大倉草紙

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【京都】 奇想の編集者 宮武外骨展 (思文閣美術館)

2008年12月10日 20時29分05秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
12月7日(日)
当日の行程:(JR・京都駅…京都市営バス〔206〕・京都駅前~博物館三十三間堂前) → 【国宝への道 いざ!京都国立博物館へ(京都国立博物館平常展示館)】 → (京都市営バス〔206〕・博物館三十三間堂前~東山三条) → 【秋季特別展・七宝の魁(並河靖之七宝記念館)】【永観堂(禅林寺)】 → (徒歩・哲学の道~京都市営バス〔203〕・銀閣寺道~百万遍) → 【奇想の編集者 宮武外骨展(思文閣美術館)】


思文閣美術館で「奇想の編集者宮武外骨展」を観る。
訪れた12月7日が最終日。

宮武外骨は、明治から昭和にかけて活躍した「操觚者(そうこしゃ)」。
「滑稽新聞」「此花」「スコブル」など、生涯に44タイトルもの新聞雑誌を創刊し、筆禍による発禁処分や4回の入獄を経験している。

「威武に屈せず富貴に淫せず、ユスリもせず、ハッタリもせず」この編集方針は、「滑稽新聞」の表紙にも書き込まれている。
過激な批判精神は見ていて痛快。
表紙も洒落ていて、見応えがある。

外骨とは本名。
もともとは亀四郎だったが、17歳のときに、亀は外に骨がある生き物だということで「外骨」と改名したのだそうだ。
印鑑が3本、展示されていた。
亀印のものと、「宮武外骨」印と「是本名也(これほんみょうなり)」印。
「是本名也」は、外骨という名が本名だと信じてもらえないことが多かったために作ったのだというから、おかしい。

晩年には、明治時代の新聞雑誌を収集管理する機関である明治新聞雑誌文庫を創立し、明治時代の庶民の歴史や文化を後世に伝えるために尽力したのだという。



ところで、こちらの美術館を訪れた日はお天気も良く、並河靖之七宝記念館から永観堂までの道、それから「哲学の道」をゆっくり歩いた。


紅葉を観るには、先週あたりが良かったのだろうな。



真っ赤な葉がきれいなこちらは、「宗諄女王墓」。



近くには、「冷泉天皇櫻本稜・後一條天皇皇后威子火葬塚」もあった。


猫にも出会った。
猫も、思索に耽りながらこの道を歩いているのだろうか。