シスターみみっくのなんだかわからない堂

日常のよしなしごとをつづります。正教会のお祈り、読んだ本、ハマリものなどなど。

カルト・パターン

2006-07-08 23:17:18 | いろいろ
<前略>禁止・強制ではなく、あくまで自主的に選択を迫られる。自らは自主的に選択したつもりでも、そこではある意思のもとに見事に誘導されている。
しかし、誰もそんなふうに誘導されたとは思いたくはないから、自らの意思だったと信じ込もうとする。<中略>
スタディをリードする者の気に入る答えはひとつだけであり、それ以外の答え方をしたものにはふたたび同じスタディがくりかえされた。
スタディに加わった者たちは決して正しい答え方を強制することはしなかった。何度でも同じスタディをくりかえし、そうすることによって自分が気に入る答え方が他にはないことを知らせた。
しばらくスタディが続けられる中で、彼らはようやくその要領を呑み込んだ。
最初の「スタディ」が成立した。
リードする者が気に入るような答え方をする以外に、この際限のない反復から逃れる術はなかった。そのことを悟ったのである。<中略>彼らもまた納得の行かないながらも、模範的な回答をし、消化不良の部分は気持ちの奥にしまいこんだ。
しかし、それは、やがて彼らの自己を引き裂き、自己は解体した。
あらゆることが虚しくなった。
虚しくなることによって、教えは彼らの中に注入され易くなっていった。
教えを受け入れさえすれば、この虚しさから脱出できる、それだけではない、新しい価値と評価を手にすることができる。
彼らは、そこにただ一点の光明を見た。
そして、その状態こそが皆が待っていた砕かれた状態だった。
もはや反抗するものはいなくなり、教えは砂が水を吸うように彼らの中に入っていった。
学生相手に、これ以上の洗脳の方法はなかった。相手の心理を探り、そのレベルにあわせて、唯一の選択をあくまで自主的に選び取らせる、それがスタディだった。
自ら「自分で決めて」答えを選択していくこの方法は、スタディを受ける側にも、強制されたという意識をもたらさない。
そのかわり、一度自分が答えた結果の上に、次から次へと最初の答えに矛盾なく論理を重ねていかねばならない。
途中で疑問を持つことは、それまでの自己を否定することになるし、そこにどのような矛盾があろうとも、それは自分が「自分の意思で」答えたはずのものであるからである。

…実はこの文、こちらからの改変である。↓
宿命―「よど号」亡命者たちの秘密工作

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私が以前いたいわゆるバイブルカルトの「バイブルスタディ=教え込み」の方法とまるで同じで、「指導員」「主体的」などの単語を変えただけ。
こういうこと(領導芸術。マインド・コントロールの一形態と思われる)をする国家なのだ、北朝鮮という国は。

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