時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

カブールに光の射す日

2007年05月05日 | グローバル化の断面

  10数年前、ある小さな個人的体験からイスラームの家族や社会のあり方について、かなり強い関心を持つようになった。イギリスに住む考古学者、家族との交友がきっかけだった。サダム・フセイン存命中、湾岸戦争たけなわの頃である。彼らが日本にある信頼を寄せてくれていることが伝わってきた。しかし、今、彼らが同じ思いでいてくれるかはまったく分からない。お互い、母国語でない言葉を介してのメールでは、心のひだなどとても読めない。

  その後、国と場所は変わっても戦争だけは絶えなかった。連日のように報じられる自爆テロと死傷者の記事には心が痛む。「殺戮の日常化」は、人々の感受性を著しく劣化させている。

  BS1のドキュメンタリー「アフガニスタン国軍203部隊」は、アフガニスタン、パクティア州ガルベス市に置かれたアフガニスタン国軍基地における軍隊訓練風景を主として伝えていた。この国が抱える荒涼、殺伐たる現実とその未来は、同じ地球に生きる人間として、さまざまなことを考えさせる。タリバンが支配していた時代と比較して、事態は良い方向へ進んでいるといえるのだろうか。あの『カイトランナー』、『カブールの燕たち』が描いた情景を思い起こす。すでにヤスミナ・カドラによる次の作品、その名も『テロル』が翻訳、刊行されている。

  ボン会議で決定された國際治安部隊の活動の心臓部として、この国軍203部隊は大きな意味を持っている。パクティア州、ガルベス市の基地には、陸軍、空軍を含む国軍全体の半数以上の3500人が駐屯している。その数は急速に増加した。しかし、戦う組織、軍隊としての「質」は高いとはいえないようだ。2005年5月以来、基地内には国軍の訓練を指導する米軍の兵舎が置かれている。しかし、言語、文化の違いを含めて、国軍と米軍の間に緊密な信頼関係が築かれているとはみえない。傍目にもかなり不安定な状況であることが伝わってくる。

  この地域は反米感情も強く、長老の力が強い部族社会である。パシュトン、ハダラなど20近い部族が混在して住む国でもあり、部族間の愛憎入り混じる複雑な感情などは、駐屯する米軍にはほとんど理解できず、介入もできない。関係者は相互に不信感を秘めながら恐る恐る事態に対応していることが画面から伝わってくる。

  ガルベスは、タリバンが侵入してくる道があるパキスタン国境に近い、防衛上の拠点である。しかし、4月になっても日中、氷点下10度という厳しい環境風土である。荒涼とした状況で、地元住民とタリバンを見分けることは、地元の人でも難しい。

  国軍に入隊してくる兵士は経済的な理由で志願する者が多く、愛国心や郷土愛が働いているとも見えない。兵士の給与も月5千アフガニー(12000円)と、他の職業と比較しても安すぎ、脱走を図る兵士も多い。

  兵士たちと離れて、家族が暮らすカブール周辺も荒廃が進み、冬季には零下20度にもなる。小さな泥づくりの家に10人近い人々が住む厳しい貧困が支配する。国際的な援助や政府補助も、一部の旧軍閥や政治家に流れてしまうという。その実態は分からない。それでもカブールの人口は、最も少なくなった時の8倍近くまで増えた。見かけは復興の途上にあるとはいえ、40%にもおよぶという失業率を前にして、軍隊もひとつの働き場所、それも危険で低賃金な仕事にすぎない。

  国軍と米軍だけでは治安維持もままならず、ついに地域警察までを組み込む体制が作られつつある。しかし、3者の関係は木で竹を継いだようにしかみえない。タリバン掃討作戦の見通しはつかず、米軍から国軍への引継ぎも先が見えていない。2008年という目標も空虚に見える。人々は不安をいつもどこかに抱きながら生きている。



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BS1 ドキュメンタリー「アフガニスタン国軍203部隊」2007年4月28日
‘ Iraq: A row over a wall’ The Economist April 28th 2007

コメント
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