goo blog サービス終了のお知らせ 

今日も地球は周ってる

管理人の趣味や日々のことを徒然に。宇宙戦艦ヤマト好きーが現在進行形。時々、六神合体ゴッドマーズ。ALの右オタも兼務

ゴッドマーズのマルメロ星編の存在意義

2014-09-08 23:44:34 | GM
などと、すっごい大上段に構えて、こんな事を書いていいのだろうかと、少々ビビりが入っております。
が、でも書いちゃうw

六神合体ゴッドマーズは、御存知の方が大半かと思いますが、当初は2クール(26話構成)の番組だったのです。
それが、中高生女子の間で恐ろしい程に人気が出てしまい、スポンサーさんもTV局側も、そのまま延長イケイケ状態だったのです。
しかも2クールで。
ただでさえ凄まじいスケジュールだったGMが終わると思ったら、延長になってしまい、制作スタッフの皆さんは大変だったそうですが…(苦笑)
そして更に1クール(13話)延長という、大アニメブームだった当時でもあまり例をみない構成になりました。

延長になったところで、当初の話しを引き延ばすわけにもいかず、最初の2クールは「ギシン星編」
その次の2クールは「マルメロ星編」
最後の1クールは「地球編」
と、暗黙の了解で呼ばれています。
この3部構成のうち、ファンの間で一番不評だったのが…「マルメロ星編」なのです。

ええ、当時リアルタイムで見ていた私も「ガッシュ美形じゃないし、タケルが邪険にされてばっかりだし」と、文句垂れていた一人でございました。
そんなファンの声に、マルメロ星編で重要な役どころを担っていたガッシュは、クラッシャー隊のミカに惚れ、ミカを救う為と称して、スタッフの手で天に召されました。
話しも地味でしたからねえ。
マルメロ星編のヒロインとも言えるフローレが、最初のうちは「でもでもだって」な優柔不断お嬢ちゃんだったもの。
そして、タケルはマルメロ星にお節介して、地球をマルメロ星の内乱に巻き込むっていう、これまたどうしようもない状態だったし(苦笑)
本当に当時はギシン星編との落差にガックリしていました。

しかしですね。
この歳になってみると、このマルメロ星編があることでゴッドマーズの最終回のエンディングが活きてくる事に気がついたのですよ。
奇しくも、ストーリー構成の藤川桂介氏がゴッドマーズを手掛けたのが、今の私の年齢とほぼ同じ。
「ああ、藤川氏が言いたかった事は、きっとこういう事なのだ」
と、朧気ながら見えてきたのです。

ギシン星編で、主人公の明神タケル(マーズ)は、自分が地球を破壊する為に送りこまれたギシン星人だ。と、判明した後も地球人として、地球を守るべくギシン星と戦いました。
双子の兄・マーグが登場したことで、少しばかりのギシン星人の自覚を持ち、戦う相手はギシン星ではなく、ギシン星を支配するズール皇帝だとズールを倒すべく戦ったタケル。
彼は、ギシン星でズールを倒した後、迷わずに地球に戻りました。
しかもロゼをも地球に誘おうとしたのです(ロゼには振られましたけどw)

この時点で、明神タケルのアイデンティティは地球にあったんです。


そして。
活動拠点をケレスに移したクラッシャー隊。
ケンジはケレスの司令官に。
クラッシャー隊はナミダがほぼ正式メンバー状態で、タケルがコスモの指揮席に座ります。
(私は、これはナオトにして欲しかったのよねー。でも主人公だから仕方ないかw)
新しく編成されたクラッシャー隊がパトロールに出た時に出くわしたのが、小型の宇宙機で必死に逃げる少女と、それを追う何者か。
少女を救助したものの、少女はタケルの存在を怯えて恐れる。

この物語では、超能力者にも虐げられ追われる方と追いつめる残虐な方との二種類あり、タケルはその残虐な側の超能力者という設定だったのです。
でもタケルは自分には関係ないと、少女を助け続ける。
それによって地球とマルメロ星の間で戦争が起きてしまうにも関わらず。
タケルの視野は地球だけに留まらず、既に宇宙全体に広がっていました。
フローレからは「タケル」と呼ばれガッシュ達からは「マーズ」と呼ばれる事に対しても、タケルは違和感を持っていません。
マルメロ星との戦争責任での裁判でも、タケルは地球の首脳陣達に対して説得しているぐらいです。
結局マルメロ星のギロン総統の罠に嵌められて地球を追放されてしまうタケルです。
その事で、地球に対して少し恨み事を言ったりもしますが(苦笑)、夢に現れた兄さんに諭されて自分の為すべき事を見つけます。
そして、罠に嵌められたタケルの身の潔白を証明する為に奔走するクラッシャー隊のメンバー。
この辺りの感じが良いですよね。信頼で結ばれた仲間だから、地球人だろうがギシン星人だろうが関係ないというスタンス。
彼等の間では生まれた星の違いなど、既にどうでもいいことなのです。
だからクラッシャー隊のメンバーもフローレを救おうと一生懸命なのです。

この辺り、少年たちのストレートな正義感が大人には痛いぐらいですね(苦笑)
まだ20代のケンジですら、大人側に組み込まれてますから←中間管理職の悲哀w

そしてフローレ達は救われ、ギロン総統は破滅します。
月面で大塚長官と2人でフローレやクラッシャー隊の帰還を見送ったタケルはこう告げます。
「俺は地球に帰らない方がいいんじゃないんでしょうか。俺は本当に地球の役に立っているんでしょうか。ただ地球に災いをもたらしているだけじゃないんでしょうか。そんな気がするんです」
自分からこう言ったタケルは、地球に帰らない場合の身の処し方も考えていた筈です。
フローレを見送った以上、タケルが地球に帰らないとすれば行く場所は唯一つ。ギシン星。
と、言うことは、タケルは自分が地球人であるという事に拘らなくなっていると考えられます。

ズールを倒した直後のタケルのアイデンティティはあくまで地球でしたが、マルメロ星との一件を経験したタケルのアイデンティティは地球以外にも見いだせていた事になります。
むしろ、自分が地球の災いの種になる事を恐れて地球から離れようとするほどに。
ギシン星との戦いの間は、地球に居られなくなる事をあれほど恐れていたのに。
これは、タケルが自分が何者であるのかを理解し、成長した証になります。
そして、迎える地球編。

命を削られてまでズールと戦うタケルの心は、地球を守るという想いは勿論ですが、宇宙をズールの好きにさせないという想いが勝っていたと思います。
ズールに従えば地球は何とか守れたかもしれない。
だけど、その他の星はどうなる?
そう考えると、タケルの選ぶ道は唯一つ。
「自分の命を引き換えにしてもズールを倒す」
それだけだったのです。
事あるごとにタケルが言っています「命尽きるまでにズールを倒す」「俺はズールを倒すために生まれてきたのかもしれない」
タケルにとって、一番に優先されるべきはズールを倒すこと。そうすれば地球も守れるから。
でも、ここにきて地球人である防衛軍の面子達との間で若干の意識のズレが生じてしまうわけです。
大塚長官やケンジ、クラッシャー隊のメンバーにとって、ズールは勿論倒すべき敵です。
でも、それは地球を狙ってくるから。
タケルのズールを倒すべき理由と乖離しはじめているんですね。

もし、マルメロ星編が無かったら、地球編でのタケルの心境の変化の辻褄が合わなくなるわけです。
マルメロ星と戦い、プラス超能力者とマイナス超能力者の壁を破ったタケルだからこそ、地球編では更に成長していたんです。
でも、やっぱり兄さん兄さんですけど(苦笑)←タケルを諭すことが出来るのは、実質マーグしか居ませんからね。

ズールを倒した後、イデアパパがタケルに呼び掛け、タケルもそれをすんなりと受け入れます。
そして、地球の母や仲間達に何一つ言わずに旅立ちます。
地球はタケルがマーズとして生きる決意をするまでの成長の場だったから。
最終話のエンディングで、過去の幸せな思い出を思い出しながらタケルが涙するのは、地球人・明神タケルに別れを告げたから。
ロゼの手を取り笑顔でマーグの待つ方へと進むのは、「マーズ」としての自分を自覚し、その役目を努めようと心を決めたから。

リアルタイムでは理解できなかった事ばかりです。
(私が莫迦なだけでしょうけれども)
こうやってギシン星編・マルメロ星編・地球編と見て行くと、タケルの成長がありありと余すところなく描かれているのが解ります。
こんな素晴らしい物語を、私とほぼ同じ年齢だった藤川氏が作っていたとは。

今回、駆け足気味になってしまいましたが、ゴッドマーズを読み解いていくと、兄弟や家族や仲間との絆だけでなく、一人の少年が自分のアイデンティティを獲得し、青年へと成長する非常に奥の深い物語になっている事が判ります。

ファンの贔屓目かもしれません。
でも、やはりゴッドマーズの物語は「子供達に向けて、大人の目線で作られた」物語なのです。
そういう作品が少なくなっている昨今、こういう壮大な物語のアニメがまた新しく作られる事を願ってやみません。

まったく個人的な趣味による 「僕のいた時間」 と 「六神合体ゴッドマーズ地球編」 の相似についての解釈

2014-03-15 20:47:07 | GM
はい。突拍子もないタイトルですね。
そんなのはいつもの事(?)なので、余り気にしないで下さい。


何故に「僕のいた時間」と「六神合体ゴッドマーズ地球編(以下GM)」なのかと言いますと。

そもそも。
春馬さんのオフィシャルサイトのトップページの写真が、「タケルが三次元に実在したらこんな感じになる!」
って感じの写真だったからです(笑)
はい、それだけで春馬さんファンになりました。
あああああ。すいません、殴らないで下さいね。30年以上ずっと好きだった二次元キャラが、
突然目の前に三次元になって現れた衝撃を、どう表現すれば良いのやら。
と、本人も言葉に出来ないような状況で春馬さんにハマってしまい、ラスシンから見始めました。
過去作品を見て行くと更に好き度がアップして、最新の情報で更に深みに嵌まり…。

「僕のいた時間」に至っては、春馬さんが拓人なのか、拓人が春馬さんなのか。
ってくらい、入れ込んでドラマを見ております。


で、やっと本題。

「僕いた」と「GM」なのか。

それは、両方の主人公に命のリミットが科せられた事です。

拓人はそれまでごく普通に特に将来とか深く考えずに日々を過ごしている就活生。
たまたま出会ったメグとなんとなく恋仲になるも、突然病魔に襲われ…。
自分の未来を見失った拓人は、病気の事を隠してメグを別れ、一人、病魔と闘い始める。

マルメロ星のギロンを倒し、再び平和を取り戻せたかと思った矢先、タケルの両手首には悪魔の枷が嵌められる。
超能力を使う度、戦うたびにその悪魔の枷がタケルの生命を縮めていく。
そして、命が尽きるのはいつなのか、タケル自身にも判らない。

その後の物語の構成が何だか似ているんですよね。

始めは周囲にひた隠しに隠して、何気ない感じを装って日々を過ごす。
しかし、ある時に一部の人間に事情を知られてしまう。
その人等には「他の人(若しくは一番知られたくない誰か)には黙っててくれ」と、頼む。
そうやって日々を過ごすが、どうにも出来なくなり、真実が明かされる。

周囲の人間は「死ぬな」と言うが、主人公は「死にたいわけじゃない」と葛藤する。
(タケルの場合は、「もう、戦うのは疲れた」とか言ってましたけどねww)

つまり、死を目前にした状態で「生と死」について否応なく現実を見せつけられるのです。
拓人は確実に進行していく病魔に。
タケルは日に日に弱っていく自分の身体に。

生きて行くのも辛いけど、でも、死にたいわけじゃない。

なんて 「デ・ジャ・ビュ」!

GMは、まあアニメ的なご都合展開があって、タケルは悪魔の枷から解放され、
真の敵を打ち破り、宇宙へと旅立つ訳です(ここら辺り、色々と書いてみたいんですけどねw)
拓人は…それは次の水曜日。11話、つまり最終回を見ない事には判りません。
アニメじゃないですし、実際にある病気を軸にしているだけにご都合展開は無いでしょう。
なので、かなり覚悟して最終回を見るつもりでいます。

最後はどうなるか判りませんが、「命のリミット」「自分に起こっている事を隠す」「事実を受け入れ葛藤する」
そういった心理描写が、「僕いた」と「GM」がよく似ていたんです。

「僕いた」の脚本の橋部さん、実は私と同い年だそうです。
驚きました。
もう少しお歳を召した方だと思っていたのです。
でも、それで逆に納得した部分もありました。
「同い年なら、同じ番組を見たりした可能性もある。もしそれが同じ作品で、同じように共感していたら…」
と。

「僕いた」で説明的台詞がほぼ無い事、詳しい背景描写が無い事、それでも物語は現実性を持って進んで行く事。
この要素は、70年代後半から80年代にかけてのアニメの脚本などの特徴と似ているんですよね。
要所要所で必要最小限の台詞。少ない登場人物のきっちりした役割と性格、時間の流れを意識せずに進むドラマ。
特に、アニメでは藤川桂介氏が得意としていた手法です。
GMを最後に脚本家を引退され、その後は小説を書かれたり、大学で講師をされたりしていらっしゃいます。

そういった物を橋部脚本に感じたのです。
それが「僕いた」と「GM」の相似。と、なりました。

どちらかしか知らない方、もしくは両方とも知らない方、ごめんなさい。
両方知っていても理解できない方もごめんなさい。
これは飽くまでも個人的な解釈なだけで、考察にまで至っていない物ですので。

って、自分のブログだからこんな事も書けるわけです(笑)

あー、書けてすっきりした。
これね、ずっと思ってて、いつ書こうか迷ってたんです。
でも、「僕いた」9話のいつものレポが完全にSTOPしてしまった事で、
「(この解釈を書かない限り、私は「僕いた」の最終回が見られない)」
と、思ってしまった訳なのです。
自分が先に進む為にも、この解釈の記事は必要だったんです。

ただ、拓人とタケルが唯一違ったのは。
拓人はメグに(と、言うかメグの存在を意識していなかったかもだけど)生きる恐怖をぶつける事が出来た。
でも、タケルは誰にもそれを話せないままだった。(心の中の兄さんにだけは語ってたけど)
と、言うところ。

そんな訳で、ドラマとアニメの奇妙な相似についての、個人的な解釈は終わりです!

「僕のいた時間」#03話 別角度から

2014-01-27 09:31:07 | GM
今日は「僕いた」03話を、ちょっとマニアック(ヲタク)サイドから見てみましょう。

私が参考にするのは、勿論、GM(六神合体ゴッドマーズ)の地球編です。

※※※

タケルの宿敵、ズールによってデビルリングをその両手首に埋め込まれたタケル。
超能力を使って戦えば戦うほど、その命の灯は短くなっていく。
そして、死を迎えるのはいつなのか判らない。
今日かも、明日かもしれない。
誰にも言わずに隠し通そうとしたタケルだが、大塚長官には秘密が露見する。
「確かに、お前の命は縮んでいる」
そう告げる大塚は、タケルと、何もしらない養母静子をタケルの療養の為に、
山深い鄙びた温泉宿へ行かせる。
其処でも静子に秘密を打ち明けられないタケルは、独り、涙を流す。

※※※

GM57話です。
ファンの間では、タケルの温泉シーンと、浴衣姿が話題になり過ぎたw回でした。


「僕いた」03話では、拓人とメグが草津温泉に行きました。
2人で湯船に浸かっていても、無表情の拓人。



この辺りが、GM57話と被ってしまって、泣きそうな状態。



メグと一緒に居る時には普通な状態を装って




タケルも、母と居る時にはいつもの「タケル」と言う息子を演じていて



でも、独りになれば「迫る死」に追い詰められる。







ロボットアニメと難病を扱ったドラマを比べるのはナンセンスで申し訳ないと思います。
しかし、その根底にある物は「自分の死といかに向き合うか。そして、残り少ない命をどう生きるか」と、同じ物なのです。
「僕いた」03話で、温泉に行くくだりで「何故にこういう場合は温泉になるのだろう…」と、考えてしまいました。
でも、はしゃぎ過ぎず、ふとした瞬間に物凄く静かな落ち着いた絵で見せられるのは温泉なのでしょうね。
「僕いた」の脚本家さんが、昔GMのファンだったか、藤川桂介氏のお弟子さんだったのではないかと、思ったりもしました(苦笑)

メグは無意識に拓人の左手と手を繋ごうとします。



そのメグを拓人は自分の右手側に連れてきて、そして手を繋ぎます。



03話の冒頭に比べて、拓人の病状が進行している事をさりげなく描いたシーンでした。
最初は、落としてしまったとはいえ、家具を持ち運びする事は辛うじて出来た拓人。
その拓人が、メグの家では左腕が上がらないと伝え、
温泉では、敢えて右手で手を繋ごうとする。

温泉に行った時の拓人の左手は、もう、メグの手の温かさも感じなくなっていたのでしょう。
だから、触れている事を感じる為に、メグを自分の右側に連れてきた。

そしてメグの肩に顔を埋める拓人。



いっそ、全てを明かして泣いてしまいたかったでしょうに。
必死に涙を堪えて、顔を歪めて、メグに悟られまいとしています。
メグの幸せそうな顔と対照的に。



もう力の入らない、温かさを感じる事が出来ない左手で必死にメグを包み込もうとする拓人の気持ちが、このカットに籠められているような気がします。

たった1話で病気の進行具合と、「告知」から、自分の気持ちに正直になるまでの葛藤を描いたこの03話は、本当にクオリティの高い回だったと思います。


話はGMに戻りますが、宿で夕食を楽しんでいる母子の元に、タケルへの出撃要請の連絡が来ます。
連絡を受けた母が振り返ると、既に浴衣を脱ぎ捨て、いつもの隊員服に身を包んだタケルが寂しそうな顔をして立っている。
母に「僕は、親不孝な子供ですね」と、寂しげな微笑みで呟くタケル。
自分の生はもう長くなく、せっかく母と2人で寛いでいた大切な時間すら、容赦なく奪われる。
秘密を隠している事と相まって、タケルは母に詫びるしかなかったのでしょう。

その顔を見た母も、一瞬寂しげな顔をしますが、すぐにいつもの毅然とした母に戻ります。
「気を付けるのですよ」
と、息子を送り出し、その声を受けて既に駆け出していたタケルは右手を上げて母に応えます。


ふひー。
ちょっとヲタク視線で「僕いた」を見てみました。
こういうシーンは、脚本と演出で内容がグッと変わります。
実写ドラマの場合は役者さんの芝居で更に。
その点、春馬さんと多部さんはとても素晴らしいお芝居をされていらっしゃると思います。
どこにでも居そうな普通のカップルを上手く演じていらっしゃいます。
このドラマは、それが重要な事だと思っていますから。

次の04話でお話が大きく動きそう。
また泣きそうになるかもですが、しっかり見たいと思います。

Buon Natale !

2013-12-25 23:28:32 | GM
ああ、書き終わらないうちにクリスマスが終わってしまうぅぅぅぅ。

書き物の神様の気まぐれで、GMのXmasネタが突如降って沸いていらしたのですよ。
昨日の夜中に!!

慌ててケータイでパーツを書きとめ、今日の宵の口から取り掛かったのですが…
前置きが長くなりすぎて、メインの話にたどり着けないまま、Xmasが終わろうとしています。
┐(´д`)┌ヤレヤレ

明日は映画「永遠の0」を観に行きますので、続きが書けるかどうか。

お正月になる前には何とかアップしたいものです(冷汗だらだら)
でないと Buon Natale どころか Auguri di Buon Natale e Felice Anno Nuovo! に、なってしまいますorz
(Buon Nataleは所謂MerryXmasで、Felice Anno Nuovo!は良いお年を の、伊語でございます。欧州はXmasと元旦をセットにしてカードを遣り取りするそうで…)


ま、いいや。Auguri di Buon Natale e Felice Anno Nuovo!になっても、アップいたしますから。

と、開き直りのSS書いてます宣言でございました。

Buon Natale !

駄目ぽ

2013-06-10 21:25:39 | GM
フォトショップ・エレメンツ。
しかも5年以上前の。

を、使ってお絵描きを始めたのはいいのだけど。
マシンを買いなおすまで使っていたモノホンのフォトショと、インターフェースやら機能やらが全く違ってて。
(まあ、当たり前なんだけど)
思うようにならなくて、作業を開始して3日目にして振り出しに戻っちょりますorz

最初は、ペン入れするのすっかり忘れててw、そのまま二値化しようとして失敗←数年振りですっかり忘れてたww
ペン入れして、スキャンし直して二値化しようとして、「しきい値」動かしたら…透過部分が発生して、必死こいて1dotづつ潰してたのだけど、いい加減嫌になって、二値化やり直してみた。

しきい値を動かさずにやったら二値化成功したものの、途中まで塗り塗りしていた色が主線と合わなくなってしまい…


結果


全て アッヒャッヒャ!ヽ(゜∀゜)ノアッヒャッヒャ! して、二値化成功した主線のみ残っている状態。


私、どんだけバカ?
あれだけ、嫌になるぐらいやってた作業を、数年ですっかり忘れてるって(T_T)
脳みその大部分が発酵しちゃったんやろか?


そんなわけで、イラストすら誕生日に間に合うかどうか怪しくなってきました(爆)


とりあえず、やれるだけやってみるさ。
間に合わなくても、地球が爆発する訳で無しww


( ´Д`)=3



7月7日の古代くん(2199公式)お誕生日、どうすっかな…。