
ウイリアム・スタイロン William Styron が11月1日亡くなった。享年81歳。深く心に残る作家であった。アメリカという国の複雑さと奥深さ、そのどこかに潜む苦悩と狂気を実感したのも、この作家の作品を通してであった。
1968年のピュリツアー賞の受賞作『ナット・ターナーの告白』 The Confessions of Nat Turner を読んで以来、スタイロンはアメリカ文学の中では最も好きな作家の一人となった。この作品は文壇の常として、たちまち毀誉褒貶の波にさらされた。スタイロンには、やはり白人の目からであり、真の黒人や南部を描いていないとの厳しい批判もあった。しかし、幾多の批判を超えて、この作品はやはり素晴らしかった。
一時期、ニューイングランドからアメリカ南部へ移った繊維工業や反労働組合風土の調査をしていたこともあり、しばらくこの作品の世界に没入したこともあった。アメリカの深奥に潜む闇を教えてくれた作品だった。当時は南部を旅すると、とりわけ人種問題については複雑な思いをしたことも多かった。スタイロンの作品には南部に関連した主題が多いが、彼自身は「南部派」と呼ばれることを好まず、舞台は常に「不信と絶望」の現代世界を描いたと述べていた。
今日までの人生で、スタイロンほど影響を受けた作家はそれほど多くいない。どうしてそれほどまでに強い衝撃を受けたのか、自分でもよくは分からないが、遠因をたどると、子供の頃、母親の書斎にあったハリエット・ストウ夫人の『アンクル・トムズ・ケビン』を読んだ時の衝撃が、スタイロンまでつながっていたような気がする。フォークナーを読んだのは、スタイロンを読んでから後になった。スタイロンの作品は、人種差別やホロコーストなど、きわめて難しい対象へあえて深く切り込んで、傷も露わに問題を提起する。決して読後感はさわやかというわけには行かないが、心の底から揺り動かされる。
スタイロンの作品はこうしてかなり読んだが、なんといっても『ソフィーの選択』 Sophie's Choiceが与えた衝撃は、近時点ということもあって圧倒的であった。あのソフィーとネイサンがある晴れた日に選んだ破断の時、それと9.11がどういうわけか頭の中で重なってしまった。そのあらましは以前にブログに記した。スタイロンの文学史上の評価などは、まもなく始まるだろう。今はただこの偉大な作家を偲びたい。