人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

午後、通所リハビリ

2019-08-28 17:46:02 | 日記
曇り ビニールゴミ出し。ゴミステーションまで約100歩。もう少し歩幅が広くなればいいなあ。
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 朝の内、安川著著の読み。歴史認識を強烈に問われる。鈍ったなあ、おれ。
 午後デイ。来月からやや性格が変わるので、ぼくが好きだったデイの最後の日。いろいろ巻き起こして「お別れ」しました。そのうちからーー
1.スタッフの若い女性とすれ違ったとき、ふと、後追い的に振り向きました。どうしたの?という問いに、「見返り美人ならぬ見返りたくなる美人。」と応えたら、言われた当人、いつになく接触?コミュを多くしてくれました。
2,ぼく「デイに通った効果が、ほら、しっかり現れてますよ、O脚ではなくなっています、両脚の膝を内側同士でくっつけることが出来ますよ」。所長さん、何度も視認および接触で確かめておられました。施設内大受け。
3,「川口さんが、ちょっとした隙に見せてくれる笑顔、すごく安らぐのよね。」
 初めて頂いたお褒めの言葉。嬉しいものです。が、今日でお別れの方。ありがとうございました。
4.水曜のこのコマは、人間関係等で苦手だったのですが、今日ようやくそれを乗り越えるきっかけを得たように思います。が、来月からはコマを変更することになりました。また、新しい関係づくりが始まります。

 セガン生家写真2葉 2003年当時と2009年当時の様子





 2003年訪問時には一部がバー、カフェとして使用されていたが、2009年訪問の時はバー、カフェ使用が停止され、元の面影を偲ぶことが出来た。
 地元以外の研究者等によって、地域の、歴史ある医師名門と伝承されているわりには貧弱な家屋。実際には、父親世代一代限りの家屋。父親も母親も他地からの入植者。
 セガンの父親は医学博士。彼のこの地での医療活動で記録に残っているのは監獄医、ロマン・ロランの曾祖父のお抱え医者。だとすれば、この家屋で医療活動はしていなかった、ということなのだろう。
 セガン本人はこの家で誕生したが、間もなく他地に里子に出され、その後は、生活をする家としてこの家屋を使っていないと考えられる。
(余談)2912年10月末、クラムシー市も主催の一翼を担ったセガン生誕200周年記念国際シンポジウムがニエヴル県クラムシーを会場にして開催された。100人余の参加で盛会であったが、シンポジウム内で、主催者代表の市長からセガン生家の紹介は一言もなく、通常行われる関係フィールドワークもまったくなされなかった。
 セガン生家の現在の所有者は地元不動産業を営むクラムシー市長。現市長にとっては、セガンは、「おいしい観光資源」(地元紙記者の表現)にはなり得ない、という判断のようだ。
 それでも、ぼちぼちと、地元刊行物に、セガンの名と活躍の事が綴られるようになった。2003年夏の埼玉大学名誉教授清水寛氏一行の訪問と1500頁に及ぶ「大セガン研究書」(書名にあらず)のクラムシー市への寄贈が、この傾向をもたらす契機となった。これ故、清水寛氏は「実質、クラムシーの名誉市民」(前市長より川口への書簡)という名誉ある地位におられる。

映画 Kings In Grass Castles (1998 part 1)