いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

好きだったオヤジ

2018-11-15 23:13:55 | 人生


わたしは、
オヤジが好きだった。
欠点だらけでも、
酒臭くても
入れ歯が臭くとも、
好きだった。
彼は、
「放任主義」

自称していた。
しかし、
よく働いてくれた。
大学まで出してくれた。

将棋の相手としても、
絶好であった。

家は、広島の原爆ののとき、
爆心地から
300めーろるのところで、
両親、祖父、姉2人、妹2人失った。

海軍に入隊して、
横須賀から帰ってきたとき
残ったのは
疎開していた
2人だけ。

20歳であった父と
中2と小2の
3人と、
焼け跡から
木材を集めて、
バラックをたてて
生活した。

それまでの苦労、
それからの苦労も

並みではない。

そういうオヤジに育てられた。

短歌日誌~その9~

2018-11-15 22:45:30 | 短歌


日々のできごとに、
感ずることが多い。

地位が高いとか、
知識が深いとか、
いったことは、
大したことではない。

いかに
人と向き合い、
対話しつつ
向上しあうか。
それが大切だ。

講演者と
聴衆の対話がないと、
空疎な知識のみせびらかせになる。

‥‥

知識のみ肥大している女講師にあくびこらえてただ忍耐しおり

はりがねのやうな女が話しおりあくびこらえて苦笑するのみ

‥‥

短歌日誌~その8~

2018-11-15 22:38:11 | 短歌


人は、信頼しあって暮らしている。
名刺を渡されたなら、
名刺を返す。

その常識が、
くずされた。

名刺をある男にわたした。
名刺をくれないので、
名刺を‥‥
というと、
「今、渡しましたよ」
と。
もらっていないが、
黙っていた。

ここで書くために。

‥‥

名刺渡せど名刺返さず「わたした」と。敵は何思う秋の夕暮れ

カネだけの生活しているおとこにもゲンキンンな笑顔つくれるものよ

‥‥


短歌日誌~その6~

2018-11-15 22:27:30 | 短歌


短歌日誌。

本日は、
好きな短歌3首。

‥‥‥

過ぎてこし四十年になにを得しやさまざまに動揺して行き来たるのみ

本心は憐れまるより憎まるを選びたき日の秋の夕暮れ

さまざまの苦しみ持ちし友逝きぬわれには遠しふるさとの夏

‥‥‥

男の料理教室~その5~

2018-11-15 22:13:55 | 食物


男の料理教室その5。

豚肉の扱い方。

スーパーで
豚のバラ肉を買う。

買ってきたら、

フライパンに油をしく。

2分間炒める。

火を止めて、

蓋をし、2分間蒸らす。

これで、レアの炒め肉完成。

レアでないなら、

あと2分ほど
炒める。
完成したら、香味ペースト
などを隠し味として、
加える。

皿を出して、
盛りつける。
サンチュや
レタスを
添えたい。


‥‥

男の料理教室その5.


わたしがお世話になった教育者~その3~

2018-11-15 21:51:10 | 人生


小学校4年生の時、
中井(仲井かも?)先生にお世話になった。
まだ、3年生の初めに
転校したばかりで、
わけがわかっていないわたし。
中井先生は、
しっかり
把握しておられた。

2学期の学級委員選挙。

男子のトップは
わたし、
女子のトップは
羽田さん。

委員になると、
たいへんだ。

中井先生が、名案をだされた。
委員
羽田さん。
副委員わたし。

普通なら、
男子が委員で
女子が副委員。

中井先生は、よく見抜いておられた。

先生は、
身振り手振りで、
面白い話をされた。

よく努力した人。
IQが高くても、
いばってはいけない。
それを
強調された。

休み時間は、
皆と一緒に
ドッジボール。

中井先生が、好きで好きで
たまらなかった。

5年生になっても、
中井先生に担任になってほしい。

希望は、打ち砕かれた。
別の先生が担任。

4年生の時、1学期の学級委員長の
徳田君が、
ラッキーなくじを
引き当てた。

先生方は、
どう考えておられたのだろう?

5年生になっても
6年生になっても
中学生になっても
高校生になっても

先生から
年賀状をいただいた。
うれしかった。

さすがに、
大学に入るころは、
宛先不明で
年賀状はこなくなった。

いまでも、好きだ。
中井先生、みんなで集まって、
ドッジボール大会
やりましょう。

小学校4年生。
2番目に
惚れこんだ先生だった。

中井せんせ~~~い!!





















男の料理教室~その4~

2018-11-15 19:22:44 | 人生


男の料理教室その4。

魚の料理法。

たとえば、
鮭の切り身。

網などでもよいが、
棄権防止のため、
フライパンで
調理することをお薦めする。

鮭の切り身を
用意。

フライパンに油をひく。
2分くらいしたら、
蓋をし
2分くらい蒸す。

そこで
いったん
休み、

スイッチを切る。

3分くらいしたら、
もう1度

スイッチを入れ、
1分待つ。

様子を見て、
そのまま皿に移す。

これで
OKです。
(o^―^o)ニコ




わたしがお世話になった教育者~その2~

2018-11-15 18:41:53 | 人生


小学校2年生の時
お世話になった
玉木マユミ先生のことは
けっして
わすれない。

母に、
一生一度の
ビンタを
くらった日も、

玉木マユミ先生は、
やさしかった。

テストで
0点をとったことを
慰めたかったのかも
しれない。

いつものように
笑顔。

先生は、
おとなしい
わたしを
特別
可愛がってくださった。

不幸なできごとで、
わたしが
葛藤をもちこんでいたことも
ご存じだったかもしれない。

無条件の
愛であった。

毎日、
漢字の小テストが
あった。

放課後、
わたしが、
先生を慕って
居残りしていると、

その日のテストを
全員分渡し、
「採点しなさい」

言われたのである。

せっせと
採点した。
先生から
苦情をもらったことは、
1度たりともない。

おまけに、
アイスクリームや
お菓子を
食べさせてくださった。

ある日、
クラスみんなで、
郵便局に行った。
社会見学である。

事前に、
先生から、
決して手紙を読んではいけない、
との注意があった。

学校に帰り、
「手紙を読んでしまった人は?」

聴かれた。

わたしは、
なにも観てはいなかったが、
勘違いして、
席を立った。

何人か、
一緒に立った。

みなの膝を
軽く
たたかれた。

学生時代、
もう一人
暴力をふるった
教員がいた。
大学教授である。

彼とくらべ、
なんと
やさしい
教育者であったことか。

人として、
くらべものに
ならない。

この教授については、
本人の名誉のため、
書かない。

生涯最高の教師

玉木マユミ先生。

















こうして、
わたしは、
漢字の得意な
主学生になった。



対局日誌~その19~

2018-11-15 18:30:14 | 将棋


無料道場にて対局。

卒寿の強豪。
アマ四段くらい。
1,2局目は、
角落ちで負け。

勝負にならないので、
飛車落ち。
勝ち。

これからは、飛車落ちで
教えてもらうことになった。

昔は
三段で
指していたそうだ。
今は、
インフレ段位なので、
四段くらい、
ありそうだ。

平手で
勝ったことは、
4回しかない。

いずれも、
「女房に内緒で一杯やった」


こっそりおっしゃった。
(笑)

母の教育~その2~

2018-11-15 12:52:51 | 人生


母は、教育ママであった。
ただ、
口に出して「勉強しなさい」
と言ったことは、
1度たりとてない。
ただ、勉強できるように
環境を整えた。

ただ、
日常生活の中で、
わたしを
イライラさせる
干渉もあった。

小学校4年のときだったと
思う。

母の態度に
反発したわたしは、
買い物に出かけた母を
締め出してしまった。

ドアのかぎをかけて、
家(官舎)に入れなくしてしまった。
母は、当然怒り、
ついには、
隣のアパートから
入れてもらい、
ベランダから
「ガラスを割って入るよ」
と言う。
ほっておいた。

すると、
母は、本当に
ガラスをたたき割り、
部屋に入ってきた。

当然、
後始末は
わたしがやり、
小遣いをはたいて、
ガラスを買って、
修理してもらった。

わたひの
強情さは、
格別である。

それは、
今も変わらない‥‥‥

母の教育~その1~

2018-11-15 11:52:16 | 人生


母は、
教育ママだった。
筋金入りである。
しかし、
わたしは、
やわそう(父の評)であったが、
実は、
大変強情な
子どもだった。

その母が、
生涯で1度だけ、
わたしを
ビンタ
した。

小学校2年生の時である。
テストを受けた。
2つ
落下傘があり、
どちらが
安定しているか。

図が間違っている。
で、
そうかいて
提出したら、
0点であった。

母は、
テストとは
そういうものではない、
と怒り
ビンタ
したのである。

これは

いい経験で、
小さいながら、
「テストとは、相手の要求にそえばよい」


理解した。

それ以来、

何十年間か、
母に
手をくだされたことはない。

ただ、
死んだとき、
わたしは、
猛烈な
ビンタを
くらった。

哭いた。
哭いた。
哭いた。

そして‥‥‥




わたしがお世話になった教育者

2018-11-15 11:35:27 | 人生
表題のとおりだが

まだまだ
教えを乞うた方は多い。

しいていえは、

①母
②父
③玉木マユミ先生。(小2の担任)

①母

母は、
今の、中学、高校
(当時は高等女学校)


通っていた。
ところが、
その母親が、
結核に感染、
隔離された。

女学校に通っていた
母は、
学校をやめて
家事をするよう、
求められた。
次女だったが、
姉は、
すでに
結婚して
家を出ていたのである。

母は、
それを
拒み、
学校に通い、
帰ったら
ずっと
家事をしていて、
勉強など
できなかった。
それでも、
いい先生は
多かったようで、
よく
その思い出を
語っていた。

いまは、ここまで。