時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

真実と虚構の間(2):パスカル・キニャール

2007年05月10日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの書棚

   ジョルジュ・ド・ラ・トゥールを取り上げた文芸作品は数多いが、今回はパスカル・キニャールについて少し書いてみよう。この作家は現代フランス文学を代表する大家の一人といえるが、17世紀ヨーロッパ、バロックの世界にかなり深く関わっている。      

 ジョルジュ・ド・ラトゥールを直接取り上げた作品もあるし、その他の作品でも多数のバロックの文人、美術家などが登場する。ラ・トゥールについてのこの著作は、画家の生涯における主要な出来事と作品をめぐるいわばエッセイであり、紹介でもある。この作品は正面から画家をとりあげているので、ラ・トゥールについてある程度知っている読者ならば、比較的スムーズに読むことができる。

 しかし、キニャールの他の著作はかなり難物である。この作家は大変な博覧強記で、しかも相当衒学的なところも持ち合わせている。虚実取り混ぜて、作品にさまざまな仕掛けをしている。多くの作品で、読者の力量がテストされているようなところがある。代表作『ローマのテラス』**からそのひとつの例を挙げてみよう。ちなみに、この著作は、2000年度のアカデミー・フランセーズ小説大賞受賞作品である。

 舞台は17世紀のヨーロッパ、バロックの世界。ヨーロッパ中の画家や画業を志す者はこぞってローマを目指した。ラ・トゥールがローマへ行ったかどうかは、美術史家のひとつの論点だ(今のところ、確証がない)。レンブラントがイタリアへ行かなかったことはほとんど確実だが、当時の画家としてはむしろ珍しい。

 さて、この小説では、腐食銅版画家モームの生涯が主題となっている。著作の一節に次のようなくだりがある:

 モームの肖像画は一つしかない。夕暮れの陽射しが草を食む家畜たちの上に落ちるローマの田園地帯、左手を古びた壁に当て、指で耳をおおいながら読書にふけっている聖ヨセフに似せた坐像である。作者はアブヴィルのポワリー。画面右下に《F.ポワリー彫。Pascet Dominus quasi Agnum in latitudine》とある。
 
  第一の親友はクロード・ジュレだった。クロード・ジュレのほうが年長だったが、彼より十五年長生きした。彼もまたロレーヌの出身だった。ミシェル・ラーヌはノルマンディーの人、ヴェヤンはフランドルの人、アブラハム・ヴァン・ベルシェムはオランダの人、ルーブレヒトはファルツ選帝侯領の人、ホントホルスト
はユトレヒトの人だった。彼は2季節の契約でアブラハム・ボス・トゥーランジョに版画を教えた(邦訳 pp115-116)。


 
  この短い節に出てくる人物も、実在が確定した人物ばかりではないようだ。キニャールは例のごとく「意地の悪い」仕掛けで読者を試している。他の翻訳書によくある「読者のための訳者注」は、少なくとも日本語訳書については付されていない。訳注を作成するだけでもかなり大変だ。翻訳家もお手上げなのだろう。
 


*
Pascal Quignard. George de La Tour. Paris: Galilee, 2005, pp.71.

**
Pascal QUIGNARD. Terrasse a Rome, Gallimard, 2000.
邦訳:パスカル・キニャール(高橋啓訳)『ローマのテラス』青土社、2000年、pp118

 

コメント (2)
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