時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

回想のアメリカ(4): 新たなグローバル・サウスの展開

2023年03月11日 | 回想のアメリカ


彼女はいかなる生涯を送ったのだろう:
時代は20世紀初期、アメリカ南部、ノースカロライナ:
「ウイットネル綿工場で働く若い紡績工 spinner のひとり。身長51インチ(1メートル27センチ)。工場ではすでに1年働いてきた。時には夜も……..。何歳からと聞かれ、ためらった後、覚えていないと答えた」(Beckert p.396)


半世紀近く前のことになる。アメリカの綿工業の史料を探索していた時に、当時の工場で働く児童や女子労働者を写したセピア色の写真のコピーを多数見出した。その中でも格別印象に残る1枚がこの写真である。有名な写真家ルイス・ハインの作品だ。ベッカートの『綿の帝国』にも掲載されている。後に彼女は16歳であったことが確認されているが、その何か思い詰めたような顔が今日まで筆者の脳裏に残ることになった。このことは
本ブログで紹介したこともある。この時代の写真に写る少女や児童には、子供らしい笑顔がほとんど見られない。自らの人生の行方を承知しているかのようだ。

当時は16歳以下の児童が工場労働に従事することは禁止されていた。工場監督官が視察に来て発覚すると操業の停止などの処罰があった。少女はそうしたことを知っていたのだろう。


べッカートの『綿の帝国』を原書で読んだのは2014年の刊行直後であった。長らく関心を寄せていたテーマではあったが、その視野の壮大さと考証の詳しさには圧倒された。これだけの重厚な作品を提示できる研究者はきわめて少ない。全体615ページの内、本文は445ページ、残りの170ページは注や索引に充てられている。

ブログ筆者は、すでに原書刊行の段階でかなり惹き込まれて読んでいたので、ほぼ10年を経過した今、思いがけず邦訳に接し、記憶を再確認するつもりで短いメモ(覚書)を1回だけ残すつもりでいた。しかし、この10年間にもかなりの数の研究、新たな発見もあり、当初の予想を超えて書き込んでしまっている。10年前には思い出さなかった記憶の断片も次々と浮かんできて、記憶の仕組みに改めて驚く。総括の意味で少しだけ追加することにした。

人類が綿糸や綿織布を生み出したのは、約5000年前のインドであったといわれる。その後、多くの大陸へ普及したが、ヨーロッパへ到達したのは、かなり遅い950年頃であった。しかし、ヨーロッパの起業家たちは国家と結びつくことで、短期間に大きく綿業の世界を変容させた。イギリス東インド会社の発展は、その一つの象徴だった。そして、この変化を可能としたのは奴隷制を中軸とした暴力的なシステムだった。ベッカートはこれを「戦争資本主義」 (Beckert pp29-82)という概念で説明している。次の段階で綿業は契約と市場を重視した「産業資本主義」の流れへと移行する。国や地域によって差異はあるが、労働者も自然発生的な抵抗や労働組合活動などを通して一定の地位向上に成功する。

グローバル・サウスへの道
この間に資本主義発展の数々のドラマが織り込まれてきた。中でもイギリス、マンチェスターを中心とするヨーロッパから、新大陸アメリカのニューイングランド、そしてアメリカ南部への産業移転はよく知られている。イギリスにおける綿製品製造業の衰退は劇的であり、世界の多くの地域に、マンチェスターに匹敵するような綿産業地帯が生まれた。アメリカ南部への移動は、北側のアメリカ合衆国内部でのグローバル・サウスへの移動になる。南部の綿は19世紀にはリヴァプールなどのヨーロッパの港へも輸出された。

ベッカートはこの変化を支えてきた大きな力が奴隷制に象徴される「暴力」と農場や工場労働を可能とさせた「強制」であったとして、その分析に多大な努力を傾注している。奴隷制については、多くのことが思い浮かぶが、それを記している時間はなくなった。ただ、アメリカ南部において、奴隷労働は南北戦争で終わりを告げたのではなかった。奴隷制は無くなったが、彼らはシェアクロッパー(物納小作人:収穫物の一部を小作料として収める小作人)へと追いやられた。実態は以前と変わらない、休むことをを許されず、鞭で打たれ働かせられる日々であった。さらに、輸送手段の発達で、世界中各地にマンチェスターのような「綿の帝国」が生まれた(Beckert pp274-342)。

せめぎあう資本家と労働者
ヨーロッパからアメリカ東北部に重心移動した綿業で、屈指の産業地帯となったマサチューセッツ州フォールリヴァーは、多数例の一つに過ぎないが、1920年代の綿業最盛期には工場数は111に達し、繊維業従事者数はおよそ3万人、アメリカ全体の紡績能力の8分の1に達していた(Beckert pp384-385)。

フォールリヴァーについては、当時の工場、生活状況がきわめて劣悪、危険な状況であったこと、その改善を求めて労働者の組織化、プロテストが続発していたことなどが、ブログ筆者の関心も引き寄せた。こうした綿業発展の過程での労働条件の劣悪化と労働者の組織化、改善への動きは、ヨーロッパ、アメリカ、日本などのアジアでも広範に展開していた。


1930年代までにアメリカ東部ニューイングランドの綿工業は、イングランドの工場よりもさらに徹底的な衰退を経験した。市場のシェアを奪った国の中では日本の伸びが群を抜いていた。綿紡績業は長らく日本の製造業の中軸であり、競争力も維持されてきた。Beckertは、渋沢栄一(1840~1931)についても、日本の綿業の創設者として、インド、中国、エジプトなどの企業家たちと並び、「グローバル・サウス」の復活の流れに位置付けている。日本製品などの低廉な輸入品に対抗するために、Buy American運動が企図されたこともあった


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日本では最盛時には、終夜営業の 紡績工場、1日14時間の 過酷な工場労働に依存する紡績業が発展し、1912年には紡績業が国内産業の5割を占めるほどになった。日米貿易摩擦も生じ、1940年には 日米通商航海条約が廃棄される結果につながった。
Beckert, Chapter 13 The Return of the Global South 参照。

20世紀後半まで、日本の専門・総合商社の中には、綿業を主体として成長した企業もあり、「日綿實業」(ニチメン、双日)、「東洋棉花」(トーメン)など、社名に綿(棉)の文字を含んだ企業もあった。

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アメリカ南部の優位
綿紡績業のグローバル・サウスへの移行は、南北戦争後のアメリカで始まった。アメリカは綿業の南部原綿産出州への移行に伴い、自国内にグローバル・サウスを持つことになった。

主たる原綿産出州はSouth Carolina,Texas, California, Arizona, Mississippi, Missouri, Florida 

南部の綿企業は、原綿産出地に近接していたばかりでなく、工場での労働条件も劣悪だった。1905年時点で、綿工業全労働者のうち16歳未満の年少労働者は南部では全労働者数の23%を占めたが、ニューイングランドでは6%だった。南部の労働時間の長さは、週64時間、75時間労働も珍しくなかった(Beckert pp.185-187)。筆者も数多くの写真を撮ったが、保存状態が悪く、今見ると対象が確認できないほど色褪せてしまった。

南部諸州では労働組合もほとんど未組織で、労働法の規制も北部と比較すると、かなり緩かった。1925年には南部の紡錘数はニューイングランドを上回った。1965年にはその比率が24対1までになっていた。

しかし、20世紀後半になると、企業は再び安価な労働力を求めて、南の発展途上国としてのグローバル・サウスへと移転する。今日の世界でも、綿産業の優劣を大きく左右するのは、そこに従事する労働者の労働コストの水準である。南のアフリカ、アジア、南アメリカの発展途上の国々が該当する。中国を含むべきかは論者や文脈で異論がある。

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2021年の世界の綿花(実綿)生産量の国別ランキングを見ると、 1位は中国の17,366,363トン、2位はインドの17,204,000トン、3位は米国の11,246,553トン、4位はブラジルの5,712,308トンであった。
Beckert 

2022年には、中国を含む新興国・途上国のGDPは、G7のそれを凌駕した(IMF統計)。
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強まる新たなグローバル・サウスの優位
さらに、近年では、ヴェトナム、バングラディシュのような発展途上国が価格競争で中国などを凌ぐまでになった。中国も急激な賃金上昇で、昔日の優位を保てなくなっている。かくして、中国を除くアジア、アフリカ、南アメリカなどの新たなグローバル・サウスが優位を占める時期がかなり続くかもしれない。しかし、筆者には今の段階で明るい未来のイメージは浮かんでこない。かなり、乱気流がありそうだ。



20世紀初頭、1908年、ウィットネル綿工場(上掲)の労働者たち。
圧倒的に年少者たちが多い。
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