いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

父の遺影に語りかける母

2019-08-30 21:11:28 | 


母の人生は、苦しみに満ちていた。
祖母が結核で隔離され、
早逝したので、
家族から、女学校を中退して家事をすることを求められた。
が、
がんばって、家事をこなしつつ、卒業した。

サラリーマンの父に後妻として嫁ぎ、
その子、つまり兄と私の子宝に恵まれたものの、
長男は45歳のときにこの世を去り、
失意は並大抵のものではなかった。

が、
喜びも多く、人並みには幸せだったと思う。

夫婦間にはいろいろあった。
離婚の危機も数限りなくあった。
晩年は、末期がんの夫の介護で、
ふらふらになってやせこけても、
夫の希望で、自宅介護をした。
どちらが先に倒れるか、
と、
3年の間、近所の人をやきもきさせた。
夜になると、
「あ、○○さんの家は今日も明かりがついているね。」
と、隣組の人たちは安心したのだそうだ。

3年間の地獄のような介護のあと、
父は、あの世に旅立った。

揃って元気な時は、争いが多く、
息子としては、
気持ちを逆なでされることも多々あった。

さて、
1ヶ月毎に遠距離介護をするようになった私が、
感心したことがある。

外出の前にかならず
父の遺影に
「おとうちゃん、行ってくるよ。」
とにっこり挨拶し、
息子と一緒に好物を食べて帰宅すると、
「おとうちゃん、帰ってきたよ。」
と笑顔で報告するのである。

ああ、本当は愛し合っていたのだな、
と、
息子は、夫婦の機微に感心するのであった。













母は、死しても教育者だった~究極の防犯術~

2019-07-29 20:05:56 | 


十数年前、母が亡くなった。
いろいろな事情で、お年寄りの一人住まい、という形になってしまった。
「母死す」の一報を聞いて、駆けつけた。

さて、少しだが、貯金があった。
預金通帳も見つかった。
ところが、
印鑑は、あちこちに10個以上あった。
最終的にわかったのは、もっともみすぼらしく、
安っぽい印鑑が通帳印だということであった。
母は、賊に襲われたときも、
どの印鑑が通帳印かわからないように、
周到に作戦を練っていたのだ。

預金をおろすことができた。

母は、死しても教育者であった。









凝った食事と母

2019-05-29 17:28:29 | 


子どもの頃、友人の家に行き、食事をごちそうになることがあった。
ある友人の家では、実に凝った、様々なおかずが出てくる。
「それにしてはうちの食事は、簡単、単純だな」と思ったことがある。

しかし、今はわかる。
友人の家は金持ちで、お母さんは、
デパートに行って、お金をかけ、
さまざまな食材を使い、
サービスを受け、
その結果として、
豊富なメニューと変化にとんだおかずを作ったのである。

貧しい家計からやりくりをし、
「安くて栄養のあるものを」と頑張った母を、
今は、
誇らしく思うのである。

















母は死んでも子を教育する

2018-10-17 09:52:59 | 
母は、77歳で逝った。
父っを3年前に喪い、
気落ちしていたせいもあるかもしれない。
ただ、、外出して、帰ってくると、
遺影を見て、
「おとうちゃん、こんにちは。帰ってきたよ」
と、
オヤジに話しかけるのである。



夫婦だから、いろいろあった。
でも、ああ、ほんとうに愛していたんだなあ。
と思った。

母が死んだときは、わたしが、家におらず、
ひとりで死んだことになる。
訃報を聞き、
飛んで帰った。

遺品を整理していた。
そうすると、ハンコが10個もあるではないか。
そのうち、
銀行口座のために使うハンコは、
もっともみすぼらしい、
出来合いのハンコであった。

盗難したり、
詐欺にあったりするのを
防ぐために
そういう知恵を働かせたようである。

母らしいな、とおもった。

気丈な人であった。

母は、死んでも息子を教育する。