今日の9時から12時まで、網干公民館主催の歴史ウォークがありました。
ここ最近この時期に行なわれている行事のようです。
今年は『垣内地区』をまわりました。
コースは順に網干公民館→三石天満宮→狭間公園→お旅道→万福寺→武大神社→河野鉄兜生家跡→長太郎石→蔵の内→光接院跡→古網干遺跡でした。
網干公民館古文書学習会の生徒が各場所の説明にあたるという事になっており、私、興ちゃんは『光接院跡』の説明担当になりました。
本日のコースマップ
三石天満宮
狭間公園
お旅道
河野鉄兜生家跡
武大神社 今日は春祭りのようです
長太郎石
蔵の内
光接院跡 興ちゃんの説明用虎の巻
みなさんご存知と思われますが、興浜に浄土宗の『鶴立山 大覚寺』は、天福元年(1233)【鎌倉時代・北条泰時の時代】定翁隆禅上人の開基です。この隆禅上人はもと天台宗比叡山の僧でしたが、山を下り諸国を歩くうち、ここ砂山という地にあった「釈迦堂」に入って残りの生涯を念仏に明け暮れたと伝えられています。
この「釈迦堂」は、後に『鶴林山 光接院』と改称して真言宗に属していたのですが、これら開基以来の歴史を正しく伝える史料は大覚寺にも残念ながらないとの事です。
「光接院」には専称寺・徳栄寺など末寺七ヶ寺を数え、その後永正年間(1504~21)に真言宗から浄土宗に転宗したのですが、天文三年(1534)【武田信玄・上杉謙信・北条早雲の時代】、赤松氏の乱【朝日山戦争】の折に兵火にかかり堂宇を焼失しました。
そのあと第七代住職である空鑒尭淳上人が、弘治年中(1555~58)【室町時代 川中島の戦いの時代】の時、興浜に移転して『鶴立山大覚寺』と改められました。
古網干遺跡 ここで現地解散になりました
本日のおさらいができましたわ。
重ねてありがとうございました。
充実した内容。すごいですね。
これからも楽しみに訪問させていただきます。
あ、「おんどまめ」じゃなくて
「おんのまめ」って言ってますよ。私たち・・・