今年の2月14日にオープンする「あぼしまち交流館」を見せてもらった。
タイトル写真は、大ホールの天井にある九つの提灯型の照明である。
網干の魚吹八幡神社の秋季例祭が最近「あぼしの提灯まつり」という名で有名になっている。地域のイベント等でも提灯をアピールしているようだ。
さて、その提灯型の照明に網干中学校区6ケ村の村紋が入っている。
村紋とは何ぞやという事だが、県や市にシンボルマークがあるようにその昔各村にもマークがあったようだ。
いろいろな資料を読んでみたがこれといった確信には到らなかった。
先日網干古文書学習会の新年会の席でその事を質問したところ、世話役をしてくださっている前田さんからこのような意見を頂いた。「江戸時代の古文書には各村の水争いの文献が数多く残っている。水は命の次に大事なものであったのであろう。稲作の時期、堰板(せきいた)の開け閉めなどの作業で自分の村の堰板と他の村の堰板を間違って開け閉めしたら大変な事になったであろう。その為に村のマークを決めて印をしていたのではないか。」
納得である。江戸時代は今のように全ての人々が読み書きができたわけではなかったでだろう。だからといって読み書きできる者だけで事は運べなかったはずだ。その時に決められた印が村紋となり、こんにちに到っているのだろう。皆さんなら秋祭りの時、高張提灯や役員が持つ弓張提灯に記されている村紋をみているはずです。
事務所はあぼしの町並に多く残る格子戸を使用している
網干歴史めぐりの案内版
最高級御影石である庵治石でできた網干町歌が刻まれた石碑と会館
「石あかりロード」で有名らしいのですが至る所の施設に石のアートがありました。
庵治町も直ぐ近くでした。
12月には観音寺に行く途中、丸亀城も眺めて来ました。
丸亀の祭りにも是非行きたいと思っています。
網干町歌が刻まれた石は庵治町でそちらの芸術家の方がつくったと聞いています。
又の再会楽しみにしています。
勉強になります。
いつもは商工会議所の前を通ってるもので・・
先日までは、煌々と明かりを付けて作業が行われてたのに今日はひっそりしてました。
有効に活用されるといいですね。
魚吹八幡神社の各村についてはまだ確認していませんが、必ずあるはずです。
このブログも、すごい凝りようじゃないですか。
いろんなワザが使えて、うらやましいなあ。
ブログツールのひとつで無料バージョンなので60日経つと消えてしまいます。
有料バージョンにするか思案中です。
あぼし交流館はいよいよ明日オープンです。
これからの展開が楽しみです。
その昔龍野の素麺は、交流館のあたりまで高瀬舟に乗せて運ばれてから各地にひろがったのでしょう。
一番見たかったのは提灯の紋です。
一つ勉強になりました。