人知れずの記録ー障害後期高齢者の日々のつぶやき

日々のリハビリをはじめ、何でもかんでも書いてやろう!という日記帳。

よしくん、高校進学祝い膳

2018-04-08 22:34:34 | 日記
股旅の夢 つまらないヴぁガボン 血圧141 77 脈動60 どうした?血圧高いぞ。起床、着替え、スムーズ。
 朝から「セガン」原書読み。
 目の不具合のためもうセガンは止めた!宣言をしたのに、今日もセガンにこだわっている。
 こだわっているのは、男子施設と女子施設に収容されている「白痴の子ども」の教育に従事するように下命されたけれど、男子の方でしか実践していない。セガンによると、「私自身が我が方法に疑いを持っていたというのではなく、我が能力に疑問があったからである。 j’ai douté, non de ma méthode, mais de mes forces」なのだそうだ。
 じゃあ「我が能力forces」って?
 わからないのですよね。1日4時間しか教育に従事しなかった、ということとかも、なぜ?と、ぼくなんか思ってしまうんだけど、どなたも問いをお持ちにならない。
 「問いを持つことが物事の解決に向かうことであった」(セガン)に尻をたたかれて、今日もぐだぐだ・・・
 ランチはよしくんの祝い膳を兼ねて、焼き肉。久しぶりに家族全員がそろいました。バスケに入ろうと思っている、とのこと。背丈があるからスカウトされたのかな?いい高校生活を送りましょう。

 最後の指導学生Nさんからメール。ぼくの入院先に卒業証書を見せに来てくれた人だ。ひどく落ち込んでいたころ、「ぼくの退職があなたの卒業と一緒だから、一緒に卒業しましょう。」と約束したことを履行してくれた。
「早いもので、教員になって4年目になりました。もう3年経ってしまったのかと思うと、それだけの実力がついているか、少し不安になります。2年間専科を経験し、去年初めて担任で1年生を持ちました。とっても素直な可愛い子たちです。今年も幸運なことに持ち上がりとなりました。
 私が今まで先生にしてもらった事を少しでも子どもたちに返せるように、精一杯頑張っていきたいと思います^ ^」とメールは結ばれている。
★書簡
 先生は私のことを「大学教授」と立ててくださってます。職業としてそうであったから否定はできませんが、その言葉に添えられる先生による私に対する「付加価値」に対しては、面はゆい炉いう気持ちのような自己肯定感を持つことができず、ただただ幸運にも職を務めることが許されていた、ということにつきます、と申し上げるのみです。自己卑下でも謙遜でもありません。
 私が、お送りしたようなエッセイ類を綴るのは、私自身を確認したいからだけです。子どものころから今日まで、「どうしようもないアホ」「死んで出直せ」「生活綴り方なんかやって何になるんだ。」「研究とは言えない、お前の書いたものは」などなど、こう書くと悪罵を投げつけられたように思いますが、そうでもなく(そうである場合もありますが)、もっとしゃんとした生き方をせよ、研究をするとはどういうことか考えなおせ、という善意の忠告だと、思います。その忠告にこたえきれていないからこそ、あらゆる集団から孤立して生きざるを得なかった、という人生なのです。
 そもそも、自分が分かっていない。自分が分かるための教養を持っていない。自己分析の武器を持っていない。それで、生活綴り方的に自分をとらえなおしてみよう、と綴っているわけです。では、そのことによって、社会関係を結ぶことができてきたか、と言えば否であります。まだ、自分を自分に開いていないのでしょうね。先生とこうして「出会い」、ご多忙にもかかわらず向かい合ってくださることを知って、少しは社会関係を日常化する勇気をいただいているように感じます。失礼であればお許しください。
 セガン研究に入ったのも、「こんな私でもお役に立つことを求められている」という喜びからでした。やがて、セガン研究者を名乗りながらもこんなことも調べてないのか、という怒りのようなものがわき、ならば自分でやろうじゃないか、と始めたわけです。そして、そのことで、私が研究者である、という自覚を初めて持つことができました。普通ならば、リタイアする年齢に達してからのことです。
 フランス語の学習を始めたのは2000年から。たまたまパリ・コミューンの原史料と出会い、これを読みたい、と思ったのがきっかけです。完全独学ですし、「語学の落ちこぼれ」とだれからも揶揄されるような人間の独習なんて、誰も認めません。かといって、語学学校に通うことはしませんでした。こういう人間があらわすフランス関係研究など、信頼感を持ってくださる方はほとんどいないというのも、当たり前のことですね。語学には多様な学びの筋道がある、しかしその多様性に恵まれなかったら語学に「落ちこぼれる」、そんなところが私を通してわかることだと思っています。
 生活綴り方研究を入り口として出発した我が研究生活史は、どうやら、セガン研究で幕を下ろすことになります。何のつながりもない、一貫した目的意識もない研究生活だと批判的に評価されているのも当然のことです。ですが、それは一貫している、と評価してくださる藤井力男先生の存在を知り、涙をぬぐったのでした。藤井先生は、とりわけ共通している点として「史料と直接対面する」ことを旨としている、ことだと言われます。私に言わせれば、それしかできない、論理解釈もできないから、史料で語らせる、ということなのです。論理解釈は深くため込んだ教養に依るわけです。
 今回も長々と綴りました。お仕事で大変お疲れのところ、申し訳ありません。ただただ私には教養が大きく足りない、研究者と呼べるような論理分析論じ叙述は極めて未熟である、ということのご理解をいただきたく、このメールを綴りました。
 このメールにも文書を添付しております。セガン研究の総括です。ふと気が向いたときに目に触れていただければ、という思いです。ご返信ご感想のお手を煩わせるという願いは持っておりません。
 それでは失礼します。