だ。今ならそう単純に善悪を決め付けられなくなっているのだが、あのころは若かった。それにしても同じ共産主義を説きながら、ホーおじさんのもたらしたあの国の方向と、北朝鮮の今では大変な差ではないか。どこでどうしてこうなってしまったのだろう。

とにかくこの歌はなぜかいまだに覚えている。方向は違ってもホーさんは自分の信念を貫いた立派な人だという気がするからだ。ちゃんと聴けるかどうかはわからないが、ニコ動のURLを貼っておく。

   http://www.nicovideo.jp/watch/nm14903283

     


偶然の一致(1)―カトリック教会

2012-01-10 12:34:39 | インポート

私が正式にプロテスタントからカトリックに改宗したのが1976年、堅信を受けたのは翌77年だった。あれからずいぶん経ったものだ。病気の友達と初めて出会ったのも同じ頃で、同じ聖書研究会だった。いくつかの共通点があって、なんとなくかかわりはじめたのだ。大きな要素だったのは二人とも身内に天理教の信者だった人がいて、同じような影響を受けていて、カトリックにもともと親和性があったこと。ほかは何から何まで正反対なのにそのへんで親しくなったのだった。

天理教からカトリックへ、といえばまだあった。昔お世話になった方で今は佐倉のプロテスタントの教会の牧師夫人になった方の大伯父様か何か、そんな方が昔、天理教からカトリックに改宗して自分の屋敷をカトリック教会に提供したと言う話も聞いたことがある。天理教はいろいろ言われているけれど、もともとは初代教会の使徒たちの説いた生活と同じような生活を説いていたのが、どこかでねじれてしまったのだろう。今のカトリック教会でも少々問題視されていた、新求道共同体と言うグループもたぶん、同じところで問題を起こしているような気がする。何事もやりすぎはよくないのだ。どうもどこから書けばいいのか良くわからない、困った。

 

・・・それはとにかく、昔、初めて出会ったキリスト教はカトリックだったのに(幼きイエスの聖テレジアと聖フランシスコをずっと昔からなぜか知っていたのです。いつ誰に聞いたのかも忘れてしまったというのに)、教会に行ってみようと思って、当時の市川のカトリック教会に何度も電話をかけてもいつも誰もでなくて、ついにあきらめてプロテスタントの教会に書けたら、そこは親切丁寧に対応してくださったので、それがきっかけでプロテスタントの教会に行き始め、信者になったわけです。

でも、プロテスタントの考え方はどうも自分の心にあるものと違いすぎると感じ始めて、信者になって7年目で改宗を考え、地元のカトリック市川教会に行くようになったのでした。ところが、なにぶん当時のカトリック教会はあまり宣教に熱心ではなかったのか、神父様がご病気がちだったせいか、よくはわかりませんが講座も何もなくて仕方がないので自分で探して聖イグナチオ教会や上智のほうでの聖書研究会、入門講座にいきはじめたのでした。ただ、教会はその頃は地元の市川教会に行っていました。

その頃の市川教会の聖堂の片隅には、小さなケースに入った美しいマリアさまのご像がおかれてあって、そこでお祈りしている方もいたのです。で、あれは何かと顔見知りになった方にきいてみると、ファティマのマリア様だという答えで、ファティマでマリア様がお現れになった時のお姿だという、実にわけのわからないことを言うのでした。ファティマ?? マリア様のご出現?? なんだそれは?? カトリック教会って20世紀の今頃になってまだそんな変なことを言ってるのか、と内心びっくり仰天でした。

あまりにびっくりしたので、かえってファティマのマリア様の話は忘れられず、いったいどういう話なのかと改宗してから当時の聖三木図書館で古い資料をあさって調べてみました。で、思ったのはこんなにたくさんの人たちが何かを見ていて、確かに何かがあった・・・なんだかは良くわからないけれど、あながちいい加減なものではなさそうだ。何かがあったのは確かだろう。といったところでそのときは終わり。何年か後になってまた思い出したのです。

四ツ谷の教会には当時は赤ちゃんたちの泣き部屋はなくて、日曜日のミサの間、ベビーシッターたちが交代で子守をしていたのですが、あるときベビーシッターのグループの集まりがあり、そこで担当の神父様がみんなにお土産のポストカードをくださいました。見ると、すっかり忘れていたファティマのマリア様の写真でした。以来、ファティマのマリア様のことが再びいつもこころのどこかにあって、何かと言うと出てくるようになりました。はるか昔のはなしです。

以上、このはなし、まだ時々続けます。長すぎてこればかり書いているわけにいきませんのですみません。