赤色の濃さは1940年の人口に占める南部生まれ白人の比率(%)
★南部からの白人移住者は南北戦争時の北軍の州を好まなかった(右上)。
★モルモン教の本山のあるユタ州は、宗教上の差異で魅力が少なかったのかもしれない(左UT)
★モルモン教の本山のあるユタ州は、宗教上の差異で魅力が少なかったのかもしれない(左UT)
★南部諸州は右下灰白色部分
Source: The Economist April 1st 2023
このブログでも取り上げた「グローバル・サウス」の概念とイメージは、日本でも次第に浸透しつつあるようだ。そのひとつの起点ともなったアメリカ「南部」(the South)の本質そして実態は、アメリカでも必ずしも正しく理解されてこなかった。ましてや日本では一般にはほとんど知られていないテーマだ。
他方、アメリカではこの10年くらいの間に、南部への関心は急速に拡大し、新たな議論と研究のテーマとなってきた。ひきがねとなったのは、トランプ大統領という異色の人物の登場であった。南部の保守性の根源について新たな視点での研究や関心の掘り起こしが進んでいる。ここでは、その中から最近ブログ筆者の目に止まった記事*を紹介しつつ、最近の南部についての関心の高まりの意味を考えてみたい。
ちなみに、アメリカでは共和党を支持する傾向を持つ州を「赤い州」red state、民主党を支持する傾向がある州を「青い州」blue stateと呼ぶ。特に、2000年の大統領選挙に関わる紛争を契機に、保守とリベラルの対立激化、それを定める地域性が、南北戦争以来の対立のごとく、大きな注目を集めるようになってきた。一体、この色を定める要因は何だろうか。
*“The Other Great Migration” The Economist, April 1st 2023
ブログ筆者は長年にわたり、人口・労働力移動の問題を研究対象のひとつとしてきたが、その出発点はアメリカ綿工業の北部から南部への移転だった。人口や労働力の移動が、移動先へいかなる影響をもたらすか、
その後、アメリカに関わる領域で、注目してきた点は、南部から北部への人口移動がもたらした政治色の変化である。アメリカでは南北戦争(1861-65年)後、何百万人というアフリカ系アメリカ人(黒人)が南部の地を離れた。多くは新たに「奴隷制」から解き放たれた人たちだった。彼らはデトロイトやニューヨークの製造業などで働くことで、より良く安全な人生に出会うことができた。この動きはアメリカ史上「大移動」great migration として今日知られている。彼らが落ち着いた土地では、文化や経済に変化をもたらした。北部の都市の政治については、永続的な左翼的力を付け加えた。南部で生まれ、アメリカ北部のいずれかの地域に住んでいる人々の数は、南北戦争(American civil war)の後、急速に増加してきた。白人は600万人を越えて増加しているが、黒人は1980年頃をピークに減少している。
しかし、これだけが「大移動」のもたらしたものではなかった。1900年から1940年の間に、およそ5百万人の南部白人が南部連合や隣接したオクラホマの土地を離れた。さらに本年末には発表されるとみられる「国勢調査」報告を先取りすると、南部から移動した白人労働者は数こそ多くはなかったが、各州へ広がり、文化的影響、そして政治的影響をもたらしたと思われる。
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*「大移動」は、米国の歴史の中で最も大きな人々の移動の ひとつだった。1910 年代から 1970 年代にかけて、およそ 600 万人の黒人がアメリカ南部から北部、中西部、西部の州に移動した。大衆運動の背後にある原動力は、人種的暴力から逃れ、経済的および教育的機会を追求し、ジム・クロウ(Jim Crow:黒人差別政策)の抑圧から自由を得ることだった。
大移動は、多くの場合、2 つの世界大戦への米国の参加と影響と一致して 2 段階に分けられる。最初 の大移動 (1910-1940)で 南部の黒人は、ニューヨーク、シカゴ、デトロイト、ピッツバーグなどの北部および中西部の都市に移住した。1917年に戦争が激化したとき、より有能で頑健な身体の男性がヨーロッパ戦線に送られ戦った. ヨーロッパからの移民の減少と世界の他の地域からの有色人種の受け入れ制限により、労働供給はさらに逼迫した。これらの結果として、黒人人口が非農業産業の労働力となる機会が生まれた。
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南部からの白人労働者移動
他方、南部からの白人労働者は人種の面でも黒人労働者と異なっていた。中には貧困な労働者もいたが、平均して黒人の移住者よりは富んでいた。移住先地域の住民とほぼ並ぶ富裕度だった。黒人移住者は都市へ移住した者が多かったが、白人移住者は西部などでは農村部など非都市部へ移った者が多かった。
人種的および宗教的に保守的な南部の白人移民は、経済的保守派との広範な連合に新たな選挙の可能性を見出した。かなりの地理的範囲で、これらの移民は、党派の再編成を早め、長期的には全国的な影響力を持つ新右派運動の触媒となり、強化するのに役立った。南部以外の保守的な有権者層を増やすだけでなく、彼らは福音派(エヴァンジェリカル)の教会を建設し、右翼メディアを拡大し、異人種間結婚や住宅統合を通じて混合することで、非南部人に影響を与えた。
保守化を強めた白人移住者の力
1960年の国勢調査によると、これら白人移住者は、教会を設立したり、新聞、ラジオなどのメディアで働く者が多かった。結果として、居住地域へ保守的な政治的影響を及ぼしたとみられる。1940 年までみると、北部では一人の南部からの白人の移住者の追加は、2000年から2020年において大統領選の共和党候補者に一人以上の追加票をもたらす効果があったと推定されている。結果として、立法、経済、社会問題の対応で保守派に有利に働いた。
南部黒人の北部移住
20 世紀には、アフリカ系アメリカ人の地方から都市部への移住の 大きな波が見られ、国の人口構成だけでなく黒人文化も変化した。
1910 年代から 1970 年代にかけて、およそ 600 万人の黒人がアメリカ南部から北部、中西部、西部の州に移動した。こうした大衆運動の背後にある原動力は、人種的暴力から逃れ、経済的および教育的機会を追求し、ジム・クロウの抑圧から自由を得ることにあった。.
第二次世界大戦の影響
世界大戦が勃発すると、国の防衛産業が拡大を開始、他の地域のアフリカ系アメリカ人により多くの仕事をもたらし、1970 年代まで活発だった大規模な移住を再び促進した。この期間中、より多くの人々が北に移動し、さらに西 に移動して、オークランド、ロサンゼルス、サンフランシスコ、オレゴン州ポートランド、ワシントン州シアトルなどのカリフォルニアの主要都市に移動した。第二次世界大戦の 20 年以内に、さらに 300 万人の黒人が米国中に移住した。
大移動の第 2 段階で移住した黒人は、住宅差別に遭遇した。これは、地域が制限的な規約とレッドラインを実施し始めたため、隔離された地域が作り出されただけでなく、米国の既存の富の人種格差の基盤にもなった。
近年の動向
今日、アメリカ人は反対方向へ動いている。2000〜2022年についてみると、トップ10州のうち9州までがアメリカ国内の移住者で見ると、他州への移住者が純増している州では、彼らの行き先は主として南部を目指していた。これについては幾分、これまでの北への移住の揺り戻しのようなところもある。かつての南からの移住者が多い北部在住の白人たちは、子供にエヴァンジェリカルの影響で、聖書関連の名前をつけることが多い傾向があるようだ。
人の移動に付帯する文化的要素、中でも宗教や政治についての考えが、移住先の政治的雰囲気を変化させることはきわめて興味深い問題であり、その動向はさらに注目を集めるだろう。
終わり