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うちなー唄の道行けば vol.6 上間綾乃

2009年08月11日 | 火曜(2009年7~8月):上間綾乃さん
今日は少し、昔話でもしてみますかね。

先輩方から聞いたり、本などで読んだことがあるのですが、
昔三線をするのは「遊ばー」(遊び人)だとか言われたと。
三線にのめり込み夢中になって仕事・農作業をしなかったら
そんな風に言われていたのではないでしょうか・・・
三線をやっていても「あしばー」なんて呼ばれなかった人も
いるはず。



偉大な先人を紹介します。



戦後の沖縄の人々の心を癒したのは唄三線でした。
有名な「小那覇舞天」(おなはぶーてん)さんは、
普段は歯科医で、無口な先生。が、白衣を脱ぐとなんともユーモラス!

何もかも失って
気落ちしている人々の家々を回り、「ヌチヌグスージサビラ!」
(命のお祝いをしよう!)
といって人々を勇気付けたのです。
唄と笑いを融合させたステージはとにかく見事だったそうです。

その勇士を見れなかったのは残念ですが、
人々を幸せへ導く偉大な先人の思いを継いでいこうと思います。

うるま市石川(旧石川市)出身の小那覇舞天さんは、今も
民に愛されていて、石川の至る所の看板などに踊っています。

石川のイメージキャラクター


:余談:
沖縄の人々の栄養は唄三線だけでなく、
闘牛でもあったんですよ^^
牛と牛が戦う沖縄闘牛。勇ましい!



text:上間綾乃



上間綾乃オフィシャルサイト
http://uemaayano.com/




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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
芸能の宝庫 (石塚)
2009-08-11 21:00:05
舞天さんもうるま市(石川市)だったのですね!
うるま市、沖縄市、北谷町はエイサーも盛んだし、唄者も多いように思いますが、何か理由はありますか?
闘牛といえば、天願の近くの安慶名にも闘牛場がありましたよね(今はないのかな?)。綾乃さんも闘牛を見に行くことがあるのですか?
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