時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

誰が作品の「美」を定めるのか(4)

2023年06月19日 | 特別トピックス


《ニオべの像》大理石、ウフィツィ美術館、フィレンツェ

美の理想はどこに
有史以前から今日まで、到底数えることのできない幾多の美術作品が世界で生み出されてきた。しかし、これらを対象に、多様な作品の持つ「美」の本質、さらには優劣を評価、判定できる一貫した理論を期待することは不可能に近いことが明らかになってきた。それでも、これまでに多数の美術史論構築のための試みがなされてきた。その多くは西洋、東洋など地域別の区分、古代、近代、現代などの歴史の展開過程の区分など、いずれも対象領域は限定的であり、その限りで規範を求めてきた。

複雑多岐にわたる美術の世界を旅するには、これまで多くのガイドの役割を果たしうる試みがなされてきた。中でも重要なのは、美術史論だろう。前回に紹介したウッドの著作もその一つであり、視野はほぼ西洋美術に限定されるが、お勧めできる秀作と考えられる。少なくも、日本に多い安易な「教養」を標榜するお手軽本とは深く一線を画する。

ウッドの『美術史の歴史』は、時間軸を現代に向かって下るが、その過程を21の章に分け、各章がそれぞれの時代区分に対応している。例えば、最初の章は800-1400年、最後の章は1950-1960年となっている。各章は、それぞれの時代に生きた美術家の多くを網羅的に取り上げるというよりは、その時代を主導したとウッドが考える1人、あるいは数人の美術家について書かれている。

本ブログでもラ・トゥールの作品探索などで取り上げてきたように、17世紀までの美術の世界はアルプスの南、イタリアのほぼ独断場であった。

「南」の世界への憧憬

1650-1700年:
イタリアでヴァザーリの『列伝』が刊行されてからほぼ1世紀が経過すると、ヨーロッパ画壇にはあるイメージの定着が見られるようになっていた。16世紀初頭の大画家、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエルの名を筆頭にアンドレア・デル・サルト、コレッジオ、ポントルモ、ブロンツィーノ、パルミジャニーノ、ティティアンなどの名が夜空の星のように燦然と輝き、後世に伝えられた。

ヴァザーリの美術作品への論究は、文字通り列伝の域にとどまり、彼自身の独創に基づく分析はない。しかし、当時の評論家などが同時代の画家たちをどう評価していたか、その雰囲気が伝わってきて、きわめて興味深い。列伝という体裁で、同時代の美術家を礼賛、評価することに最大の力点を置いた作品だが、その歴史的位置を理解して読むならば、極めて興味深い。さらに、邦訳には訳者の適切な解説が付されており、かつて英語版で読んだ時よりもはるかに読みやい。なぜ、イタリアが長らく美術の世界において、独占的地位を保持し続けたのか、美術史研究者ならずとも、必読の著作だろう。



以前に記したように、17世紀末までは、イタリア以外の地域での美術論の書き手はヴァザーリのローカル版に過ぎなかった。「南」は断然、優位な地位を占めていた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ヴァザーリの列伝に相当する業績は、実はイタリア以外にもあった。例:Karel van Mandler’s Schilder-Boeck (1604)やJoachim von Sandrart’s Teutsehe Academie (1675-1679)などを挙げることができる。フランスでは 画家、彫刻家、外交官でもあったRoger de Piles (1635 – 1709)は、地元の画家たちがイタリアの画家たちと張り合うことになることを期待し、そのための美的嗜好を開発することに努めた。具体的には、ルーベンスやレンブラントのような画家の画風を教え込んだ。しかし、それでもイタリアの優位は長らく衰えることがなかった。その後500年近くが経過したが、アルプスの分断は深く両側の美術風土に影響を残してきた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

近代美術史学の誕生まで
ヴァザーリから200年後、ドイツ人美術史家ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン(1717-68)は、古典的理想に心酔し、著書History of the Art of Antiquity, 1764において、近代美術史学を初めて確立したと言われる。


ヴァザーリの列伝から数えて、ほぼ2世紀余り、初めて美術のスタイルと文化に関する体系的な著作が生み出されたといえる。ヴァザーリがそうであるように、ヴィンケルマンも美術の習得には正しい道と誤った道があり、前者は、起源の時と場所を明らかにできる古代、言い換えるとギリシャ、ローマの時代に遡り、理想化され美しい肉体の完全なモデル、彫刻を選択、再現すべきと考えていた。とりわけギリシャ美術は、完全に独創的であり、エジプトその他の美術からは全く影響を受けていないとの確信が表明されている。

ヴィンケルマンはさらに「帰属」と「国民性」という2つの重要なコンセプトを導入した。「様式」styleは帰属を定めるものであり、「美術」art は描かれた人々など対象が反映する「国民性」の表象ともいうべきものである。 そして、あえて単純化して言えば、ヴァザーリに代表された列伝という「美術家の歴史」から様式(スタイル)に重点を移した「美術作品の歴史」へと転換が図られた。現在から見ても、ヴィンケルマンの貢献は大変大きいと考えられるが、ギリシャ、ローマ以外の美術へも目を向けるべきだとの考えも当然ながら浮上してきた。その一つのきっかけは、間もなく浮上したオーストリア美術への関心の移行だった。「美」は「南」にあるとのイタリア独占観は、美術史論においても崩れを見せ始めた。


Note:
雑事にとりまぎれ、しばらく更新が滞っていたが、前回6月2日付のブログで、画家テニールスの手になるレオポルド・ヴィルヘルム大公の画廊を描いた一枚を掲載したが、本日(2023年6月19日朝刊)の『日本経済新聞』の囲み記事『名画の中の絵画十選』にも、テニールスの同じ主題による別の油彩画と紹介記事 (視覚デザイン研究所編集長早坂優子氏)が掲載されている。

続く
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 誰が作品の「美」を定めるの... | トップ | 誰が作品の「美」を定めるの... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

特別トピックス」カテゴリの最新記事