日々精進生活

日々、自己反省をしながら、思うことを綴る日記。

今日の霊訓

2006-06-11 23:42:10 | 霊訓
ここ数日、仕事がバタバタして時間が取れず日記を書けなかったなぁ・・・。
今日は気を取り直して、シルバーバーチの霊訓からの抜粋を^^


 --- 霊訓 3巻5章より 抜粋 ---

自己救済の道は日々の生活、行い、言動の中にしかないのに、身代わりの流血(キリストのはりつけ-贖罪)によってキリストへの信仰を告白した者だけが救われるということを、一般社会に一体どう説明できるというのでしょう。

 ----- 抜粋 終了 -----

これはキリスト教に対する話。
シルバーバーチが現れたのが「イギリス」というお国柄事情によるから、「キリスト」の話になっているんだろう。
もし、日本にこういう古代霊が現れていたら、釈迦とかの話になっていたのかなぁ?!

この話では、キリスト教で、罪を犯して祈れば救われる(天国にいける)と言われていることに対して言われている。
どんなに罪を犯しても、キリストに謝れば、祈れば罪が消えるということはあり得ない。
ただ、罪というカルマを作っても、あの世であるとか、来世であるとか、現世であるとか、いつか、どこかで罪を償うための機会を与えてもらえる。全ての人(魂)に対して、やり直す機会を与えてもらえる。
そういう意味からも、全ての人(魂)は、公正であり公平であるということになる。

自分が作った罪は、自分で償う。
自分が蒔いた種は、自分で刈り取る。
自分が作った罪(蒔いた種)は、誰か他の人が償って(刈り取って)くれることはない。
それが宇宙の法則なのに、キリストに祈れば許してもらえるという教義を作り、それを人々に信じさせ、信仰させているということを、どう説明するのか。
そういうことが言いたいのだろう・・・。

信仰の自由があるので、どんな宗教を信仰していても、誰も咎めることはできないし、咎めてはいけないと思う。
実際、何が正しくて何が間違っているかを判断するかは、極めて難しいことだと思う。
自分の直感?!で、自分と合うものを信じるだけになってくるんだろうから。

「因果応報」「原因と結果の法則」「因果律」等々、呼び方はいろいろ違うけれど、言われていることは同じ。
それから、宗教を信仰している人でも、していない人でも、人間関係で大事なことは「人を思いやる心(愛)」であると思っているんではないだろうか。

信じているものが違っても、誰であっても、究極のところは同じことを思っているのではないだろうか。
そして、同じものを思っているのなら、何を信じていても、信じていなくても、それで良いのではないか。

私は、そう思う。



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2 コメント

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キリスト (God Father)
2006-06-12 12:12:25
今の話題からキリストと言えばやっぱりダ・ビンチ・コードですよね。

絶対に見たいです。

私も昔、ちょっとだけ聖書を読んでいたんですが、別に共感したとか、キリスト教徒であるとか、今からなるとか・・・・何もないのですが、実際日本で昔から使われているコトワザやイイツタエに通づることが、結構あるんだなぁと思いました。
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ダ・ビンチ・コード!! (みーじゅ)
2006-06-12 13:11:12
>God Fatherさん



本当だぁ~!今、キリストと言えばダ・ビンチ・コードですね!!!

私は、テレビで放送されるのを待ちます(笑)。

あ、God Fatherさんは映画好きでしたよね!!

観に行った時には、ぜひ、感想を教えてくださいね~^^



聖書、そうですよね。良いことが書いてありますよね!

良いことは、何に書かれてあっても良いことなんでしょうね^^
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