人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

午後、通所リハビリ 【我が通所施設、いわゆるデイについて】

2019-08-21 11:20:19 | 日記
晴れ ビニールゴミ出し。左脚上がりにくく、慎重に歩行。久しぶりにミニチュアダックスフントのお散歩と出会い、座り込んで、「ご挨拶」。向こうから走り寄ってくる。可愛いねえ。
127 72 54 129 73 51

【我が通所施設、いわゆるデイについて】
 我がデイは、「動かないを動くに、痛いを痛くないに」と表看板に書いている。私に関して言えば、この謳い文句は過大広告ではない。麻痺という身体そのものは元に戻っていないが、入所時の4年前に比較すると嘘のように「健康」体である。
 デイでの整体師によるマッサージ、器具を装具して行う血流をよくする温熱施療が麻痺を緩和してくれている。身体機能を「外から」促進してくれるこれらに加え、脚の運動、手の運動、そして身体全体の運動という「内から」の促進が結果を出してくれているのだろう。他力本願でもなく自力本願でもない、自他という、自身の内外の力の総和が、機能改善、回復を図っている、といえるのだろうと思う。
 私の左半身は、入所時から2年ほど、死体のような冷たさであった。私の左側をさわり、あるいは握る人は、誰もが「ひぇー」と声を挙げるほどだった。今では、まったくそんなことはない。麻痺が緩和され血流がよくなってきている証しだ。それとともに、左半身の可動性が高まってきているし、痛みはかなり遠のいてきている。
 看板に偽り無しの通所施設である。カラオケ、みんなと一緒の娯楽など、対人関係に神経を使わないので、私はすごく明るい性格の持ち主に変貌している。

安川著書読み 軽く運動

2019-08-20 14:41:24 | 日記
曇り 何とかしのげる朝
111 67 44 115 67 45
 朝食後、昼食並びに小休憩をはさんで、安川新著読み。I 丸山眞男が戦後民主主義の虚妄をつくり出した?の章、1 福沢諭吉を戦後民主主義の支柱に据えた丸山眞男 2 丸山眞男と戦争責任・植民地支配責任問題 の節の読み。
 今まで読んできた安川氏の論説と重なるので、氏の論理を新しい感覚で読み味わることはない。しかし、何点も何点も、今、ぼくの頭と心とを打つ文言がある。それらは「セガン研究」へと振り向かせるインパクトがある。
①学者がそういう作為をして「神話」を創作することは、明らかに学問的な逸脱であり、許されない。29-30ページ
②福沢諭吉が、‥‥アジア諸国民への蔑視・偏見・マイナス評価を垂れ流し 39ページ
③「捨象の思想化」とでも呼べる(思想史の)方法・・・」 47ページ
 とくに③については、サン・シモン主義者セガンについての先行研究の扱いが、サン・シモン主義=空想的社会主義(という正確でない訳語使用)と限定的に規定し、セガンを「未成熟な唯物主義者だとする立場を選び取り、サン・シモン教徒セガン像を全く捨ててしまっている愚行を犯し、何ら自己批判をしていない、という大きな問題を残してしまっている。唯物史観至上主義者たちからすれば、サン・シモン教徒など、論理の対象にも選ぶことはない。

通所リハビリ

2019-08-19 16:58:45 | 日記
曇り 燃えるゴミ出し ふと気づいた。帰路、両手が空いている歩行状態で、手を振っているのは健全な右手だけ。こういう行動の時にも、身体の動きに意識を入れて行かなければなあ。
117 69 50 109 71 48

 午前中、お盆明け初のデイ。今日も楽しい2時間半を過ごした。もちろん、共通メニューの他の大半は個別メニュー。マイペースで訓練をしていくが、他の人をモデルにして訓練を進めることもしばしば。
 ハードル歩行に取り組んでいると、ふと、後ろに人の温かさのような心地よい空気を感じた。振り返るとTさんというご婦人。Tさんは、しばしば、ぼくと一緒に歩行訓練に取り組まれる。そうとあっては、きちんとした歩行姿勢を取らなければと、ひざ上げ、足下ろしなどに、神経を集める。
 ちょっと汗をにじませた歩行訓練のあと、休憩のお茶をいただく。ぼくは熱いお茶を特注。他の方は時節柄冷たいお茶。お茶をすすりながら会話。今日は、お盆のあととて、「あの世への旅立ち」的な話題となる。
「ぼくの方が先に参りますので、Tさんを暖かくお迎えいたしますね。」
「あら、私の方が先よ、絶対。」
「ほとんど同い年でしょうから、やはり男の方が先かと。」
「(声を潜めて)私、88。」
「ええ~っ、嘘でしょ。」・・・・
 
 心身ともに軽やかになるところ、それが月曜日のデイ。

安川先生の新著、読み始める

2019-08-18 16:05:35 | 日記
晴れ すでに日差しがきつい
114 67 47 116 69 52
 朝食後リハビリ。トータル1時間
 膝を出来るだけ高く挙げての歩行訓練。椅子の背もたれを支えに。5分2セット。ハード。
 階段を使って踏み台訓練。左脚。5分。屋内階段は1段が高いのでけっこうきつい。
 ペダル漕ぎ15分。
 その他、思いつくままに、いろいろ。
 機能回復と言うより、機能後退を防ぐということにしかならないのだろうなあ。

 元埼玉大学勤務時代の同僚・安川寿之輔先生から『日本人はなぜ「お上」に弱いのか』(高文研、2019年8月)を恵贈いただいた。目の問題と格闘しながら、なんとか読了したいと決意。返礼先、464-0028 名古屋市千種区東明町5-22-2
 徹底して丸山眞夫批判と貫いてこられた。ぼくも、どうせなら、徹底した先行研究批判を貫いて本当のセガン像を描き出したい。まだ時間はあるぞ。あ、批判に値する先行研究か?そのことが問題だな。
 午後2時間ほどかけて、「戦後民主主義が崩壊した日ー「はじめに」にかえてー」を読了。厳しい時代批判の姿勢を、今回も教えられ、思想的にぬるま湯につかって生活している日常を自己批判。俺は何をすべきか。

暑さに負けません

2019-08-17 17:48:02 | 日記
快晴 かすかな風が嬉しい
125 75 44 124 71 45
 夜にマヌの葬儀。それまでは出来るだけ近くにいてやりたいとの思いの一日。
 外階段で「踏み台」訓練
 午後の我が室内温度31度。さすがに暑いと思う。湿気も高いようだし。ミニセン君、活躍。


 我が少年期の絵の先生・野口画伯の「パリ」 
 三重の田舎町の絵の先生が「絵の勉強にパリに行きます」と「留学」をなさったのは、私が小学校2年生の時だったろうか。ご帰国後何年かたって、母が入手した野口画伯の作品。
「幸宏君は気が短いからねえ、絵を描くのには向いていないかもなあ。」とおっしゃった言葉は、耳朶に残っている。
絵筆を使うのが面倒だと思ったのは事実だし、小学校5年になるとチューブから絵の具を画用紙の上に絞り出すことを覚えてしまって以来、絵筆の代わりに我が指で絵具を塗りたくるようになった。その技法で、「子ども県展」に1作品、入選したことがある。
学校の絵画の時間は、好き勝手にして時間を過ごし、音楽とともに、とても楽しかった。
懐かしい思い出。

★南フランス、バール・シュール・ルーに残る、共同洗濯場と共同井戸。



終日、在宅。

2019-08-16 08:43:18 | 日記
曇り 風強し
110 69 43 117 67 43
 朝食後、左脚機能回復を目指して、リハビリ訓練。約1時間。ペダル漕ぎ。今日は1セットを長めに15分。左脚首・指の柔軟な動きを目指して(むくみ軽減、麻痺部の可動)、もみほぐし等。その他体操。指ソックスをはいて。
 シャンとしないからだ。午後は寝たり起きたり。
 回覧板回して久しぶりに門の外に出た。まったくこれじゃ、引きこもり老人だ。せっかくだからと外階段を使って踏み台訓練。外の空気は吸いましょう、これからも。引きこもりが心地よいと感じるようになってきているから、やばいっすよ、
 マヌ、昇天。今まで楽しく過ごさせてもらいました。


.パリには多くの水汲み場(共同井戸)がある。その歴史は中世に遡るとか。写真は給水栓と呼ばれるもので、元は歩道の敷石の高さで水が出ていたそうだ。飲み水、洗濯水を汲む。石畳の道にひざまずき前屈みになって小鉢で水を掬い取り水汲み桶に移した。この給水栓に水道栓を取り付けて現在の写真のような姿へと移行していく。
 大都会の水汲みは多くの女性にとって、長い間重労働であり続けた。もっとも、水道栓が各家の内に取り付けられるようになるまでは、「水運び」という重労働が続いていく。

「泉に水汲みに来て~♪」は大都会の風物でもあったのだ。パリの、ちょっと奥まったところの壁に、今もなお、「共同井戸」がある。

昼食後のデザート

2019-08-14 13:44:37 | 日記
晴れ 蒸し暑い朝 ビニールゴミ出し。ちょっとびっこひきが悔しい。
113 71 49 112 68 56
 朝食後リハビリ。トータル30分余。左足首柔軟化を目指して。左脚のむくみが軽減しますように。ゴムパイプで左脚稼動訓練はきついが、頑張ってやっていきましょう。


昼食後のデザート マンゴー
 婿殿の母国の旧宅では庭に何本ものマンゴの樹が育っていた。
その木々にはジャマイカの国鳥・ハミングバード(ハチドリ)が巣を掛けていた。ハチドリたちの飛び立つ姿を観察するのが訪問時毎朝のぼくの行事。その姿は、カメラを構えて木々をきょろきょろと覗き込んでいる風に、見えたのだろう。それ以来、ぼくにつけられたあだ名が「マンゴーウオッチャー」。
 違いますねん、バードウオッチャーですねん。訂正は、今もなお、通じていない。
 お庭でもぎ取られたマンゴーは、完熟ですから、店で購入したマンゴーとは比較になりません。写真のマンゴーは、先日、婿殿が拙宅に運んでくれたもの。

新しく見つけた
レ・ミゼラブル

Goodbye, Mr. Chips(1939年、イギリス映画)視聴

2019-08-13 22:07:41 | 日記
晴れ 蒸し暑い 資源ゴミ出し 上り坂がきつい
122 72 52 116 67 53

 久しぶりに家族全員揃いの一日。かといって、共同で何かをするわけでもない。が・・・
「ねえ、ちょっと見て。」
 キッチンで働いている細君にうしろから声を掛けた。細君が振り返る。
 相撲のそんきょの構えをし、左足裏が床にきちんと着いていることを、確かめてもらった。
 「月曜日あたりからね、左足裏全体が床に着くようになってるの。身体そのものは全体として老化進行中だけど、部品はホラ、こうやって、麻痺をちょっとだけだけど克服して、若返っています。」
 細君、流れ落ちる汗をぬぐいつつ、にこっと笑った。
 久しぶりに、一日共同生活をする日の、ホンの一コマ。

 雨がちょっと降っただけで、さわやかな風が窓から入ってきている。こういうのを慈雨というのかな。数日後に予想される台風はとても恐ろしそうなので、つかの間の清涼感なのだろうけれど。
 自室の窓を開け放して、自然の匂いを嗅いでいる今。
 駄句一句 雨涼み空調なき我が家を愛でてけり


Goodbye, Mr. Chips(1939年、イギリス映画)視聴。

 中心舞台である20世紀初頭前後の男子寄宿学校の教育ならびに生活の様子は、私が研究対象として学んできている、19世紀前半のフランス男子寄宿学校の具体を想起(仮定)する際の格好の素材。後者の具体はエデゥアール・セガンが学籍を置いた証しのあるジャック・アミヨ校(ヨンヌ県オーセール)
 ともに、中・上流階級の子弟を対象とした、宗教教育をコア(ともに国教)とする古典主義、厳格な管理・体罰主義、教職者も生徒同様、寄宿舎で24時間生活を送る。
 違いは時代背景と社会文化だろうか。しかし、イギリス・ヨーヨッパ文化圏で観れば、共通していると言える。前者には戦時に翻弄される様子が描かれているが、後者は広大な校庭が軍事訓練場として使用され、校舎の一部が兵営として利活用されていた時期があった、ということだろうか。

 セガンは、コレージュ生活をどのように送っていたのだろうか。まったく史料的に残されていないので、あれこれ、推測するしかない。映画視聴はその意味もある。「今を生きる」も格好の視聴対象。しかし、いずれの映画からもセガン像を想起することは出来ない。

TVドラマ LOVE COMES SOFTLY
 夫を落馬事故で亡くした女性が父娘二人家族の温かい見守りで次第に心を開いていく様を描いたドラマ。開拓地の場景が心情変化と重ねられている。愛は緩やかに育てられていく。

通所リハビリ

2019-08-12 20:34:59 | 日記
曇り 蒸し暑い朝 燃えるゴミ出し 左脚の筋力の弱さが気になり始めた。昨夜、左側によろけたこともあり。気をつけよう、転倒に。
113 73 57 118 69 54
 午前中、通所リハビリ。いつものメンバーがほとんどなので、心穏やかにリハビリとコミュニケーションとに努めることが出来た。整体師の伊藤さんによるマッサージの中で、足指の歪みに対する施療をしていただいた。施療直後、健康時の着足が戻った心地よさ。ああ、施療で可能性が目覚めたのだなあと、感動を覚えた。持続していくように、自分自身も訓練に精を出さねばと、決意。Yさんというご婦人と会話。にこやかな笑みが素敵な方だ。少し控えめの方なので、こちらから関わっていく必要があるのだが。あと、お声が小さいので、補聴器を具備した方がいいだろうなあ。 

以下、X氏の下品な言葉遣い話語表記ですが、実態はクソがつく丁寧語であることをまえがきして・・・・

x「おまえの著作を読んでやるから、わしに献呈せよ。」
下僕「あいにく手元にはございません。」
x「なら、本屋で購入して、献呈せよ。」
下僕「何しろ昔に出した本ですので、書店には置いていないし、版元も出版物の趣旨替えをして長いですから、在庫も無いと思います。」
x「ならば、古書店で探し求めて、必ず献呈せよ。」
下僕「先生が所属しておられるところの図書館にはあると思いますが。」
x「わしは本に、赤、青、黒の線を引き、書き込みをするのが習わしじゃ。おまえの著作などは、大いに学んだ証しの赤線は引かれることはないのじゃがの。ぐははは・・・。早急に入手せよ。献辞を必ず入れることを忘れるでないぞ。」

下僕は半身不全で時間を掛けた歩行はかなり苦痛、xは肢体はごく健康体。心とどたまのお具合はどうだかは存じませんが・・・

耐えがたきを耐え忍びがたきを偲ぶ・・・、研究奴隷支配の世界観。