いい日旅立ち

平凡な元大学教師の日々の感想をつづったブログです。ちょっと、スパイスを効かそうと思ったのですが。……

現代日本で1か月いくらで生活できるか?~老後2000万円必要だとは本当か?~

2019-06-18 21:23:40 | 人生


老後の貯えに2000万円必要だという政府の見解が話題になっている。
政府自体が、この発表から後退し、見解を改めた。
そのとおりで、すべての若い日本人世帯が老後2000万円なければ
充分な生活ができない、と言っては、誇張になってしまう。
理屈はともかく、こうした、配慮に欠けた報道は、
以前にもたくさんあったし、今後も絶えないだろう。

ところで、
現代日本で最低限の生活をするためにはいくらくらい必要なのだろう?
私たちが議論したところ、
月7~8万円くらいではないか、という結論になった。
住んでいる家があるなら(これは重要だけれども)、
節約すれば、どうにでもなる。
一人暮らし、単独世帯であれば、
スーパーマーケットや安売りで、低価格のものが買える。
また、100円ショップ、300円ショップなどがあり、
安上がりな生活をするための条件は揃っているのである。

生活保護費は、単独で生きる人は、11~12万円だそうだ。
貸家に住む、という条件があり、家賃は4~5万円と想定されるので、
生活保護世帯でも、
最低生活は保障される、ということになる。

いろいろ議論があるのはわかるが、その境遇になれば、
様々な生き方が可能だ、
とは言えると思う。
















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太平洋戦争で捕虜になった機長のその後

2019-06-18 20:46:02 | 文学


太平洋戦争の経験から得られる教訓を、後世に残したいという願いは、
もう遂げられなくなる寸前である。
戦争経験者が、次々と鬼籍に入るからである。

戦争末期、米軍の捕虜になり、のち、生還した飛行機長がいる。
海軍兵学校の卒業生、海軍少尉豊田穣である。

彼は、南方で、敵軍襲撃のために
出撃したが、気象状況のために1943年4月7日、
米軍機に撃ち落されてしまった。
幸い、けがはなく、洋上を漂流する。
自決するかどうか、迷ったが、生き続ける道を選んだ。
周りをうろつくサメの群れに脅かされつつ、
1週間ののち、米軍の船に救助された。

彼は、部下の一人とともに、米軍捕虜としてアメリカに抑留される。

飛行機を操縦していた時に何が起こったかは、次のように書かれている。

……

空母・飛鷹の急降下爆撃隊員として、この攻撃に参加した。
目指すガダルカナル上空の手前で、高度1万メートルの積乱雲に遭遇して、
行き悩んだ。急降下爆撃機の上昇限度は8千メートルで、
そのため、
攻撃隊の速度は鈍った。
先頭から70機めくらいにいた私の機も、
速力を緩めざるを得なかった。
眼下に敵艦隊は見えず、海の波が見えないほどの高度である。
わたしが焦っていた時、
「敵機襲来!」
という偵察員の声が響いた。
反射的に上空を見ると、敵戦闘機がこちらに向かってくる。
急降下してくる敵戦闘機をかわして、ほっとしたとき、
私の機のエンジンが、下から襲ってきた敵機の銃弾にやられたのである。
操縦席から1メートル半ほど前方に、火の玉が噴出し、エンジンは停止して、
プロペラは空回りを始め、機は高度を下げていった。
滑空状態に入ったのである。

……

その後、前述のように、洋上に落下し、
1週間の漂流生活に入る。
米軍に助けられ、捕虜となったのは、
その後である。

捕虜としての生活、復員後の生活も
明らかにされている。
こののち、少しずつその内容を述べたい。










































































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戦争の中の歌~死屍累々~

2019-06-17 21:25:58 | 短歌


しばらく宮柊二の作品と、戦後の生きかたをたどったが、
戦争中の歌は、彼以外の多くの戦士が残している。
宮柊二の「山西省」のような芸術的な高みに達していなくても、
それなりに価値の高い歌は多い。
いずれも、日中戦争時の兵の作である。

……

次々に担ぎこまれる屍体、みんな凍ってゐる、ガツガツ凍ってゐる
背に負へる戦友の御骨に花一枝添へて行軍けふも続くる
銃眼より覗きて見たる眼のまへにうつ伏せに敵の兵死にており
幾列か雁渡る見つつ追撃のいきつくひまぞ故郷思いいるづる
照準つけしままの姿勢に息絶えし少年もありき敵陣の中に

……

こうした作品群を生んでしまった国家のありようは、いかに評すべきであろうか。

















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宮柊二の歌④~戦争の深い悲しみをたたえて~

2019-06-17 20:59:08 | 思い出の詩


宮柊二は、近藤芳美とともに、戦後短歌界のエースであった。
ただ、戦争という体験のゆえに、戦争の匂い、戦いの傷、
といったものから解放されることがなかったことが、
その作品から読み取れる。
戦後世代が体験できなかったことを、根っこにもっている。
戦後の人間は、歴史として戦争をとらえることができても、
深い根っこに戦争体験をすえることはできない。

宮の「小紺珠」という歌集を読んでも、
彼が戦争体験を昇華して高踏的な認識に至ったとはいえないことがわかる。

戦争体験があるかないかで、顔つきまで違うという。

宮の場合、
平時~戦中~平時、と時を過ごしたが、
ひとつめの「平時」とふたつめの「平時」は明らかに違う。
ふたつめの「平時」から、戦争の影を消すことができなかったことは、
次の作品を見てもわかる。
……

こゑひくき帰還兵士のものがたり焚火を継がぬまへにおはりぬ

松かぜのつたふる音を聞きしかどその源はいづこなるべき

新しき歩みの音のつづきくる朝明けにして涙のごはむ

この夕べ堪え難くあり山西のむらむらとして顕ち来もよ景色

……

これらの歌のたたえる哀しさは、彼の中の「戦争」が終わっていないことを伺わせる。現実が非現実であり、非現実が現実だったのである。
戦後民主主義や社会主義に走るでもない、
連綿と生き続けている自分が、
いかにも不安定にして耐えがたいかを暗示している。

立派な芸術であるロダンやバルザックの作品を見つつ、自らの内面の空虚感を埋めえないのである。

……

ロダン作バルザック像の写真みてこころに満つる寂しさは何


































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50年前の悪夢にうなされる

2019-06-17 18:45:03 | 学校


私は、もう古希に近い。
50年余り前、高校で、次のような英文エッセイを読んだ。
「私は60歳になるが、いまだに学生時代、試験の前夜に、試験の恐怖におびえた夢をみる」
彼よりは、私の方が年長になってしまった。
そして、彼の書いていることが、普遍的な人間心理をついていることに、
改めて感心するのである。
つまり、今でも、50年余り前の、恐怖の試験前の悪夢を頻繁に見る。
イギリスだろうと日本だろうとインドだろうと、
こういう心理はかわらないだろう。
フロイトやユングの説を持ち出すまでもなく、
意識の底に植え付けられた感情は、生涯にわたって人間を苦しめるのである。

「3つ子の魂100まで」ということわざも、
こうした事理を説明するのだろう。

若いほど、ある経験は、深くしみいる。

ある先生がおっしゃっていた。
「学校や保育所の教育で、重要なのは、保育所や幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、大学院の順だ」
若いほど、教育の重要性は高まるというのである。
同感である。






























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湘南のサーファーたち、踊る

2019-06-17 18:20:20 | 短歌

昨日は、晴れ渡ったものの、
湘南には強い風が吹いていた。
荒波が押し寄せ、サーファーの群れが波乗りを楽しんでいた。
湘南ではおとなだけでなく、子どももサーフィンをする。
最年少は、4歳くらいで、小学校1年生ともなると、
大勢の子が、波乗りをする。
浜は、強い風にあおられて砂紋が連なっていた。

2首。

……

湘南の浜に寄せ来る荒波に高く飛び乗るサーファーの群れ

ますがしき湘南の浜風つよく砂紋あらわれたゆたう光




























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カモカのおっちゃん④18禁・田辺聖子のナニの話②

2019-06-16 18:56:12 | 思い出の詩


(承前)
何かお酒の肴は、とみるとアジの唐揚げを二杯酢につけたもの、子芋のたいたもの、「和田八」のカマボコの頂き物、みな秋らしくおいしそう、これではブランデーなんか飲んでられない、「剣菱」を熱燗にして、これも頂きもののスダチを絞り込んでスダチ酒。「でも、女はそう重視しませんよ。なんでやろ。忘れちゃいますよ。男の作家の中にはよく、女言うものナニにことばっかり考えてるように書く人があるけど、あれ、ウソ」
と私は匂いのいいスダチ酒を含んでいった。
「朝、コトがあったって、すっかり忘れてるのがオンナ。昨日はナニしたって、翌日すっかりわすれて、この前はいつだったっけ、なんでおもうのが女」
「しかし、その場その場では、相応によろこんではりまっしゃろ」
「そうとしても、女はすぐ忘れるんですよ、台風一過、快晴の空がもどるようなもの」
「ウーム。男は台風一過を相手に、えらい目をしてふんばっておるのか」
おっちゃんはしばし、感慨無量の面持ちであったが、気を取り直す如く、スダチ酒をぐっとあおり、
「それはそれは人の女房の場合でっしゃろな、つまり、ミセス、人妻、この手合いは傲りたかぶり、慣れてしもうて感激が薄い、男の獅子奮迅の働きを、屁とも思うておらん、ああ有難い、勿体なやと感謝の気もおこらん、それゆえ、台風一過、ケロリとするが、そういう傲慢な思いあがったミセスやヨメハンはさておき、ミスとなれば、うれしいと思うでしょうなあ」
「それはあるかもしれません。ミスにもいろいろあるけれど、男と同棲みしていない人には1回1回に感激があるかもしれません」
と、私はおっちゃんの夢をこわさないように言ってあげた。

こんな話をオトナがしてると知ったら、暴走族のジャリ、よけい当てつけのように走り回るやろなあ。

(終わり)































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カモカのおっちゃん③~18禁・田辺聖子のナニの話①~

2019-06-16 18:23:27 | 文学


医師・カモカのおっちゃんと田辺聖子のナニの話。

一夜にして秋となり、朝夕は涼しい。日本の秋はいい。世界に冠たるものは日本の秋である。
私のマンションからマトモに六甲連山が見えるので夕焼けの美しさったらない。
私は夕焼けし始めると仕事なんかほったらかして飛んでいき、ブランデーの水割りなんかちびちびやって、そうなるともう、これは朝まで。新月が出たと言っては飲み、真っ暗になったと言っては飲み、して楽しんでいる。
ただ、夜と早暁、暴走族が下の道路に多くて困ってしまう。主基公園の東側にたむろするのが、常時7台から9台いて、凄い爆音をとどろかして走り狂っている。
明け方なんか、もうひと眠りするとシッカリするというときに、空にヒコーキ、地上にオートバイ、ブルブルゴーゴーと、しまいに腹立ちを通り越して笑いだしてしまう。伊丹市は空のヒコーキ対策と同じように地上のオートバイに乗ってゴキブリも取り締まってほしい。住宅地で爆音をひびかせられてはどうしようもない。これが芦屋西宮のように、市民意識の発達してる町だと、町内、とても黙っていない。
そんなことを考えながら、ちびちびブランデーをすすっておりますと(何しろブランデーは高いので鯨飲してはもったいない)「あーそびーましょ」とカモカのおっちゃんがきた。
「下の道路、アホガキがえらい音たてて走ってますな」
「音は上へ行くほど聞こえますから」
「窓を閉めれば少しはちがうでしょう」
「窓を開けるのが好きなんです。風を楽しみたいから、少々寒くとも。『窓を開けますか?』という小説を書いてるくらいです」
「小説なんかどうでもええけどオトナの営みがジャリに邪魔されるのはけしからんですなあ。あない、えらい音立てられては気が散って、おちついてできまへんやろ」
おっちゃんの言うのは、そんなことばっかし。おっちゃんはいかめしく形を改め、「何を言う。それが社会の一般根幹やないか。男にとってそれ以上の大切なことあらへん」
「あら、ホーント。そうかなあ」
「男は、そのことを重視しますなあ。そんなん、どっちでもええ、もっとほかに世の中にゃ大切なことある、という評論家や文化人の手合いは、照れ隠しにそんなこというとるだけ、男と生まれたからにゃ、ナニを重視せざるを得まへん」

(続く)

















































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配給以外を拒否して餓死した裁判官

2019-06-16 16:54:13 | 政治

第2次世界大戦後、軍人として高位であった者が、
コネを利用して、旧軍需会社等に籍を置き、
裕福に暮らしたという例は枚挙にいとまがない。
しかし、
海軍大将米内光政、井上成美等は、そうした行為を拒否し、貧しい生活をした。

さらに恐るべき法令遵守の人もいる。

第2次世界大戦直後、食糧管理法という法律があった。
乏しい米等の食料を国民に配分するため、
国が「配給制度」という法律を作って公平を期したのである。
しかし、配給の量はわずかであったため、ほとんどすべての国民は、「闇市」という場で食料を買っていた。

そんな中、自らも食糧管理法を適用する裁判を担当していたある裁判官が、
食糧管理法による配給だけで生活し、
栄養失調のため、餓死してしまった。
1913年に生まれ、1947年に亡くなった、
小山良忠である。

ほかにも、同様に餓死した人がいた。

東京高校ドイツ語教授 亀尾英四郎
青森地裁裁判官 保科徳太郎

現代の人たちは、このような人の話に、どんな感想を持たれれるだろう?












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カモカのおっちゃん②「パンダは女」

2019-06-15 21:20:00 | 文学

先日91歳で亡くなった田辺聖子の「カモカのおっちゃん」。

第2話

このあいだ東京は上野でパンダを見ました。
もうこの頃は見物人も少し減ってるかなあと思って、見に行ったのだ。
ところが、なんのなんの、妊娠騒ぎからこっち、また連日、見物客が増加しているそうである。
上野動物園、裏から入って、荷物を預けようとすると、あずかり所はない。
そこから10分も歩いたパンダの前の案内書にしか、あずかり所はない。不便だ。
私は、あるものだと思ってバッグを持ち込んだので、たいそう困った。
でも、カモカのおっちゃんがいてたすかった。
おっちゃんに荷物をもたしてやった。
「爺さん婆さんの東京見物という図ですなあ」
「唐草の風呂敷に包んでくればよかったですね」
神戸の王子動物園を考えるものだから、上野動物園はやたら広く思われる。
モノレールに乗って反対側に行く。
木はずいぶんたくさんあるけれど、人が多くて埃っぽく猥雑であった。
いやもう、あまりにも人が多い。とても神戸の王子どころのさわぎじゃない。
大坂の天王寺動物園も人が多いけれど。
神戸の王子が好きなのは、景色がいいのだ。
春のさくらどきもいいが、何でもないときでも、一番奥の山側の。カバとサイのいるあたり、すばらしいながめなのだ。





































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