時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

たそがれのクライスラー

2007年05月16日 | グローバル化の断面

  2003年、ベルリンのダイムラークライスラーのアトリウムで開催されたある国際会議に出席したことがある。目を見張るばかりの吹き抜けが自慢のビルだった。ベルリンが誇る現代建築のショーウインドウのひとつである。それから 約5年後の今日、ダイムラークライスラーは、業績不振に陥った北米クライスラー部門を米投資ファンドのサーベラス・キャピタル・マネジメントに売却することで合意したと発表した。

  合併が成立した1998年当時は、自動車産業の名門企業同士、「世紀の合併」といわれたが、約9年間で破綻した。当時、喧伝されたシナジー効果は生まれなかった。合併時はクライスラーもダイムラーも、中期的には業績のピーク時を迎えていた。お互いに売り時だったのだろう。

  さて、このクライスラーのサーベラス売却は両社を救うのだろうか。ダイムラー側は今回の売却でもクライスラーの負債削減などで12億ドルを超えるリストラ費用が発生し、結果的には持ち出しとなる。それでも、技術力があり高級車志向のダイムラーは、合併前のような労組・従業員との協力関係の復活も期待でき、なんとか立ち直れるだろう。

  しかし、クライスラーの側はきわめて厳しい。北米市場は日本企業などによる市場席巻などで様変わりしてしまった。かつて繁栄をきわめたビッグスリーの面影はどこにもない。

  1960年代、クライスラー社のメインバンク、マニュファクチャラーズ・ハノーヴァートラストに父親が勤務していた友人に案内されて、クライスラー本社を見学・インタビューさせてもらったことがあった。日本車はサンフランシスコの坂を上れないなどといわれ、ビッグスリーの大型車が席巻していた時代であった。当時はあのアールデコ風のクライスラー・ビルに、本社、関連バンクなどが入っており、日本の自動車会社と比較して、その壮大さに驚かされた。とりわけ、オフィスの立派なこと、社員のゆったりとした勤務ぶりなど、同じ会社でも日米これほどまで違うのかと思わされた。

  しかし、石油危機後、自動車産業の舞台はめまぐるしく変わった。ハイウエーはあっという間に日本や欧州からの中・小型車で埋まった。自動車産業アナリストが予想もできないといったほどの変わり方だった。

  サーベランスというファンドによって、クライスラーの回復はできるのだろうか。クライスラーは今回のサーベランスによる買収で今後は非公開会社となる。膨大な医療費と年金コストを抱えたクライスラーについて、アナリストたちは誰もが、成否は雇用削減次第と言っている。ファンドは情け容赦なく人減らしをするだろう。全米自動車労組であるUAWとクライスラーとの労働協約は今年改定時を迎えており、交渉上の立場も弱い。サーベランス側は、雇用削減を受け入れなければクライスラーは倒産すると迫るだろう。UAWは仕方がない選択と言っているが、組合にかつての力強さはない。

  自動車企業の経営改革が成功するか否かは、4-5年はかかるとみられ、サーベランスがそれだけの期間待っているか、疑問が持たれている。記者会見ではいちおう5年は株式保有するつもりといってはいるが、ファンドが製造企業の経営回復の目処がつくまで長期的にコミットするか疑わしい。少しでも有利な兆候が見られるようになれば、簡単に切り売り、売却、処分の対象とするだろう。サーベランスの語源は地獄の入り口に立つ犬とのこと。名門クライスラーの命運やいかに。

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