いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

米内光政②~「マイン・カンフ」を原文で~

2019-05-31 20:58:33 | 学問


米内光政が、海軍軍人出身で、
総理大臣まで務めたことは、有名である。
彼は、ロシア語にも堪能であったし、
ドイツ語も読めた。
戦争の前兆が日本を埋め尽くし、
ドイツ、イタリアと三国軍事同盟を結べ、
と、国内世論と海軍少壮士官とが騒いだころ
米内は海軍の要職にあった。
その頃、海軍の若手将校たちが、
ヒトラーの「マイン・カンフ(わが闘争)」(日本訳)を読んで感銘し、
ドイツと手を結べ、と叫んで、
米内の執務室に立ち入った。
ところが、米内は、悠然と
「君たちは『我が闘争』を読んだかねと聞いたね」と、
いきりたつ若手軍人に尋ねた。
彼らは、「もちろんです」と答える。
米内は、おもむろに「我が闘争」の原書を示して、
「この原書に、『日本人は低劣な民族だ』と書いてあるよ、
と言った。
いきり立っていた軍人たちは、
ぐうの音も出ず、
すごすとと退散したそうである。

教養は、無駄にならないものである。




























高校生石名萌さん、「~家族を歌う~河野裕子賞」を受章

2019-05-31 16:56:21 | 短歌


わたしの敬愛する河野裕子さんを記念する
「~家族の歌~河野裕子賞(青春の歌部門)」を、高校生の
石名萌さん(16)が受賞した。
現代国語の時間に初めて作った歌が、受賞したという。

……

干からびたカエルをよけてすすみゆくばいばい、わたしは夏をのりきる

……

青春の夏のひととき、ちょっとコミカルで
軽い気分を象徴する佳作である。
俵万智の作品を思い出す方も多いだろう。

石名さんは、県立鳥取東高校の生徒。
指導したのは、
教諭で、歌人でもある萩原伸さん(48)。

13256首のなかから、選ばれた。














三田和美短歌集②

2019-05-30 20:18:47 | 短歌


クラスメートだった三田和美君は、
熱心な勉強家だった。
宗教にも深い関心を持っていたと聞く。
大学卒業後は、
仏教の僧侶となり、修行を積んだ。
優れた師匠についていたのだが、
残念ながら病気がちで、
早逝した。
彼の短歌集が残っている。
いくつか、紹介してみる。

……

しあはせを 胸に賜り 悲しきも 苦しきもまた 受けてゆくべし。

南無南無の この二文字に 後生かけ 命をかけて 生きてゆきけり。

決定の 信とはいへど 心には 確かをにぎる ことなかりけり。

ナモアミダ 弥陀と私は 縁つづき 摂取の糸に からみとられて。






























将棋棋士紹介~広瀬章人竜王~

2019-05-30 20:05:32 | 将棋


広瀬章人竜王。
奨励会時代から注目され、
ライバルに先駆けて四段昇段。
スピード昇級、
A級八段迄駆け上った。
四間飛車穴熊の使い手として高名となり、
各棋戦で活躍。
2010年に羽生王位から、タイトルを奪った。
コメントとして、
「これからは将棋界を代表する棋士となるので、気を引き締めたい」
と語る。
しかし、翌年、羽生九段に王位を奪回された。
プロ棋士になってから、AO入試で早稲田大学教育学部に入学。
王位のタイトルを獲ったときは、史上初の大学生タイトルホルダーとなった。
その後、居飛車党に変身。
四間飛車穴熊を研究されつくしたから、
といわれた。
角換わり腰掛銀は、お家芸である。
2018年には、羽生竜王からタイトルを奪取した。

現代将棋界のホープのひとりである。



































三田和美短歌集①

2019-05-29 20:55:23 | 短歌


私は、仏教の深い信仰者、というわけではないが、
高校のクラスメートが僧侶となり、
善き師に恵まれながら、
若くして病気で死んだ。
彼は、115首の短歌集(非売品)を残した。

友人から託されて、その歌集を持っている。
友人から、彼(三田和美君)の作品を広く知ってもらいたい、
という依頼があった。
長い間病に苦しみながら、
道を極めようとした三田和美君の和歌を紹介していく。
……

さわりなき道にてあればさわりすら悦びとなる眼力の中。

慈悲の親たのめばかなふと祈りしは昔のことぞたまはりし身は。

師の言葉に留め置かれしこころをばたどりてぞ読む確かめる味。
































凝った食事と母

2019-05-29 17:28:29 | 


子どもの頃、友人の家に行き、食事をごちそうになることがあった。
ある友人の家では、実に凝った、様々なおかずが出てくる。
「それにしてはうちの食事は、簡単、単純だな」と思ったことがある。

しかし、今はわかる。
友人の家は金持ちで、お母さんは、
デパートに行って、お金をかけ、
さまざまな食材を使い、
サービスを受け、
その結果として、
豊富なメニューと変化にとんだおかずを作ったのである。

貧しい家計からやりくりをし、
「安くて栄養のあるものを」と頑張った母を、
今は、
誇らしく思うのである。

















よく勉強し、よく働けばいい暮らしができるか?

2019-05-29 17:12:22 | 人生


わたしは、団塊の世代に属する。
戦後の貧しい時代の所産である。
日本は、貧しかった。
戦中派の、「野の草まで食べた」
という貧しさに比べれば、充分豊かであったはずだが、
日本人は、総じて貧しかったのである。
おやつが欲しい、というと、
「砂糖水を飲みなさい」と言われるのはまだしも、
「水を飲んでおきなさい」といわれることもあった。
再度断るが、うちだけが貧しかったのではない。
ほとんどの人が、そういう生活をしていたのである。
ただ、
「一生懸命働き、世に尽くせば、ちゃんとした地位も富も与えられる」
という、信仰のごときものはあった。
実際、友人たちは猛勉強し、猛烈に働き、
東南アジア諸国の人々から
「エコノミックアニマル」と蔑称されても、
よく頑張って、日本の富を築き上げた。
(わたしは、怠慢な男なので、取り残されたが(笑))
今の時代、若者たちは、団塊の世代とは違って、
将来、豊かな生活を保障される、という夢を持ちにくいようだ。
あなたたちが悪いのではないが、
日本は、老人が極めて多く、競争の激しい国になってしまった。

それでも明日は来る。

がんばれ、今の子どもたち。








































米内光政①~最後の海軍大臣~

2019-05-28 17:00:38 | 政治

幼い頃、また、学生時代、
優秀であったり、人格者であったりした人が
のちに名を成すとは限らない。
わたしのクラスメートの中にも、
大成した人はいるが、
茫洋とした凡人であったとか、
単なるガキ大将としか思えなかった、
とかいう人も多い。

戦前、戦中、戦後に米内光政という軍人、政治家がいた。
死して後、昭和天皇が、
「惜しい人を亡くした」と述懐したことが知られている。

彼は、海軍兵学校の卒業席次が、125人中68位で、
特に優れた人とはみなされていなかった。

その伝記を、阿川弘之(阿川佐和子の父)が、
小説「米内光政」として著した。

終戦時の海軍次官井上成美は、
80人にものぼる歴代海軍大将のうち、
「1等大将は米内光政、山本権兵衛、加藤友三郎の3人だけだった」
と言っている。

太平洋戦争前、英米との闘いを避けるべし、
と、海軍三羽烏が戦った。
米内光政、
山本五十六、
井上成美である。
この3人は、日独伊三国同盟にも強く反対し、
世界戦争を避けようとした。

にもかかわらず、日米戦争が始まってしまった。
開戦に反対した米内光政海軍大臣は、
「米英と戦えば、日本は敗れる」と
明言した。

昭和天皇も開戦反対であったようだ。

戦争末期、米内光政は、海軍大臣として、
終戦に向かい、全力で戦った。

鈴木貫太郎内閣で、
ポツダム宣言を受け入れ、
日本は、全面降伏。

もし、
日本が全面降伏しなかったら、
本土が戦場となり、
日本という国は滅んでいたろう、
というのは、もう定説と言っていいだろう。

その米内光政の人柄を、
少しずつ調べようと思っている。
































米内光政①~最後の海軍大臣~

2019-05-28 17:00:38 | 政治

幼い頃、また、学生時代、
優秀であったり、人格者であったりした人が
のちに名を成すとは限らない。
わたしのクラスメートの中にも、
大成した人はいるが、
茫洋とした凡人であったとか、
単なるガキ大将としか思えなかった、
とかいう人も多い。

戦前、戦中、戦後に米内光政という軍人、政治家がいた。
死して後、昭和天皇が、
「惜しい人を亡くした」と述懐したことが知られている。

彼は、海軍兵学校の卒業席次が、125人中68位で、
特に優れた人とはみなされていなかった。

その伝記を、阿川弘之(阿川佐和子の父)が、
小説「米内光政」として著した。

終戦時の海軍次官井上成美は、
80人にものぼる歴代海軍大将のうち、
「1等大将は米内光政、山本権兵衛、加藤友三郎の3人だけだった」
と言っている。

太平洋戦争前、英米との闘いを避けるべし、
と、海軍三羽烏が戦った。
米内光政、
山本五十六、
井上成美である。
この3人は、日独伊三国同盟にも強く反対し、
世界戦争を避けようとした。

にもかかわらず、日米戦争が始まってしまった。
開戦に反対した米内光政海軍大臣は、
「米英と戦えば、日本は敗れる」と
明言した。

昭和天皇も開戦反対であったようだ。

戦争末期、米内光政は、海軍大臣として、
終戦に向かい、全力で戦った。

鈴木貫太郎内閣で、
ポツダム宣言を受け入れ、
日本は、全面降伏。

もし、
日本が全面降伏しなかったら、
本土が戦場となり、
日本という国は滅んでいたろう、
というのは、もう定説と言っていいだろう。

その米内光政の人柄を、
少しずつ調べようと思っている。
































与謝野晶子の短歌⑩~ワーキングマザー~

2019-05-27 18:56:22 | 短歌


与謝野晶子は、歌を詠ったり評論活動をするかたわら、
11人の子ともを持つワーキングマザーであった。
平塚らいてうや山川菊枝等が、育児は社会的、国家的な支援をするべきだ
と訴えたのに異を唱え、
ワーキングマザーとして、
一時的な育児休業はやむをえないとしても、
母性だけでなく、
男女が同じように家庭や社会にかかわるべきだとし、
「父性保護」を主張した。
論争は、かならずしもかみ合ったものとはいえないが、
次のような歌を残している。

……

男をば罵る彼ら子を産まず命を賭けず暇あるかな












対局日誌80~M四段との闘い~

2019-05-27 18:21:26 | 対局日誌


地域将棋サークルで、M四段との闘い。
矢倉模様から力戦となり、
激しい寄り身を受けて立つ。
飛車に成り込まれ、
玉は囲ったものの、
危険な状態に。
金銀をべたべた打って受けまくり、
飛車を何とか成り込んで、
勝負。
相手は、飛車を縦横に使って自陣をおびやかす。
相手の形は、72玉、43銀、61金のかたち。
こちらの持ち駒は、桂、銀。
58の飛車が成り込めることは決まっているが、
相手に52金の好手がある。
ここでちょっと考え、
64桂と、犠打を放つ。
同歩の一手に、53飛車成。
52金の受けに、63銀から攻め込んで、
43の銀をとる。
そこから61銀とし、
成り込んだ飛車を使って、玉を追い、
93玉に縛りをかけて、必至寸前。
相手は、馬、飛車、銀を捨て、
桂を打って即詰みを狙ってくるのは見えている。
これは詰まないと読み切り、
78龍と詰めろをかける。
最後の抵抗はあったが受けきり、
即詰みに打ち取った。

相手は強敵であったが、いい将棋が指せた。



























巨人、広島の連勝を11で止める

2019-05-26 19:55:26 | 広島カープ


今日は、巨人対広島の3連戦最終日。
ここまで広島2連勝。
今日の試合は、
広島が先制、
すぐに巨人が逆転、追加点。
しかし、又広島が得点して、
同点で迎えた8回裏。
巨人が再びリード、になった。
そのまま巨人の勝ち。

もうすぐ、定期健診に行く。
主治医は、大の巨人ファンである。
今シーズンは開幕から巨人が走ったので、ゴキゲンだった。
ところが、そううまくはいかなかった。
広島の連勝を11で止めたことで、
満足かな?
いや、首位をはしっていないと、うれしくないだろう。
わたしは、巨人がきらいだというわけではないが、
主治医の前では、巨人ファンになってしまう(笑)。
まあ、そういうことより、病気のことを心配しなさい、
といわれるのだろう(笑)。





















トランプ大統領、土足で土俵に上がる

2019-05-26 19:42:35 | スポーツ


トランプ大統領が来日、
安倍首相とともに国技館で相撲を見た。
観戦後、朝乃若にアメリカ大統領杯を渡す。
土足で土俵に上がり、失礼だとは思ったが、
日米親善のためにはやむをえないのだろうなア。
昔の外国の会社代表のように羽織袴で土俵に上がるのかな、
と思ったが、背広のまま。
かつて、相撲協会は、日本の女性政治家が土俵に上がるのを
拒否して話題になったが、
アメリカ様のためには、やむをえないのだろうなア。
ところで、うちのテレビは、普通、観ない。
必要を感じないのだ。
ときどき、故障する。
今日は、さすがにトランプ大統領が土俵にあがるので、
つけてみた。
幸い、正常に映った。
トランプ効果かな(笑)。
























人を変えるには?~通信教育のレポートより~

2019-05-25 20:32:12 | 学問


通信制大学の教員をしていた時、
レポート添削は、ひとつの仕事であった。
あるとき、教育学概論のレポートを読んでいると、
学生さん(中学校の現役教員)が、
「人を変えるには、まず自分から変わらなければならない」
と書いておられた。
学問上は、さほどレベルの高いものではない、
と判断し、そのように評価したのだが、
今考えると、
たいへんな間違いだった。
生徒や学生さんに接する時も、
他の人間関係の場でも、
これは、たいした見識である。
現役の教員をしながら、
この真理をつかまれたのだろう。
今は、
上記の表現は、極めて適切、重要なものだと思う。

「人を変えるには、まず自分が変わることである」

























オオカミはなぜイヌになったのか

2019-05-25 19:34:14 | 自然


太古、オオカミと人間は、敵どうしだった。
同じ獲物を狙うライバルだったのだ。

しかし、いつの頃からか、オオカミの一部はイヌとなり、
人間に尽くすことになった。
なぜだろう。

オオカミは、群れを成す。
ところが、弱くて群れから離れてしまう個体もいる。
その一部が、人間にエサをもらうようになる。
それだけなら、なんということはない。
しかし、人間の知恵は凄かった。
弱いオオカミ同士を掛け合わせ、
子どものうちから、一番穏やかな奴を選ぶ。
他のオオカミの夫婦からも穏やかな子どもを選び、
掛け合わせる。
こうして30世代を経たころには、
かつてのオオカミは、従順なイヌになっている。

それじゃあ、イヌはあんまりかわいそうだ、と思われるかもしれない。
しかし、そうではないのだ。
野生の頃から、オオカミは、群れを組んで、獲物を狙う。
そのとき、共同して狩りをする。
こうして、仲間内で協力して、
目的を達成する喜びを味わう、という本能をもつようになる。

オオカミの末裔、イヌも、
その本能をもっていて、
共同して獲物をとることに喜びを感ずる。
目的を達成することは、うれしい。
人間も、ご主人であるとはいえ、
同じ目的で作業する仲間だ。
だから、
目的を達成することに、喜びを感ずるのだ。

こうして、人間とイヌは、蜜月関係を結ぶようになったのである。