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観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

「動物を見る」ということ

2014-08-22 07:30:53 | 14
3年 宮岡利佐子

 私は春夏秋冬それぞれの空気の匂いやその季節の雰囲気を体で感じるのが好きだ。自然が好きで、特に家の近くの田んぼと川、景色が綺麗な広場が私のお気に入りスポットである。そこには、カモやカエル、コイ、スズメ、ハトなどのどこでも見られる動物はよく見るが、森の中に住むようなシカやサル、カモシカなどの野生動物はほとんど見たことがなかった。しかし、野生動物学研究室に入ってから山に行くことが多くなり、青々とした森林の中で風を感じたり、鳥やセミの声を目を閉じて聞いてみたり、さらに野生動物も見るなど、これまでは体験しないことを体験できるようになった。その意味で、とても幸せな環境に足を踏み入れたなと感じている。
 8月の最初に野生動物学実習として神津牧場へ行ってシカのライトセンサスをした際に、多くのシカと3頭のイノシシの子どもを見ることができた。丘の向こう側にいたシカは遠くからしばらくこちらをじっと見つめると、左右に分かれて、片方は奥の森に逃げていき、もう片方は勢いよく走り、力強くフェンスを跳び超えていった。私はその光景を見つめながら、「こんなに高いフェンスをみんな跳べるのだな…さすが野生だな。」と感動していた。ところが、最後の1頭だけはタイミングを逃したのか踏み切れず、慌てて引き換えし奥の森へと消えていった。その姿はとても可愛いらしく、野生動物でもやはりそういう時もあるのだなと、なんだか微笑ましかった。
 また、イノシシはまだとても小さく、体には縞模様もあった。このイノシシたちは、ライトを照らされた瞬間何が起きたのか分からないといった様子で一瞬固まり、状況が分かると慌てて逃げていった。その行動は子供らしくとても可愛かった。こんなに一瞬の時間でも野生動物の色々な行動を見られたのだから、動物の行動を研究している方々は、きっとさまざまな状況に出くわすのであろう。
 私はこの研究室に入室する前まで、「動物を見る」ということは、このように実際に自分の目で見て行動や体の形や色など、動物そのものを見ることだと思っていた。しかし、今私が研究しているホンドテンの食性調査は、実際にテンを見ることはなかなかできないが、糞を採集し、それを分析することで、間接的にテンのことを知ることができる。どういう所で糞をするのか、どういう物を食べているのかなどを見たり考えたりすることも、間接的ではあるが「動物を見る」ということなのだと思うようになった。そのように「見る」ことは、直接見ることからはわからない、テンの生活の内容に踏み込むこともできることがわかった。
 私はこの研究室に入室し、動物を見るというのは、直接見るだけではなく、調べることでも動物の生活を垣間見ることができるのだということがわかってきた。そのことで自然を見る視野が少し広がったと感じている。

モンゴル草原での出会い

2014-08-22 07:20:39 | 14
今日は8月21日、それはわずか数日前の16日のことだったのに、本当にあったのだろうかと思うようななんとも不思議なことだった。
 私たちはモンゴル中央部のモゴッド県というところで調査を終えて、その中心地であるモゴットの町に着いた。小さな町で、お昼時だったので、食堂に入ることにした。ところがひとつしかない食堂があいていないということだった。それでは、草原にいってインスタントラーメンでも作ろうかということになり、移動をしようとしていたら、モンゴルの運転手さんがなにやら説明を始めた。それによると、この人が昼ご飯を用意するからよかったらうちに来ないかといっているという。いかにもモンゴルの牧民という感じの、がっちりした人のよさそうな人だった。少しためらいはあったが、ここはおことばに甘えてごちそうになろうということになった。恥ずかしいことだが、私の中には「これはある程度食事代を請求されるかもしれない」という気持ちが少しあったが、いろいろな話を聞けるチャンスだから、それもいいだろうという考えがあった。
 すぐそこだということだったが、行けども行けども着きそうもない。草原の両側に丘があり、そのあいだを進むのだが、「あの丘を越えたらゲルがあるのだろう」と思いながら前を行くその人の車はどんどん進むばかりだ。30分ほど経って、私はこれ以上進むのだったら、断って自分たちで作ったほうがよいだろうと思った。私の運転手にそれを伝えると、クラクションをならした。しかし前の車はそのまま走る。運転手はスピードをあげて、追いつく。そしてあとどのくらいかと聞いたら「もう少しだ」とおなじ返事だ。「もういいや、ここはモンゴルなのだ、今日は仕事ができなくてもしかたないな」と思っていたら、ようやく車が左に曲がった。やっと着いたのかと思ったが、そこから枝谷に入ってまた10分ほど走ったところにようやくその人のゲルがあった。
 私たちはゲルに案内された。十代の少年二人と、奥さん、少女が二人いた。まず薄いミルクのお茶をふるまわれ、硬い乳菓を出された。これはモンゴルで必ずおこなわれることだ。主人は「嗅ぎタバコ」の瓶を出し、ふるまう。客人はそれを嗅ぎ、主人に戻す。これもモンゴルの伝統的習慣だ。私も嗅いだが、心の落ち着くよい匂いだった。
 彼は戸外で大きな鍋にお湯をわかし、ヒツジの肉を入れて煮始めた。一時間くらいかけただろうか。その間、少年たちは若い馬を馴らすためだろう、二人で馬ででかけた。お兄ちゃんが弟に教えているようだった。小学5年生くらいのお姉ちゃんは料理を手伝う。小学1年生くらいの妹は一人で遊んでいた。首を上下に動かしていたが、これはウマがそうするのを真似ているつもりのようだった。広い草原を歩くこの子を見て、マンションで育つ日本の子供のことを思った。



 主人は額に汗をかきながら、鍋をかき混ぜる。ときどき味見をし、首をかしげえながら、塩を追加したりする。同行の日本の研究者はモンゴル語ができるので、いろいろ話をしていた。明日から近くの町にでかけるというので、馬のことはどうするのと聞いたら、彼は空を見上げて、にこりと笑いながら言った。
「お天道様が見てくれるよ」
この土地に生きて、自然を全面的に信じて生きているという自信と迷いのなさがあった。
 そこに奥さんが現れた。ゲルの中でトントンとよいリズムの音がしていたが、麺を切っていたらしい。それを鍋に入れるのを見ながら、主人が言った。ことばはわからなかったが、身振りや表情で何を言っているか、私にもわかった。
 俺たちはこんな小さなときからの幼な友達で、大きくなって俺がこの人を好きになって結婚したんだ、と。奥さんは健康そのものという感じで真っ赤な頬をした美人さんだった。この人のよさそうなおじさんが恋に落ちて求婚したようすが想像できた。奥さんは穏やかに微笑んでいた。
 やがてうどんができた。そのおいしかったこと。ダシはたっぷりだが、あっさりしていて実においしい。思わずお代わりをしてしまった。別の研究者でいろいろなことに気の廻る人が代金を訊いたところ、とんでもないと断られたそうだ。私たちは各自の荷物からせめてもと日本のお菓子とかお茶とかを探し出してお礼にした。私は、見ず知らずの人が、「うちで昼食を」とさそってくれたことに、それがただの善意から出たものだと思わなかった自分を恥じた。
 日本に帰り、あの乾いたモンゴルの空気からべっとりと汗の出る日本の空気に包まれ、たまった雑用を片付けながら、「あれは本当に数日前にあったことなのだろうか」「あれは夢だったのではないか」というような気持ちがある。


少し変わった「実習」

2014-07-24 23:35:47 | 14
教授 高槻

 実習はよくやるが、今回は少し変わった実習をした。というのは、対象となったのが学生ではなく高校の先生だったからだ。ことの起こりは、研究室の卒業生の奥津憲人さんが連絡をくれたことで、いま高校生物の教科書が変わって、生態学が重視されるようになったが、観念的な内容が多くて実感として教えるのがむずかしいし、自分たちも実感をもちにくいという声があり、そのために研究室で以前おこなったフクロウのペリット分析をできないかという問い合わせだった。材料の入手が問題になると思ったが、実はアメリカでフクロウのペリットが教材として販売されており、日本でも入手可能だということだった。それを東京都の高校の生物の先生方で研修したいということだった。
 引き受ける前に現物を見ておく必要があったので、送ってもらって分析をしてみたら、ネズミの骨が入っており、実習にはなると判断できたので、お引き受けする返事をした。事前に代表格の山藤先生が奥津さんといっしょにあいさつに来られ、自分はミクロ生物をしてきたが、私のジュニア新書を読んで、「リンク」の考え方はわかりやすく、重要なので教科書にある生態系や遷移の概念的な話より実感があってよいと感じたという話をされた。
 当日は10人の先生方が参加され、はじめに私がスライドを使って、分析をする上で知ってもらいたい、ネズミの骨などの解説をした。話していても先生がたの熱意を感じた。研究室にある羽根つきのフクロウの骨格標本はこういうときにとても威力を発揮する。皆さん、撮影したり、標本を眺めたりしておられた。
 実習を始めると、とても熱心に分析をされ、周りの人のペリットから珍しいものが出ると見に行ってあれこれ議論が始まった。最後に、全体を通じて出て来た顎を一堂に並べたら、少なくとも6種の齧歯類のものがあって、みんなでよろこんだ。
 結局、時間がやや足りない人、ひと通り分析が終わった人などあったが、ひとまず実習は打ち切りにして、私はもう一度スライドを使い、まとめも含めて、この実習の背後にあることを解説した。八ヶ岳での分析例では牧場と巣箱の距離がネズミの内容に影響し、伐採によって森林が失われるとハタネズミが増え、それがフクロウの食性を変化させていることを紹介した。この実習を高校生にしたときに、ある高校生が書いた文章を紹介した。これは自然開発とその影響の波及効果を考えるよい材料である。そして森林伐採が、立場を違えると、いちがいに悪いばかりではない、たとえば森林生のネズミにとってはマイナスだが、草原生のネズミにとってはプラスでもあり、フクロウはそのネズミの変化に応じて食性をかえている。そういう意味で、ものごとを多面的に考える上でもよい教材であることを話した。
 最後に、せっかくだから、議論をしようということになった。先生方からひとりひとり発言があったが、それぞれが興味深く、また生徒にどう伝えればようかを考えての発言だった。現実の問題としては生徒が300人あるいはそれ以上もいるので、経費的にも内容的にも全体に対してはむずかしく、生物部などに限定せざるをえないだろうということだった。話があちこちに散ったが、それだけ奥行きがあるテーマだったということであろう。
 最後に発言を求められたので、次のようなことを話した。まず、この材料はホンモノであり、だから予想しないことや、おもしろいことがあることを話した。実際、日本のリスよりもさらに大きな下顎骨が出て来たし、食虫目の顎もでた。そのこと自体がたいへん印象に残るということ、また読み手の力量によって読み取りの深さも決まることを話した。
 もうひとつは、たしかに高校の生物の教科書にのっている生態学の項目はおもしろくなく、試験としては「暗記もの」に陥りがちである。それを、こういう実習をすることで、生態学のおもしろさを伝えることができる。その内容としては骨の形態学的なおもしろさもあるだろうし、生態系の生き物のつながりということもあるだろうし、頂点捕食者の役割という展開もできるであろう。こういう実習をすれば、ただの作業をこなして、実習を終えたと受け取る生徒もいれば、背後にある生態学的な現象に思いを馳せる生徒もいるであろう。そこにうまく導く工夫が必要であろうという話をした。
 それを受けてフリートークの時間をもつことにした。一人一人から、現場での問題点や、今回の実習の意義、その実用、あるいは生態学について日頃思うことなどについて、積極的な発言があった。その中では「環境問題」が論じられた。しかし、それは人間にとっての環境汚染などが主体であった。私は、人間の環境問題はこの実習と関係ないし、さらにいえば生態学そのものもそこには直接向かっていないと発言した。生態学は生物と環境の関係を解明する学問ではあるが、その核心部は生き物の暮らしを知るおもしろさにあり、形態学や食性などは動物が生きていることの妙味をよく反映している。その動植物の生き方を知れば、自然にレスペクトが生まれる。それこそが生態学の中心にあるのであって、環境に関係するからといって人間の生活環境の汚染やエネルギー問題にまで拡大したら、それは生態学からむしろ離れてしまう。少なくともこういう実習とは関係しない。にもかかわらずそのことを一般化して生徒に「だから環境問題をよく考えなさい」といっても生徒には伝わらないし、できる生徒は「先生、関係ないことを話している」と見抜くであろう。重要なのは実習で実際に見たことで何がわかるかの範囲を明確化し、判ったことを説明し、わからないことには言及しないことである。これはしばしば忘れられがちであり、「広げすぎない」ことは思考を深化する上で欠かせないことである。にもかかわらず、しばしば「拡散」しがちである。
 先生方はちょうど期末試験の最中であったため、採点のため帰宅しなくてはならない人が多かったのは残念だったが、手応えを感じる実習であり、こういう熱心な先生に指導された生徒の中には生態学に興味をもつ人も生まれるに違いないと感じた。

牧場でみたシカとウシ

2014-07-23 23:25:36 | 14
4年 鷲田 茜

 私は3年生のときから群馬県にある神津牧場でシカの調査を行っており、4年生になってからは、草地にシカが出没する時間や頭数を見るため、夕方からテントの中に入って直接観察をしている。テントに籠り、双眼鏡で目を凝らしながら見ていると、シカが姿を現した。夕方の早い時間だと警戒してか、草地でもすぐ逃げることのできるよう林から近いところにいるが、時間が経つにつれて徐々に数が増えていき、群れで移動してくるようになった。また、牧場では草地を有刺鉄線柵が囲んでいるが、シカはそれを何も問題がないようにするりとくぐっていた。
 遠くにいたはずがどんどん近づいてくる上に、数が多くなっていくシカに、私は感動というよりも驚きと怖さを感じていた。私がテントの中からシカを観察していると、今度はウシが興味津々のようすでテント周辺に集まってきた。私がテントの中で少し動くだけでウシは怖がってしまい、すぐに離れて行ってしまった。
 草地でシカとウシを観察していると、おかしなことにウシよりもシカの方が多いことに気がついた。ウシがのんびりと牧草を食べている近くで、シカも自分の居場所といわんばかりに横になって牧草を食べていた。2時間ほど観察していると、シカはいよいよウシが放牧された草地に侵入してきた。やがて我が物顔に牧草を食べているシカにウシが近づいて行った。ウシが近づいたとき、何が起きるだろうと私は興味をもって観察を続けた。最初は、ウシはただシカに興味があって近づいたのかと思ったが、近づいて行ってもシカが逃げないので、ウシは走って追っ払った。ウシはのんびりとおだやかな印象なので、まさかシカを追い払うような行動をするとは思っていなかった。ウシがどのような思いでシカにそのような行動をしたかは分からないが、シカに自分たちの餌である牧草を食べられて怒ったのかもしれない。ウシに追われたシカは、有刺鉄線柵をピョンっと軽やかにジャンプをして、ウシのいる草地から出て行ったが、行った先の草地ではまた何事もなかったように居座っていた。シカにとってはウシに少し怒られた程度でなんとも思っていないようだ。
 牧場の草地はもちろんウシのためのものである。私はそこにシカが侵入することの意味を考えているが、冬になればウシの夜の放牧はなくなる。そうすると、シカが放牧されているかのような状態になる。草地に侵入するシカにどう向き合えばよいのか、こうした行動観察も何かの役に立てばよいと思う。



ひっつき虫

2014-07-23 22:00:19 | 14
3年 富永晋也
「ひっつき虫」といえば、野原や森林などで遊んだ後に、ズボンにたくさんくっついていて、びっくりしたり、オナモミを自分や友達の服にくっつけて遊んだ経験は誰しもあると思います。私も小さいころに服にくっつくのが不思議で、ひっつき虫を集めたりもしていましたが、成長するうちにそのような気持ちも薄れ、気に留めることもなくなっていました。しかし、研究室に入って、種子散布のことを勉強して、この小さな果実がじつはとんでもないことをしているのではないかと思うようになりました。
 ひっつき虫は種子散布の中の動物散布にあたりますが、ベリーのように、食べてもらうことで種子を運んでもらうわけではありません。ベリーのようなのは動物に食べられるので、体内散布とよばれますが、ひっつき虫は体外散布とよばれ、かぎ状の毛やねばねばした粘液をつかってくっつくだけなので、動物側にとっては何のメリットもありません。くっつく仕組みは巧妙で、種の拡大写真を撮った時には、その鍵のつくりの精密さに驚かされました。クルマムグラとヤエムグラは肉眼ではあまりよくわからないのですが、拡大すると透明なかぎがたくさんついていました。ヤブニンジンは、採集したときズボンについてなかなかとれなくてたいへんだったのですが、拡大してみるとしっかりとした返しがついており、納得できました。


クルマムグラ


ヤマムグラ


ヤブニンジン

 こういう仕組みは長い年月をかけて植物があみだしたものであり進化の神秘を見せつけられたような気がしました。外国には直径15センチもある、鋭い角上の大きなとげをもっていて、動物の足にひっかかり、時には突き刺さって運ばれる「ライオン殺し」と呼ばれているものもあるそうです。こんな物騒なものまで進化の過程で生み出してしまう植物は、動けないぶん工夫を凝らしている「策士」なのだなと思いました。
 たいして気にも留めていなかったひっつき虫ですが、いまでは植物が種子をひろげるために、こんなにも巧妙な構造を発達させたことにとても興味をもつようになりました。これからこの策士のことを調べ、なにか発見をしたいと思います。