大倉草紙

旅の記録 食の記録 日々の記録

【愛知】 ペリー&ハリス -泰平の眠りを覚ました男たち- (名古屋ボストン美術館)

2008年12月21日 21時53分01秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
本日の行程:(近鉄・名古屋駅…名鉄・名古屋駅~神宮前駅) → 【熱田神宮】 → (名古屋市営地下鉄・神宮西駅~金山駅) → 【ペリー&ハリス -泰平の眠りを覚ました男たち-(名古屋ボストン美術館)】 → (名古屋市営地下鉄・金山駅~市役所駅) → 【名古屋城】 




今日は6時前に家を出て、名古屋に向け出発。
春に、江戸東京博物館で行われていたペリー&ハリス展が名古屋でやっていることを知り、計画を立てた。
ペリーにせよ、ハリスにせよ、高圧的な態度で日本に対して開国・自国に有利な条約を押し付けてきた人物である。
その点からみると、今回の展示内容には、クエスチョンマークが残る。
対米戦発端の大きな原因のひとつがこの時期のペリー、ハリスから「押し付けられた」開国によるものだと思う。
結局、その後に続く、太平洋戦争終結までの約80年間の日本の針路を決定付けたのだ。


今日の歩数:16,850歩

【大阪】 第45回全国大学ラグビーフットボール選手権大会 (近鉄花園ラグビー場)

2008年12月20日 23時27分56秒 | スポーツ観戦
大学ラグビー選手権の第1回戦。
この日だけ花園で行われるので観に行った。




第1試合は同志社大 対 流経大。
同志社ファンの多さに驚いた。
同志社が点をとるたびに大歓声。
試合は、後半、同志社が逆転。
流経大は、後半に入って足が止まってしまったようだ。




第2試合は、関西学院大 対 日体大。
極めて珍しいカードだ。
関西学院大は、約50年ぶりに関西リーグを制覇。
日体大も、対抗戦第3位と久々に復活。
試合は後半、日体大が猛追したが、関西学院大のバックスがフル稼働。
最後には、点差がついてしまった。


  
その後、今年の春先だったか、近鉄の浜辺選手をドキュメンタリーでやっていたが、その中に出てきた河内花園駅前の「花園ラグビー酒場」で飲食。
壁一面に、ラグビージャージやら、サインやらに囲まれた中、可愛いおばちゃんとの会話を楽しみながら、美味しいつまみをいただく。
店の奥のほうで、おじさん二人が飲んでいたが、後で聞けば、近鉄の元選手たちで、お一人は、元日本代表だったとのこと。


今日の歩数:8,814歩

【大阪】 秋季特別展 陶匠・濱田庄司-没後30年記念- (大阪日本民芸館)

2008年12月19日 17時31分33秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
11月15日(土)
当日の行程:(阪急・大山崎駅) … 【青のコレクション ピカソの青モネの青(大山崎山荘美術館)】【離宮八幡宮】 → (阪急・大山崎駅~南茨木駅…大阪モノレール・南茨木駅~万博記念公園駅) → 【秋季特別展 陶匠・濱田庄司-没後30年記念-(大阪日本民芸館)】【アジアとヨーロッパの肖像(国立民族学博物館)】


          

大阪日本民芸館で濱田庄司の作品を観る。
濱田庄司の没後30年を記念して、駒場にある日本民藝館所蔵の約200点が展示されている。
チラシの中央にある「青釉流掛角鉢」(1958)は、透明感のある青色がきれい。


   
           白釉流掛大鉢(1963)

径58センチの大鉢。
その大きさのせいか、いや、それだけではなく迫力のある1点。


       
             塩釉紋押注瓶

地味なようだけれど、とても存在感がある。


     
            赤絵湯呑(1968)

日常の生活で使われるということを前提につくられたものだけあって、あぁ、この湯呑を使ってみたいなあ、と自然と思えてしまう。
実際には、とても買えるようなものではないのだろうけど。

棟方志巧の作品も一緒に展示されている。
濱田庄司の作品とうまく調和していた。

【京都】 開館25周年記念 館蔵名品展 (野村美術館)

2008年12月18日 21時09分41秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
11月27日(木)
当日の行程:(JR・京都駅…タクシー) → 【東福寺】【龍吟庵】【即宗院】 → (タクシー) → 【開館25周年記念 館蔵名品展(野村美術館)】 → (タクシー) → 【琳派展ⅩⅠ 花の協奏曲(細見美術館)】【ふたつで一つ(京都市美術館)】 




12月14日まで、野村美術館では、「開館25周年記念 館蔵名品展」が開かれていた。
今年は、野村得庵生誕130周年にもあたるらしい。


「坂本井戸茶碗」は、目を引く一点。
坂本城主明智光秀が所持し、使用していたことからその名が付いたそうだ。


「上杉瓢箪茶入」は、足利義政→村田珠光→武野紹鴎→大内義隆→大友宗麟→豊臣秀吉→上杉景勝→上杉綱勝→徳川将軍家→加賀前田家→徳川将軍家→紀州徳川家→野村得庵と伝来したものなのだそうだ。
多くの人々を魅了してきたのだろうなあ。


「織部梟香合」は、愛らしいかたちをしている。
ペンギンがちょこんと立っているようだ。
体育座りをしているようにも見える。
これは梟を象ったものだそうだ。
ミミズクとフクロウの違いなど考えたことがなかったが、展示品の傍らに解説があった。
頭に羽毛(耳)があるものがミミズクなのだという。
よって、これはフクロウ。


「交趾大亀香合」も愛嬌がある一点。
目がまんまるだ。
「野村得庵美術品台帳」も展示されていて、この香合について記された頁が開かれていた。
得庵は、絵の心得もあったようで、台帳に描かれた茶道具のスケッチを見ているだけでも楽しめる。
スケッチのみならず、道具ひとつひとつのデータの細かさにも驚かされる。
この人のエネルギーはどこからくるのか。

能面も、よいものを観せてもらった。
孫次郎が特によかった。




【兵庫】 茶の湯展 古儀茶道 藪内流 (香雪美術館)

2008年12月17日 22時14分33秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
11月23日(土)
当日の行程:(JR・姫路駅) → 【ふるさとの神々 祝祭の空間と美の伝統(兵庫県立歴史博物館)】【近代日本を彩る画家たち コレクションでたどる姫路市立美術館の25年Ⅰ(姫路市立美術館)】 → (JR・姫路駅~神戸駅…神戸市営地下鉄・ハーバーランド駅~御崎公園駅) → 【サッカーJリーグ ヴィッセル神戸 vs FC東京(ホームスタジアム神戸)】 → (神戸市営地下鉄・御崎公園駅~三宮・花時計前…阪急・三宮~御影) → 【茶の湯展 古儀茶道 藪内流(香雪美術館)】 







初めて、香雪美術館を訪れる。
訪れたのは11月23日、この展覧会は12月14日で終了している。
入ってもいいのかしらと、門の前で一瞬立ち止まってしまうような雰囲気。
香雪美術館の美術品を蒐集した村山龍平氏は、薮内流の茶道を修めたそうだ。
名品が並んでいる。


薮内竹心「千利休像」

そんな中で、観ていて、ほんわかした気持ちになったのがこの「千利休像」。
千利休像といったら、↓こんなイメージだったので。

長谷川等伯「千利休像」

薮内竹心の「千利休像」と向き合っていると、泉谷しげるを思い出す。
似ている、と思うのは、わたしだけか。

【兵庫】 近代日本を彩る画家たち コレクションでたどる姫路市立美術館の25年Ⅰ (姫路市立美術館)

2008年12月16日 21時20分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
11月23日(土)
当日の行程:(JR・姫路駅) → 【ふるさとの神々 祝祭の空間と美の伝統(兵庫県立歴史博物館)】【近代日本を彩る画家たち コレクションでたどる姫路市立美術館の25年Ⅰ(姫路市立美術館)】 → (JR・姫路駅~神戸駅…神戸市営地下鉄・ハーバーランド駅~御崎公園駅) → 【サッカーJリーグ ヴィッセル神戸 vs FC東京(ホームスタジアム神戸)】 → (神戸市営地下鉄・御崎公園駅~三宮・花時計前…阪急・三宮~御影) → 【茶の湯展 古儀茶道 藪内流(香雪美術館)】 




姫路市立美術館は、今年で開館25周年を迎えるらしい。
チラシに惹かれて、行ってみることにした。
訪れたのは11月23日で、この展覧会は12月14日に終了している。

姫路だけあって、酒井抱一の作品の展示から始まる。
「雀児図」と「柳花帖(屠龍之枝)」。
「柳花帖」は初公開だという。



上村松園「花」

描かれているのは3人の女性。
一番後ろの女性の顔は右目と額の半分くらいしか見えず、着物も右肩あたりがほんの少ししか見えていないが、この女性の姿を消した図を想像してみると、この女性がいることで画面が引き立っていることが分かる。
傘は同じなのだけれど、着物の色が違う3人。
華やかで美しい。



藤田嗣冶「砂の上で」

乳白色の肌に見入る。
よく見ると、砂の上には貝だけでなく、蟹も歩いている。
中央の女性の右手と子どもの足との間の砂の中に、指紋のような跡があった。
フジタの指紋だろうか。



小磯良平「和服の婦人像」

小磯良平といえば、つい先日、所在不明とされていた「日本髪の娘」が韓国中央博物館で発見されるというニュースがあった。


小磯良平「日本髪の娘」(韓国中央博物館蔵)

奇しくも、同じ年に描かれた作品だ。



橋本関雪「仙娃図」

観た瞬間、「猫娘」だと思ってしまった。
猫の耳のような髪の結い方が気になる。
「仙娃」とは「仙女」のことだろうか。
花と服のアクセントとなっているオレンジ色が鮮やか。

開館25周年を記念した展覧会は、第2弾、第3弾も企画されている。
第2弾は「版画の魅力」
第3弾は「写実と幻想 ベルギー近代の美術」

【大阪】 国宝 三井寺展 (大阪市立美術館)

2008年12月15日 18時45分40秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
11月18日(火)
当日の行程:(阪急・中津駅) → 【南蛮文化館】 → (阪急・中津駅~梅田駅…大阪市営地下鉄梅田駅~天王寺駅) → 【国宝 三井寺展(大阪市立美術館)】






国宝・三井寺展は、昨日まで。
大阪市立美術館を訪れた11月18日は、気持ちが良いほど空が青かった。
三井寺は、平安時代前期に、智証大師円珍が中興したお寺。
三井寺を訪れたときの記録はこちら

三井寺秘仏のほかにも、国宝、重要文化財がゴロゴロしている展覧会だ。
秘仏7点が出揃う11月26日以降に行きたかったのだが、時間がとれるうちに観ておくことにした。



秘仏・智証大師坐像(御骨大師)<国宝>

円珍の遺骨を納めたと伝わる。
像底には蓋板があり、納入品があると推測される。
唇は厚く、眼はほんの僅か開いている。
卵形の尖った頭の形は「霊骸(れいがい)」といい、円珍の特徴なのだという。
後ろにまわってみると、頭の後ろに皺が1本刻まれていた。



秘仏・智証大師坐像(中尊大師)<国宝>

御骨大師とともに唐院御廟に祀られている。
中央に安置されていることから、「中尊大師」と呼ばれるのだそう。


「秘仏・新羅明神坐像」<国宝>は、実に独特なお顔立ちをした像だ。
明神は、円珍が入唐の帰途、船中で護法を約し、円珍を三井寺へ導いたといわれる。
眉根は寄り、目尻はそれぞれ斜め下45度と言っても過言でないほどに下がっている。
寄り眼をしているみたいな表情だ。
尖った三角形の髭も印象深い。
ユーモラスな雰囲気を纏った国宝だ。



秘仏・五部心観(完本のうち巻首)<国宝>

円珍が青龍寺の法全阿闍梨から授けられ、唐から持ち帰ったもの。
金剛曼荼羅のほとけの姿や真言、印などが描かれている。



秘仏・不動明王立像(黄不動尊)<重要文化財>

円珍が入唐するときに、船中に現れて危機を救ったといわれる黄不動。
「秘仏・不動明王像(黄不動尊)」<国宝>を細部に至るまで忠実に模刻したもの。
今月26日に「秘法・不動明王像(黄不動尊)」がお出ましになるまでは、滋賀・観音寺蔵の「不動明王像(黄不動尊)」<重要文化財>が展示されている。
これは、国宝の不動明王像を模写したものだという。
不動明王立像は、彩色が鮮やかだ。
台座の金と緑も美しい。
堂々とした佇まいだ。



秘仏・如意輪観音菩薩坐像 <重要文化財>

正法寺(三井寺観音堂)の秘仏本尊。
6本の手は、さまざまな観音の願いを象徴しているのだそうだ。
その手のかたちが自然で美しい。
まるい柔和な感じのお顔立ちを目にしていると、穏やかな気持ちになる。



千手観音菩薩立像<重要文化財>

三井寺の別所如意寺の本尊。
一木造。
どっしりとした胴体から、羽のように手が出ている。
飛び立ちそうな感じだ。



十一面観音菩薩立像<重要文化財>

三井寺の別所微妙寺の本尊。
右足を少し前方に出し、「休め」のポーズをとっている。
頭は大きく、幼児のような体型をしている。
腕は膝に届くほどに長く、足は短い。
不思議な感じのする仏像だ。



訶梨帝母倚像<重要文化財>

右手には多産のシンボルである柘榴の実を持ち、左手に子どもを抱いている。
三井寺の護法善神堂に祀られている。
やさしい表情をしている。



不動明王坐像(9世紀)

この展覧会の調査で、新たに確認された像なのだという。
現存する不動明王像のなかでは、最古クラスのものなのだそう。
玉眼は、後世に入れられたもの。
この像の隣に、三井寺・唐院長日護摩堂の「不動明王坐像」が展示されていた。
それに比べると、筋骨隆々というわけではなく、わりとすっきりとしている。




狩野光信筆・勧学院客殿障壁画 四季花木図<重要文化財>

会場の一空間を取り囲むようにして、展示されている。
足を踏み入れた瞬間、ゾクッとした。
照明が凝っていて、「一般的な展覧会での照明」と「ろうそくのようなあかり」に交互に照らされる仕組みになっている。



狩野愛信筆・金倉寺客殿壁画 虎図

これは、香川県の金倉寺の障壁画。
円珍は、金倉寺で誕生したそうだ。
虎が3頭描かれている。
右端で這いつくばっているのと、中央よりやや左側で寛いだ体勢でいるのと、それに守られるようにしている子どもの虎と。
おかしみのある表情をしていて、漫画のようだ。
これは、三井寺の日光院の襖絵を模したものらしい。


ほかには、
「円珍贈法印大和尚位幷智証大師諡号勅書 小野道風筆」<国宝>は、小野道風の重厚な書体にうっとり。

「大蔵経(足利尊氏願経)」<重要文化財>は、後醍醐天皇の冥福を祈願したもので、最後の行に記された「征夷大将軍正二位源朝臣尊氏謹誌」の「尊氏」のみが本人自筆だという。
丸みや勢いが感じられない木の枝のような文字。

歌川広重の「本朝三景之内 近江八景寄縮一覧」は、大判三枚続の見応えあるもの。
堅田、矢橋、瀬田、石山、三井寺、粟津、比良、唐崎の近江八景すべてが収まっていて楽しい。

「西国巡礼細見絵図」では、関東からの巡礼者がお伊勢詣に続けて西国巡礼をすることができるように、出発地が伊勢山田になっている。
巡礼路は朱で記されている。
これを辿って西国巡礼してみたいなあと思う。
でもこれ、かなりの距離だぞ。

帰りの地下鉄の駅で、思いがけず、「不動明王像(黄不動尊)」<国宝>と「不動明王立像(黄不動尊)」<重要文化財>の並んだお姿を拝むことができた。
ポスターだったけれど。

【京都】 第103回京料理展示大会 (京都市勧業館「みやこめっせ」)

2008年12月14日 21時41分42秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
本日の行程:(京阪・黄檗駅) → 【萬福寺】 → (JR・黄檗駅~六地蔵駅…京都市地下鉄・六地蔵駅~東山駅) → 【第103回京料理展示大会(京都市勧業館「みやこめっせ」)】


京都市勧業館「みやこめっせ」にて、京料理展示大会を観る。
この展示大会は、毎年12月中旬、2日間に渡って開催されているそうだ。
老舗の京料理が勢揃いしているのだから、スゴイ。


「鶴清」(菱田正冶)
こちらは、すべて食材でできているそうだ。


「瓢亭」


「はり清」


「菊の井」


「美山荘」


「京都吉兆」


「美濃吉」(佐竹洋二)
器は、十四代永楽得全「紫交趾金彩青海波枡形鉢」


マグロの解体・即売は大人気。

美しい細工を施したお寿司の展示もあった。

「花登」(花登一彦)・『篤姫』
今日がちょうど最終回の「篤姫」のお寿司は、もう一種類あった。


「いづ松」(佐田良政)・「現代の名工」
今年の漢字「変」が発表されたのは一昨日。
早くもそれを取り入れたお寿司を作ってしまうとは驚いた。

特設食堂も出ていて、料亭のお料理を手軽に楽しめる。
ただし、人気の料亭は、早い時間にチケットが売切れてしまうようだ。

京料理の技と美に、ただただ感動するばかり。
美しいお料理に触発されて、お正月には、少し凝ったものでも作ってみようかなと思うけれど、実現するかどうか。


今日の歩数:13,860歩

【滋賀】 良寛生誕250年 大和し美し 川端康成と安田靫彦 (MIHO MUSEUM)

2008年12月13日 23時47分58秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
本日の行程:(車) → 【笠置寺】【旧柳生藩家老屋敷】 → 【旧柳生藩陣屋跡】 → 【十兵衛杉】【仙禅寺】【良寛生誕250年 大和し美し 川端康成と安田靫彦(MIHO MUSEUM)】【紫香楽宮跡(甲賀寺跡)】


MIHO MUSEUMへ「良寛生誕250年 大和し美し 川端康成と安田靫彦」を観に出かける。
きょうが最終日。


駐車場に車を置いて、こちらの建物へ。
てっきりこの建物が美術館だと思っていたら、そうではない。
この建物にあるのは、受付とミュージアムショップとレストランのみ。


美術館へ行くには、この電動の車で7~8分移動する。
まさかこんなことになるとは思っていなかった私は、コートを車へ置いてきていて寒い。


こんなトンネルを通って美術館にたどり着く。


こちらがMIHO MUSEUMの本館。


入口のドア、あまりにも美しいので写真におさめる。

MIHO MUSEUMを訪れるのは初めてなのだが、一般的な私設美術館と比べて、お金がかかってるなーと一目で分かる。
どんな経緯で建てられたのかを調べると、宗教法人・神慈秀明会の施設で、会主・小山美秀子(みほこ)のコレクションを展示するために建てられたのだという。

さて、展覧会だが、

東山魁夷「北山初雪」
このような美しい作品や、


俵屋宗達「狗子図」
このような愛らしい作品や、


尾形光琳「仙翁」
このような煌びやかな作品に惹かれた。

川端康成と安田靫彦の交流は、新潮社から川端康成全集を刊行するにあたってその表紙画を安田靫彦に依頼したことから始まったという。
全集の表紙も展示されていた。
上品で、美しい。

ノーベル賞の授賞式での講演「美しい日本の私 その序説」の文章が、廊下一面に掲げられていた。
感じ入りつつ、読んだ。


今日の歩数:16,228歩

【千葉】 国立美術館所蔵による20世紀の写真 (千葉市美術館)

2008年12月12日 19時21分50秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
11月3日(月)
当日の行程:(JR千葉駅…京成バス・千葉駅~中央3丁目) → 【国立美術館所蔵による20世紀の写真(千葉市美術館)】





千葉市立美術館で「国立美術館所蔵による20世紀の写真」を観る。
80名余りの写真家による約180点の作品が並ぶ。
展覧会は、次の5章から成る。
1.ストレート・フォトグラフィーの系譜
2.アヴァンギャルドの展開
3.ドキュメンタリー写真の隆盛
4.多様化する写真芸術
5.現代アートと写真

写真だけの展覧会に出かけるのは、滅多にあることではない。
だから、キキがモデルのこの写真とか、

マン・レイ「アングルのヴァイオリン」(1924)

頭を撃ちぬかれる瞬間のこの写真とか、

ロバート・キャパ「スペイン(共和軍兵士の死)」 (1936)

沖縄戦で負傷し、大手術を受けた後に撮ったというこの写真とか、

ユージン・スミス「楽園への歩み」(1946)

よく知られている写真作品を見つけては喜ぶ。


アレクサンダー・ロドチェンコ(作品目録のママ)
「オシップ・M・ブリックの肖像(『レフ』誌のためのフォトモンタージュ)」(作品目録のママ)

ブリークの眼鏡の右側のレンズには、「芸術左翼戦線」の頭文字をとった<ЛЕФ>の文字が。
ロトチェンコは、ほかに2点展示されていた。


アレクサンダー・ロドチェンコ(作品目録のママ)
「避難梯子」(1925)


アレクサンダー・ロトチェンコ(作品目録のママ)
「階段」(1929)

「戦艦ポチョムキン」のオデッサの階段を思い出す。
女性に抱かれた子どもが、転げ落ちるのではないかとハラハラする。




チケットに使われている写真は、アーノルド・ニューマンの「イーゴリ・ストラヴィンスキー」(1946)。
なかなかカッコイイ。