約50年前、ある評論集が、爆発的に売れた。
「日本人とユダヤ人」イザヤ・ベンダサン著。
流麗な日本語で書かれているので、一体誰が書いたか、
日本中大騒動になった。
結局、評論家山本七平が書いた、と判明した。
日本人とユダヤ人は、全く対照的だ、という。
たとえば、会議の結論をだすについて、日本なら、たとえ反対者がいても、
「全員一致」という結論だとする。
ところが、ユダヤ人の会議においては、
一人でも反対者がいたら、結論は出せない、続けて議論する、というのである。
このような例を挙げながら、その対照的な文化のあり方を明らかにする。
この書の中で、山本七平は、
「日本教」という語を造語した。
日本独自の宗教観、ということで、
日本人なら、
仏教徒であろうと
キリスト教徒であろうと
イスラム教徒
であろうと、
「日本教」の信徒である、というのである。
「道」を求める、というについては変わらない、と彼は言う。
当時の日本人にとって、一理ある、という論の展開であった。
詳しくは、文庫にもなっているので、
一読をお薦めしたい。
ところで、ある友人が、仏教の僧侶になった。
熱心に修行したが、悟りをひらく、というところまでいかないうち、早逝した。
彼が、信仰の道を、短歌に詠んだ。
その短歌集が、
友人の手を通じて、今、わたしの手元にある。
115首である。
わたしは、敬虔な仏教徒ではない。
だが、彼の短歌集を読むとき、
一定の感動を覚える。
宗派は、仏教でなくとも良い。
キリスト教でも
イスラム教でも
ユダヤ教でも
よい。
とにかく、彼は、熱心な求道者であった。
もし彼が、
神父であろうと
牧師であろうと
ラビであろうと
かまわない。
短歌のなかには、真実、「道」を求める美しい心が映されている。
「日本教」の信徒、と呼んでもよいかもしれない。
彼の名は、三田和美。
3首だけ紹介し、
あとはまた、書き継ぐつもりである。
18 吾 他人と 法をよろこぶ 人生を 授けたまひし 南無阿弥陀仏。
19 我が心 けがれたれども お六字に みちたりいます 恥ぢております。
20 今日一つ 良きことをせり 親様は さぞご満足 南無阿弥陀仏。