いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

名歌鑑賞⑨~佐藤佐太郎~

2019-04-30 21:25:53 | 思い出の詩


佐藤佐太郎。
明治42年宮城県生まれ。
「アララギ」で斎藤茂吉に師事。
「歩道」創刊。
歌集「歩道」「帰潮」「開冬」など。
昭和62年没。

……

戦いはそこにあるかとおもふまで悲し雲のはての夕焼

敗戦後の日本人の気分を象徴している。夕焼けの中に「戦い」の存在を予感している。
昭和23年作だから敗戦後3年。2年後に朝鮮戦争が起きた。

……

薄明のわが意識にてきこえくる青杉を焚く音とおもひき

冬山の青岸渡寺の庭にいでて風にかたむく那智の滝見ゆ




















河野裕子の歌③~蝉声③~

2019-04-30 18:26:33 | 思い出の詩

河野裕子の晩年は、
乳癌との闘いであった。
あと2年、と余命を宣告され、
それでも家族のために生きようと、
必死で病と闘い、歌を作る。

……

来年もこの花たちに会へるやうに一晩一晩ふかく眠らねば

大事なのはお母さんでゐること山茶花よご飯をつくりお帰りと言ふ

過ぎゆきし歳月の中の子らのこゑお母さん、お母さんどのこゑも呼ぶ

夕光のなかに今年最後の朝顔が精いっぱいに青き襞ひらきゐる
























ポンコツパソコン奮戦記

2019-04-30 18:07:54 | パソコン


わたしのpersonal computerは、13歳である。
人間なら、70歳くらいであろうか。
すでに、充分ポンコツである。
オンになっているとき、いつもいつもフリーズする。
シャットアウトしようとしても、ボタンが出てこない。
やむを得ず、スイッチを切る。
すぐに再起動させようとしても、
つながらない。
そういうときは、20~25分待ってから起動する。
さすがに、これならつながる。
オンしているときも、反応が極めて鈍く、
次の場面への転換の時も、重く、時間がかかる。
そういうときは、本を出して読み、
時間をつぶして待つ。
しかるべき場面がでてくるのは、
1~2分後である。
それでも、このpersonal computerには、愛着があり、
捨てられない。
情報もぎっしり詰まっており、捨てがたい。

ゆえに、この超高齢personal computerと、
末永く付き合っていきたい。

ただ、「これでもうスイッチオンにはならないかもしれない」
と言う不安がつきまとう。
そのときはそのとき。
このpersonal computer、何歳まで生きるのだろうか?


















河野裕子の歌②~蝉声②~

2019-04-29 22:34:25 | 思い出の詩


河野裕子の歌は、最晩年、挽歌といっていいものになった。
長い間の闘病生活の間に鍛えられた。
切々と、家族に感謝し、生き続けることを祈る。
思い病状を隠さず歌にしている。
歌の中、「君」は、夫の永田和宏である。
……

一日に食いたるものは桃一個スイカひときれ牛乳一杯慎ましきかな

夫につかまり草庭の草庭眺めゐる一分も立てばよろよろとして

肩でする呼吸の辛さ失ひし乳房をよすがに呼吸するものを

すざいゆく蝉声の中にへまなやつも二つ三つゐる落ちながら鳴く

残さるるこの世どうせうと君が呟くに汗にぬれたる首をなでやる






















河野裕子の歌①~蝉声より~

2019-04-29 20:14:54 | 短歌


河野裕子の歌。
河野裕子は、54歳で乳がんにかかり、
大手術を受ける。
手術は成功したが、
もし再発したら、余命はいくばくもなくなる。
そして8年後、再発してしまった。
「蝉声」は、最晩年の歌集である。

病床にあって、それでも河野は歌を作り続けた。

……

ひと月も咲き続けゐる立葵あなたはよかったわねわたしの庭に来て

持久戦にもちてゆくより他はなしミルク半分をめつむりてのむ

子を産みしかのあかときに聞きし蝉いのち終わる日にたちかえりこむ

いついかにこの世を出でゆくこの身かと痛めるまぶたをしばらくおさむ



























河野裕子の歌①~蝉声より~

2019-04-29 20:14:54 | 短歌


河野裕子の歌。
河野裕子は、54歳で乳がんにかかり、
大手術を受ける。
手術は成功したが、
もし再発したら、余命はいくばくもなくなる。
そして8年後、再発してしまった。
「蝉声」は、最晩年の歌集である。

病床にあって、それでも河野は歌を作り続けた。

……

ひと月も咲き続けゐる立葵あなたはよかったわねわたしの庭に来て

持久戦にもちてゆくより他はなしミルク半分をめつむりてのむ

子を産みしかのあかときに聞きし蝉いのち終わる日にたちかえりこむ

いついかにこの世を出でゆくこの身かと痛めるまぶたをしばらくおさむ



























新しい詩⑥__啼け!

2019-04-29 18:32:18 | 

__啼け!

おお、今こそわたしは啼くであらう。

__啼け!
__よろしい、私は啼く。

そして、啼きながら私は飛んでゐた。飛びながら私は啼いていた。

__ああ、ああ、ああ、ああ、

__ああ、ああ、ああ、ああ、

風が吹いてゐた。その風に秋が木葉をまくやうに私は言葉を撒いてゐた。
冷たいものがしきりに頬を流れてゐた。

英語が得意なあなたへ~次の短歌を英訳できますか?~

2019-04-29 18:19:37 | 短歌

(問題)

「この味がいいね」と
君がいったから
七月六日はサラダ記念日

俵万智

(答え)

Bcause you told me,
"Yes," that tasted pretty good,"
July the Sixth
shall be from this day forward
Salad Anniversary.

Machi Tawara

山本五十六、女になる

2019-04-29 08:45:27 | 人生


元・元帥山本五十六。

彼が海軍将校であった頃、

ある先輩が、
重病になった。
看病の妻、徳子がいないと、
とたんに機嫌が悪くなる。
徳子は、寝食を忘れて看病し、
疲れ切っている。
このままでは、夫婦共倒れになる。

徳子さんが倒れるのを防ごうと五十六は一計を案ずる。

意識のぼんやりした病人のそばに座った。
かつらをかぶり、徳子の着物を借りて。
病人は、それに気づかず、
徳子がそばにいると思っているようで、
意識もうろうの中、
横になっていた。

時間稼ぎをし、
徳子は充分休養を取り、
再び看病して、
夫が回復するまで、
支え続けたのであった。

名宰相鈴木貫太郎の「死んだふり」

2019-04-29 08:26:05 | 人生


鈴木貫太郎といえば、
日本を第2次世界大戦終戦に導いた名宰相である。
海軍出身で、
海軍次官
侍従長
などを務めた。

226事件当時、政府の要人であった鈴木は、
自宅で
反乱軍に襲われ、
鉄砲を撃ち込まれて、
倒れ、生きて絶えたように見えた。

そばにいた夫人が、
「もう老齢だから、これ以上撃ち込まないで下い」
と頼むと、
反乱軍は引き上げた。

すると、
死んだはずの鈴木貫太郎がむっくり起き上がった。

「もう行ったかい?」


政府要人のはからいで、
すでに救援医療隊がかけつけていた。

治療を受け、
鈴木貫太郎は、
九死に一生を得た。

彼が生きていなかったら、
日本は、戦争をやめず、
アメリカの本土上陸、
厳しい攻撃に、侵され、
ゲリラ戦になり、
国は消滅していたかもしれない。









対局日誌73~ライバルBさんとの闘い①~

2019-04-28 20:43:27 | 対局日誌

地域の将棋サークルにて8局。
5勝3敗。

ライバルBさんとの一局。

彼は、将棋に熱心になって、間がない。
にもかかわらず、センスが良い。
そして、よく読む。
相手も、私も、
充分時間を使う。
待った、2歩、王手放置など、論外である。

彼の棋風は、まだ定まっていない。
だから、いつ指すときも、
作戦から、序盤、中盤、
もちろん終盤、
じっくり考える。

本日は、角換わり腰掛銀となった。

序盤から、
注意深く指す。
どうも、彼は、この戦法に
まだ慣れていないようだ。

だから、手を抜く、ということはしない。
手を抜くのは、失礼である。

たとえ、相手が10連敗の戦績でも、
全力で戦う、
というのが、
わがサークルのモットーである。

Bさんは、よく考えた。
ただ、角換わり腰掛銀の経験があまりない。

対して、
わたしは、これが得意戦法のひとつであった。

「であった」というのは、
ある理由から、
今ではオールラウンダーになったからである。

緩みなく攻めて、勝ち。

Bさんは、連休中、ずっと将棋を勉強するそうだ。
いいじゃないか。
ぼくも、しっかり勉強して、
返り討ちにしてやろう。

(Bさん、ひょっとして、これ、読んでいるだろうか(笑))


















わが憧れのヒーロー~山本五十六~

2019-04-27 16:45:51 | 人生



わが憧れのヒーロー山本五十六。

わたしは、非戦論者である。
だから、本来は、海軍の元帥であった山本五十六を尊敬してはいけないのかも知れない。
しかし、たまらなく憧れる。
戦前、戦中の人だから、軍人として大成した。
大将より偉い、元帥だった。
つまり、
天皇陛下の次に偉かった。
けれど、
だから尊敬するのではない。
彼が、ビジネスマンであろうと宗教家だろうとかまわない。

尊敬する理由。

①生涯学んだ。
②生涯純愛を貫いた。

①について。
戦前、飛行機の存在はまだ重視されず
むしろ、厄介者とみられていた。
山本五十六は、早くから飛行機の重要性を説いた。
しかし、パイロットとして養成されたのではない。
ところが、空軍の重職に就くや否や、
大改革を行って、
優れた飛行士を育てた。
それだけなら、
まあ、当たり前のことだ。
ところが彼は、
正式の訓練を受けないまま、
部下のパイロットから学び、
自ら猛勉強して、
壮年にして飛行機を操縦できるようになった。
飛行隊を率いて、皇居上空を飛んだ。
今のパイロットが知ったら、
腰を抜かすだろう。
そこが、好きだ。

②について。
不倫したわけではない。
しかし、
プラトニックな愛を死ぬまで貫いた。
このことは、詳しく書くと誤解を招くので、
これだけ、
書いておく。

山本五十六の特技は、
橋の欄干を片手で逆立ちして渡ること。

体の特徴。
小柄で、
指は8本しかない。
下半身に爆弾でできた200の傷をもっていた。
いずれも、日露戦争の時、受けた傷のためである。

山本五十六は、偉い。










開高健の人生相談㉕~モテ方~ ただし、昭和の話です

2019-04-27 11:49:13 | 人生

(問)

私はもう30歳になる男ですが、
まだ独身。
今は恋人もいません。容姿は人並みなのに、
どうしてもモテません。
それはマジメすぎるのと
自意識過剰で、プライドが高いためかもしれません。
しかし、まわりを見ると、女の子と見ればオセジたらたらで
寄っていくような男が多く、
そういう男の方がモテるものです。
ハッとするような可愛い女の子が、
実に下らないチンピラ男に
寄り添っているのを見るのはよくあることです。
女の子というものは男を見る目がなく、
男はいい女をつかまえるためには、
プライドをかなぐり捨ててセマらなければならないのでしょうか。

(答え)

その通り。1に押し、2に押し、3に押し。
容貌などは最後である。
この鉄則は洋の東西を問わない。
男と女の在り方は、普遍なんだナ。
だから、たとえばアマゾン流域でも、
女にモテる男は1、マメ、2、クロ、3、アンタといって
あのようなトコロでも、マメに押して、押して、押しまくることが絶対なんだ。
ちなみに、クロ顔の皮膚の色のこと、よく日焼けしていること。
アンタというのは獏のことで、
この獣が巨大なモノ持ちであるところから男の持ち物の立派さを言う。(注 あり)
……

(注)
この話を読んで、眉をひそめた方があったら、
お許し頂きたい。
開高健は、主として昭和に活躍した人である。
今は、
こんなことしたら、
ストーカーで訴えられる。
まずは、
仕事なり趣味なり芸術なりで、
道を極めようとがんばること。
その過程で、
あなたの願いは叶えられるだろう。
道を極めることが第一。

開高健の人生相談㉕~モテ方~

2019-04-27 11:49:13 | 人生


(問)

私はもう30歳になる男ですが、
まだ独身。
今は恋人もいません。容姿は人並みなのに、
どうしてもモテません。
それはマジメすぎるのと
自意識過剰で、プライドが高いためかもしれません。
しかし、まわりを見ると、女の子と見ればオセジたらたらで
寄っていくような男が多く、
そういう男の方がモテるものです。
ハッとするような可愛い女の子が、
実に下らないチンピラ男に
寄り添っているのを見るのはよくあることです。
女の子というものは男を見る目がなく、
男はいい女をつかまえるためには、
プライドをかなぐり捨ててセマらなければならないのでしょうか。

(答え)

その通り。1に押し、2に押し、3に押し。
容貌などは最後である。
子の鉄則は洋の東西を問わない。
男と女の在り方は、普遍なんだナ。
だから、たとえばアマゾン流域でも、
女にモテる男は1、マメ、2、クロ、3、アンタといって
あのようなトコロでも、マメに押して、押して、押しまくることが絶対なんだ。
ちなみに、クロは顔の皮膚の色のこと、よく日焼けしていること。
アンタというのは獏のことで、
この獣が巨大なモノ持ちであるところから男の持ち物の立派さを言う。