時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

現代人の幸せと不安:イアン・マキューアン『土曜日』を読む

2006年01月24日 | 書棚の片隅から

  インターネット社会といわれ、情報は溢れるばかりに存在するが、信頼できる情報は必ずしも十分ではない。昨日のヒーローも今日は落ちた偶像、移ろいやすい世の中。物質的豊かさという意味では歴史上の最高水準に達したともいえるが、不安や危機感はかえって増幅している。現代社会に生きる人々の抱く不安や幸福感はどこから生まれるのだろうか。このブログでもとりあげているジョルジュ・ド・ラ・トゥールが生きた16-17世紀の人々と比較して、どんな違いがあるのだろうか。こんなことをとりとめなく考えながら、小さな(しかしきわめて濃密な)本を読んだ。現代イギリス文壇の第一人者ともいわれるイアン・マキューアンの新著『土曜日』*である。

  主人公ヘンリー・ペロウニーは48歳、名手といわれる成功した脳神経外科医である。妻は新聞社の法務分野を担当する有能な弁護士、息子と娘二人の子供に恵まれ、物質的にはなんの不足もない豊かな生活を送っている。堅実に富を築いてきた結果を思わせるジョージアン風の家。

  2003年2月15日の土曜日夜半3時40分頃、ふと目覚めたヘンリーは、未だ夜の闇に包まれた町並みを寝室の窓から見るともなしに眺めていた。その日に起きたさまざまなことが頭を去来している。窓の外を夜勤帰りの看護婦らしい二人の女性が帰宅の道をいそいでいる。ヘンリーの勤務する病院からの帰途だろうか。交代明けにしては、時間が合わないと彼は思う。すると、まもなく機体から火を噴いているらしい航空機がヒースロー空港に向けて降下して行くのを目にする。最初は流星かと思った光だ。寝ている妻を起こして話そうと思うが、事故であればまもなく大騒ぎになるだろうと思いつつ、脳裏に去来するさまざまなことを考えている。

  小説の舞台は、2月15日土曜日という一日だけに設定されている。彼の心のどこかで不安を生んでいたのは世界の状況、とりわけイラクに対する差し迫った戦争であり、17ヶ月ほど前に起きたニューヨーク、ワシントンでの同時多発テロ以来のペシミズムの高まりであった。

  この日主人公は、ロンドンの街路を埋め尽くした反戦デモを避けようと同僚の麻酔医とスカッシュ(球技)をプレーするために球技場へ行く途中だった。小さな衝突事故で彼は一人の若者と対決することになる。彼の目からすると、どこか決定的におかしい、正気でない人間に映った。他方、若者はヘンリーが自分を仲間の面前で恥をかかせたと思った。その後、事態は思いもかけない方向へと展開していく・・・・・。

  小説の顛末を書くほどおろかなことはない。他方、マッキューアンのこの小説は主人公の外科用メスのように、正確に作家の目指す方向へとプロットを切り裂いて行く。人間のどこかにひそむ恐れ、不安、迷い、さまざまな精神神経症的症状、殺意・・・・・・。そして、人間の求める幸せとはなになのか。

  人間の幸せの本質は複雑でとらえがたく、もろく移ろいやすい。それはなまじの小説家が扱うよりも、練達した医師の方がはるかに適している。医師、とりわけ外科医は常に生と死の狭間にある対象を前にして、その行方を追っている。時には、壊れた部分を繕うこともする。幸せを取り戻す役割でもある。彼らにとって小説は不要な存在なのだ。マキューアンはまさに名手の技をもって、この役割を描いている。そこに描かれた現代人の幸せ、そしてあらゆる種類の不安、暴力、そして恐怖の
様相は絶妙である。おそらく、この小説家の達した極致的作品のひとつであろう。ブッカー賞(1998)受賞作の「アムステルダム」**よりも、一段と洗練された水準に達していると思われた。

* Ian McEwan. Saturday. London: Vintage, 2005.
本書の邦訳はまもなく新潮社から刊行されるとのこと。
**『アムステルダム』新潮社、1999年

Ian McEwan Homepage
http://www.ianmcewan.com/

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