興浜(おきのはま)で候 

興(こう)ちゃんの手掘り郷土史

あぼしまち交流館のオープンと村紋

2009年01月26日 | 歴史散歩

  今年の2月14日にオープンする「あぼしまち交流館」を見せてもらった。

 タイトル写真は、大ホールの天井にある九つの提灯型の照明である。

 網干の魚吹八幡神社の秋季例祭が最近「あぼしの提灯まつり」という名で有名になっている。地域のイベント等でも提灯をアピールしているようだ。

 さて、その提灯型の照明に網干中学校区6ケ村の村紋が入っている。

 村紋とは何ぞやという事だが、県や市にシンボルマークがあるようにその昔各村にもマークがあったようだ。
 いろいろな資料を読んでみたがこれといった確信には到らなかった。
 先日網干古文書学習会の新年会の席でその事を質問したところ、世話役をしてくださっている前田さんからこのような意見を頂いた。「江戸時代の古文書には各村の水争いの文献が数多く残っている。水は命の次に大事なものであったのであろう。稲作の時期、堰板(せきいた)の開け閉めなどの作業で自分の村の堰板と他の村の堰板を間違って開け閉めしたら大変な事になったであろう。その為に村のマークを決めて印をしていたのではないか。」
 納得である。江戸時代は今のように全ての人々が読み書きができたわけではなかったでだろう。だからといって読み書きできる者だけで事は運べなかったはずだ。その時に決められた印が村紋となり、こんにちに到っているのだろう。皆さんなら秋祭りの時、高張提灯や役員が持つ弓張提灯に記されている村紋をみているはずです。
 

   
     事務所はあぼしの町並に多く残る格子戸を使用している


網干歴史めぐりの案内版


最高級御影石である庵治石でできた網干町歌が刻まれた石碑と会館