今日も地球は周ってる

管理人の趣味や日々のことを徒然に。宇宙戦艦ヤマト好きーが現在進行形。時々、六神合体ゴッドマーズ。ALの右オタも兼務

「西の魔女が死んだ」

2009-10-31 10:42:02 | 映画
なかなかレンタルが空かなくて、先に原作を読みました。

とても穏やかで静かな、まいとおばあちゃんの日常。
ちょっとした2人の心の行き違い。
おばあちゃんの優しさ。

とてもキレイな映画で、心が癒やされるようでした。

母からではなくおばあちゃんからの無償の愛情。
おばあちゃんて、こんな感じだったよな…と、遠い昔の記憶を引っ張り出してみました。

私の両祖父母とも、遠くに(車で5時間ぐらいの場所)に暮らしていて、逢えるのは年に一度だけでした。
でも、私の妹が産まれる時、私は父方の祖父母宅に暫く預けられました。4歳ぐらいの頃。
当時、まだ子供がいなかった伯父夫婦にも、とても可愛がって貰った記憶がおぼろげに残っています。
大人だけの暮らしだった祖父母宅に私と言う子供が加わり、増えた物も幾つかあったようです。
私が「朝はパンが食べたい」とねだって買ってくれたトースターは、私が大人になっても、台所の片隅にあったっけ。
産まれた妹を連れて帰る際、買って貰った玩具は「持って帰れないから」と、祖父のバイクの後ろの座席に玩具と一緒に座り、祖父母宅近くに住む従妹にあげに行った。
従妹宅への近道を竹藪に見つけた私を見て、安全に歩けるようにと、余分な竹や木を伐った小道は今でも使われている筈だ。

映画を見ていて、記憶の海の底に沈んでいた、そんな思い出を引き上げてみた。
父方の祖父は軍人上がりで、厳しいけど優しいおじいちゃんだった。
祖母はあの時代の人にしては顔のほりが深く、異国の人を思わせるような顔立ちをしていた。少ししゃがれた声の優しいおばあちゃん。

母方の祖母は少し丸くてふっくらした人だった。いつも優しい笑顔を浮かべていた。
祖父は背が高く、三角の濃い眉毛が印象的だった。
饅頭屋を営んでいたので、祖父母とも忙しく、あまり遊んで貰った記憶は無い。
祖母が亡くなった後、何年かして身体を壊した祖父が「冬を暖かい所で過ごしたい」と、数ヶ月だけ我が家に居たことがあった。毎日静かに窓の外を眺めていた背中が印象的だった。

両祖父母とも彼岸に渡って久しい。
高校を卒業し、仕事に負われていた私は祖父母にはなかなか会えなかった。
ようやく会えたのは、臨終間際の祖父や、既に物言わなくなった祖母だった。

ふと亡くなった祖父母を思い出す。
それだけでも、きっと、彼岸に居る祖父母達は喜んでくれているんじゃないか。
「西の魔女が死んだ」を観て、そう思った。

祖父母達のタマシイは身体から脱出しているのだろうから。

この映画は思春期頃の女の子か、そんな娘を持つ母親が観ると良いのかもしれない。そんな映画でした。

まいのおばあちゃんを演じたサチ・パーカーと言う女優さん。髪を黒くして、もう少し顔を細くしたら、父方の祖母に似てるかもしれない。なんだか祖母が懐かしくなった。

うん。良い映画でした。

試写会があるんだって!

2009-10-31 08:57:44 | ヤマト
ヤマト復活篇の試写会があるんだそうです。
しかも何カ所かで。

私は最初はオフィシャルとTFMから東京会場を申し込みました。

その後、名古屋でもあることを知り、そちらも申し込み。

とにかくどこか1カ所でいいから当たって欲しい!!
神様、お願いします!

どうでもいいけど、某雑誌のヤマト試写会の葉書での宛先が「ヤマトは滅びぬ。何度でも蘇るさ」だって。ぶぶぶぶwwwwwwwww
おもしろーい(笑)

しかし、某雑誌。第一艦橋の写真のキャプションに「第三艦橋」ってw

まあ、そんな細かいことはいいです。
雑誌やネットやTVで知った色々な人がヤマトを観に来て下されば、私はそれだけで嬉しいです。はい。

そして、「この愛を捧げて」は相変わらずヘビロテちう。携帯が壊れるんじゃなかろうか…。