時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

誰が作品の「美」を定めるのか(3)

2023年06月02日 | 特別トピックス


David Teniers II(1610-1699), Picture Gallery of Archduke Leopold Wilhelm (1651). Oil on canvas, 96 x 129cm. Brussels, Musees royaux de Belgique.  Wood(2019,PB版ではモノクロ)
左側上から3段目に付けられたカーテンは特に重要なラファエル《聖マルガリータと龍》を保護するためとされる。ラファエロが別格の評価を受けていることに注目。ヴィエナ ヴィエナ美術史博物館蔵
 
大きな壁面を埋め尽くした額縁付きの油彩画の数々。説明を受けるまでは、なんとも不可思議な絵画作品である。この作品はバロック期のフランドルの画家ダフィット・テニールスの手になるものである。1647年から1656年にかけて、スペイン領ネーデルラントの総督であったハプスブルク家大公レオポルド・ヴィルヘルムのために、その膨大なコレクションの一部を誇示するために、作品として制作した10点の内のひとつである。真ん中に立つ帽子を被った人物が大公と思われる。テニールスは、右側テーブルの後ろで作品を示している人物とされる。

大公は自らが取得した膨大なイタリア絵画のコレクションをベースに、宮殿内にテニールスがピナコテーク pinakokokhek と呼ぶ画廊を設置した。テニールスは10点の上掲のごとき油彩画とは別に、大公のコレクションの中から243点のイタリア絵画を選び、Theatrum Pictorumと題したアルバムを編纂した。この時点で、大公は517点のイタリア絵画と880点の北方絵画を所蔵していた(Wood p.133-134)。

この時代、作品の優劣の選定に際しては、このような環境の下で行われていたことが分かるという意味では、興味深い作品ではある。しかし、こうした作品は本来的に大公が自らの膨大なコレクションを誇示するための手段のひとつであったことはいうまでもない。

1650-1700年
前回に続き、クリストファー・ウッドの著書について少しコメントをしておこう。とはいっても、読者が本書を実際に手にとられ、目を通されることが前提なので、あくまでブログ筆者の覚書にすぎない。対象とする時代は17世紀後半である(Wood pp.127-140)。

ウッドの著書表紙には、A History of Art History『美術史の歴史』と記されているにもかかわらず、内容は美術史の歴史を標榜するのはあまり適切とはいえない。一般に想定される美術史よりもスコープはかなり狭い。通常の美術史の書物にお定まりのようにみられる多数の絵画作品の挿絵、説明などはほとんどない。ウッドは、「芸術」と「時間」や「歴史」との関係、つながりをより広く考えることで、西暦800年から20世紀後半に至る時間軸に沿って、豊かで長い物語を形成することができると述べている。しかし、ヴァザーリが登場する16世紀までの叙述はやや退屈な感もある。

ウッドは、しばしばアナクロニズムや古風なもの、あるいは過去のタイプや規範を前提とした芸術に関心を寄せている。また、民芸品、奉納品、遺物あるいは、フォークアートなど、美術史の主流から外れた作品にも関心を寄せている。時間性を揺り動かす芸術作品は、本書を通しての重要な糸となっている:「美術史は、現代生活の中で、時間についての異質な考え方が守られる数少ない場所である」。ウッドがこのようなアプローチを選択したことは、驚くにはあたらない。アートは私たちに別の種類の時間を与えてくれる。

しかし、このように芸術が内在する時間性にやや型破りな焦点を当てたにもかかわらず、ウッドの著書の内容は多くの部分が馴染み深いものである。17世紀までの時の流れの中では、ひとつは、ヴァザーリ(1511-1574)の存在が大きいことである。ヴァザーリの仕事は、多くの意味で美術史の始まりを告げるものとされる: 「ヴァザーリは芸術を世俗の歴史から解き放ち、芸術は独自の歴史を持つようになった」。

ヴァザーリは前回紹介した現代に残る著作『最も優れた画家、彫刻家、建築家の生涯』(略称:芸術家列伝)によって、芸術家と作品制作の間のフィードバックのループを確立し、以来、その関係は続いている。芸術家たちは、ヴァザーリによって書かれた歴史に自分も参加していると考え、『生涯』の年譜の中に自分のキャリアの軌跡を見出したのである。

ヴァザーリの著作の初版が刊行されてからほぼ1世紀が経過した17世紀初めの時点で、あたかも夜空の星座のごとく燦然と絵画史に残っていたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、そしてラファエルであった。さらに、アンドレア・デル・サルト、コレッジオ、ポントルモ、ブロンジーノ、パルミジャーノ、ティティアンの名も残っていた(Wood p.127)。しかし、カラヴァッジョもプッサンなども、ほとんどさしたる場所を見出していない。

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哲学者の登場と役割

ウッドが、ヴァザーリの後に登場させる人物については、予想がつかなかった。ウッドは画家ではなく、哲学者フランシス・ベーコン(1561-1626)が、現代の芸術観のカギを握っていると考えているのだ。ベーコンは、自然から知識を引き出す唯一の方法は経験(観察と実験)であり、その最終目標は事実と虚偽を区別することであるとしている。

ウッドはさらに哲学者フリードリヒ・ヘーゲル(1770~1831)を登場させる。ベーコンに対抗して、芸術は「少なくとも真理の片鱗」を明示できると主張し、現実そのものにはない「片鱗」を提供することができると述べている。さらに最近では、哲学者ハンス・ゲオルク・ガダマー(1900-2002)が、芸術と時間との関係を考えることで、ヘーゲルとベーコンの両極端の中間的な立場を提供している: 「芸術が客観的な分析から逃れられるのは、それが決して完全な歴史的存在ではないからである。」(pp.164-65)。

多くの点で、この引用は、芸術の時間性と歴史との関係についてのウッドの広範なテーゼの端的な要約と考えうる。しかし、ヘーゲルもガダマーもベーコンほどには人気がなく、経験主義的な知識から芸術を切り離すことは、少なくとも西洋の世界では受け入れられてきた。私たちの多くにとって、芸術は「あるものを見るのではなく、せいぜい、ないものを見るだけ」なのである。
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ウッドのヴァザーリ、ベーコン、その他の初期の思想家についての議論は、ある意味で、18世紀末に近代美術史が学問として「誕生」する瞬間への序章である。

ウッドは、"19世紀初頭の美術史家はほとんど影を潜め、実のところ、読んでもあまり面白くない "と断言しながらも、美術史にとって19世紀がいかに重要かを伝えている。例えば、1844年には、「芸術家ではなく美術史家」についての最初のモノグラフが出版されており、この学問が「始まってすぐに」自らを二転三転させていることを物語っている。世紀後半になると、この学問は学問体系に組み込まれ、「近代的な輪郭」を帯びてくる。美術史の分野で働く大学講師の数など、一見ありふれた細部に注意を払うことで、ウッドは思想史家にありがちな落とし穴、つまり思想を生み出す人々や制度から思想を切り離すことを回避している。また、1920年代の歴史学の台頭が、「収集、管理、美術館、そして一般的な美術史の感覚的な美術との関わりからの転換を示唆した」というような、より大きな変化にも敏感である。これ以降、美術史家が自ら画家やコレクターである可能性は低くなる。

『美術史の歴史』の構成は、時間軸を現代に向かって下るが、21の章に分けられ、章ごとに不平等な時代区分がなされ、最初の章は800-1400年、最後の章は1950-1960年となっている。しかし、各章は時代そのものというよりも、一人、あるいは数人の人物について書かれている。あたかも小さな出来事、小品集 vignette の連続のようだ。かなり読み応えがある。その意味はやはり本書を実際に手にとっていただくしかないが、今回はこの辺で止めておこう。


続く
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