興浜(おきのはま)で候 

興(こう)ちゃんの手掘り郷土史

橋で候6 境橋

2010年04月30日 | 橋梁

 おかげさまで、今月は忙しい日々でブログの更新もしていなかったのだが、ひとつだけでもと思い姫路市網干区興浜と新在家に架かっていた境橋の事を書いてみる。




昭和40年頃の境橋。無断ではありますが、掲載させて頂きました。

           
  発起人は両村(興浜・新在家)で匿名希望という事だ。
            
  石工は現在の岡山県児島の義兵衛とある。

                
 右側のコンクリート部分が、橋が架かっていた部分で現在の網干川支線である。
興浜地区と新在家地区のこのあたりの雨水がこの水路に落ちて興浜墓地の南側を通り海に流れる。

 

   
 古い写真から解読すると、左の写真の「さかひはし」は興浜の南側、「境橋」は新在家の北側。 
右の写真の「境橋」は興浜の北側、は「さかひはし」新在家の南側。

 普段は気が付かないが、興浜側と新在家側で親柱の文字を書いた方が違うようだ。

 境橋は江戸時代に架けられた為、上流側に漢字で橋名を、下流側にひらかなで橋名を書いてあるが、現在の橋にはルールがあるので少し紹介しておくと、現在の公共工事で橋を架ける時は、
兵庫県が発行している土木工事共通仕様書に基づいて仕事をする。

 その中の橋名板の項目で下記のように設置するようにと明記されている。



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