昨日の雑学塾の歴史めぐりの影響か、今日は青山地区へ行ってきた。その一部を紹介する。
稲岡神社が昨日秋祭りだったのか、静まりかえった様子だった。
祭りが終ったので5台の屋台を片付け中なのでしょうか。
灯明する為に後部に階段がついた燈籠
製紙組合の碑
青山の西、旧山陽道と国道2号線が交差する手前にある石碑。
明治17年に青山村の山口重太郎が大阪から紙の製法を伝えた。その後このあたりで和紙の製造が盛んになり、製紙の創始者で組合の人々の世話をして功のあった米田勝松をたたえた石碑。
青山のかけ樋(ひ)
本日のお気に入り場所
稲岡山の西にある江戸時代の石造交差水路。青山小学校南の上池・下池から引いた水は上の写真では東西に流れる深い水路の為、南側の青山地区に流す事が困難な為、細い石造の水路を設置し、北の方から青山川の水を引いた。その東西の深い水路を越す石造の水路がかけ樋だ。
旧山陽道の道標
本日の目的地
国道2号線夢前橋西交差点から国道29号線を北へ100mほど行った左側に道標がある。
安政2年(1855)の造立で、高さ2.13mの市内最大級の道標。
五角柱のめずらしい形をしている。
資料によると右は因州・伯州・作州・雲州、左は備前・九州方面、東は姫路・大坂・京・江戸とあり、さらに主要地までの距離を表示している。
道標から西に旧山陽道沿いの青山の風景
この歴史ウォーク誰と行ったの?(な~んてね)
昨日の高岡辺りといい、この青山辺りも
2号線でビューンと走り抜けてばかりだったので
改めて、
山陽道、西国道に思いをはせました。
ここ数年で、ますます開発が進むでしょう。
今のうちに、記録しておかなくてはいけませんね。
がんばれ~~~!!
その教訓を生かすべく、禁酒まではいかないけど晩酌もほどほどにがんばっています。
昨日の牛の奥さんのような親切な方との出会いはありませんでした。
昨日の車の座席ちょっと変だったでしょう。
嫁さんに怒られました。
昨日と違い車を止めて、歩こう会のように探しまわりました。楽しいよ。
コメントをありがとうございます。
昨日柴崎さんのブログにコメントを入れたのですが、自分のブログの中で返事していないのも変だと思い、同じ内容ですがコメントします。
青山地区は少し離れたところなので、姫路市教育委員会文化部文化課が平成10年2月2日に発行した文化財見学シリーズ40「青山地l区をたずねて」より抜粋しました。
この冊子は姫路市役所に行けば無料で頂けるものです。
青山地区には知り合いがいますので近いうちに聞いてお返事しますが期待しないで下さい。
冊子に書いてある文章をそのまま写してみました。
製紙組合の碑
青山の西、旧山陽道から国道2号線に出る少し手前にある。『兵庫県物産調査書』によると、紙の製法は、明治17年(1884)青山村の山口重太郎が大阪から伝え、次第に旧余部村・高岡村・菅野村に広まったとある。この碑は明治中期~大正にかけて青山の東の内川と西の谷川に沿って和紙の製造が盛んになり、製紙の創始者で組合の人々の世話をして功のあった米田勝松をたたえたもの。石碑には明治33年、子爵品川弥次郎から贈られた「いたつきを積める功は此の紙の雪の表に顕れにけり」という和歌が刻まれている。
これからも時々お立ち寄り下さい。
ブログを続けていてよかったと喜んでいました。
何気なく書いた事が役にたったようで、よかったです。
これからも時々お立ち寄り下さい。