時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

レンブラントの実像は?

2007年05月19日 | レンブラントの部屋

  過日、パリ、リヴォリ通りに面したお気に入りの書店W.H.Smithで、店頭に平積みになっている本の表紙を見た時、あれと思った。手にとってみると、やはりそうだった。レンブラントについての小説である。表題は『ファン・リャン』 Van Rijn(レンブラントは母方の曾祖母の名がなまったものらしい。ファン・リャン家)と、そのままである。

  実はレンブラントを題材とした小説は他にもあり、以前に読んだことがあった*。レンブラントはラ・トゥールと並んで、ごひいきの画家である。気づいてみると、自分の中では甲乙つけがたいほどの存在になっている。オランダに短期滞在した折、暇ができると、かなりのめり込んで作品を見たこともあった。いつの間にか、アムステルダムのレンブラント・ハウス美術館の間取りまで覚えてしまった。

  レンブラントはフェルメール、ラ・トゥールなどと並び、活動した地域は異なるとはいえ、時代の上ではほぼ同時代人である。とりわけレンブラントとラ・トゥールについては、もしかすると直接会わないまでもお互いの作品をどこかで見た可能性はかなり高い。とりわけ、このブログで追いかけているラ・トゥールを当時のヨーロッパ世界に客観的において見ようとすると、イタリアと並んでオランダなど北方世界への視野拡大が必要になってくる。

  1667年12月29日、アムステルダムの若い作家・編集者ピーター・ブラウは、フローレンスのトスカーナ大公、コシモ・デ・メディチをレンブラント・ファン・リャンの家へ案内することを依頼される。これが小説の発端である。この時のレンブラントは最晩年(1969年10月4日死去)に近く、すでに大変著名な画家となっているが、同時にもはや取り返しがたい大きな影を背負っていた。

  そこには画家の最愛の息子であるティトゥスも登場する。知られているように、画家に先立って世を去ってしまった。この偉大な画家の人生は、決して順風満帆であったわけではない。晩年は破産、不幸、世間の悪評、健康不安など多くの問題に悩んでいた。これほど大きな人生の光と影をドラマティックに背負いこんだ画家は多くはない。

  レンブラントを主題としたこの小説は、限りなく史実に近い虚構の世界である。レンブラントの作品はかなり多数残されており、現在真作と思われる作品は600点近い。20世紀初めの段階では1000点近かった。 画家個人の生活にかかわる記録もかなり残っている。さらに多数の自画像は、画家の人生の有為転変、心の内面などを微妙に伝えている。しかし、近年この偉大な画家について形作られてきたイメージを改めて見直そうとする試みがなされているように、従来のレンブラント像が必ずしも実像に近いわけではないようだ。

  概して美術史家は、こうした小説化のような試みには消極的だ。発掘、検討した資料の与える情報のかぎりで画家や作品像を構築しようとする。ラ・トゥールのイタリア行きのように、明らかにイタリア美術界の影響を作品に感じながらも、具体的な記録などが発見されないかぎり行ったことがないことにされる。ちなみに、レンブラントも、共に工房を持っていたリーフェンスも、ローマ行きを誘われたが、行く必要はありませんと答えている。オランダでイタリア絵画の傑作は見られるし、忙しくて時間がないという理由だった。

  現代においてもほんのひと世代前の人間でも、その後まったく別の見方がなされることがあるように、われわれの世界での評価の移り変わりは激しい。遠く過ぎ去った過去の作品や作者の評価となると、化石の断片から恐竜の全体の姿をイメージするようなところもある。存在しない断片を推理や想像の力で埋める作業も大きな意味がある。レンブラント好きな人には、この小説は新たな想像の世界を垣間見せてくれる。


Sarah Emily Miano. Van Rijn. London: Picador, 2006

*Renate Kruger. "Licht auf dunkelm Grund ein Rembrandt-Roman" Leipzig: Prisma-Verlag Zenner und Gurchoft, 1967. (邦訳:レナーテ・クリューガー著、相沢和子・鈴木久仁子訳『光の画家レンブラント』エディションq、1997年)。この小説については、別に記す時があるかもしれない。


  この書店の2階には、かつてパリには珍しいイギリス風のティールームがあった。フランス風カフェとは異なった別の空間を形作っていた。その後売り場拡張のために閉鎖されてしまい、大変残念な気がする。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする