香取市大根に(今まで茨城県だとだと思ってた!)に切手神社という神社がありますが、以前は大根神社といったそうです。
あっ、郵便に係る神社ではありません(^^;;)で、数千人とも1万数千人とも言われる出雲を本貫とする人たちが舌を切られたり、腕を落とされたり、殺されたりした場所で、その人々の鎮魂のために建てられた神社と聞いています。
藤原としえ著「抹殺された古代出雲王朝」に触れられていますが、崇神天皇の時代と書かれた同書は少し違うような気がします。
僕の聞いた?理解している話では、かなり時代が下り、蝦夷征伐の時、日高見国を建てた出雲を本貫と意識するまつろわぬ人たちが、彼らの持つ能力故に狩り集められてそういう受難に遭ったということ。
以前、会津に行ったとき、三島神社があり驚きましたが、蝦夷征討軍と戦った出雲を支え続けた三島一族ゆかりの神社と聞きましたが同様の流れ?
悲劇の歴史・熊襲と隼人話がかなり横道でしたが、先日来、出雲とのかかわりは?が気になり、熊襲と隼人に係る資料を何冊か読んでいます。
昨夜、古い本ですが井上辰雄著「熊襲と隼人」(1978年)を読み終えました。
時の権力に何度も何度も反乱を企て潰されてきた彼らの歴史、不毛に近いようなシラス台地に根を下ろして生きていた彼らにとって、力によって支配され、律令制を押し付けられた彼らの苦しみはいかばかりだったろうと思います。
それは、やませなどの影響で凶作を余儀なくされていた蝦夷と名付けられた人たちも似たような状況にあったように思います。
それが、力によって抑え込まれ、隼人にあっては都近辺に移譲させられたり、残った人たちは数百人単位で朝貢させられ、数年間都に留め置かれたという。
都に召された人たちは、宮城の門衛や古墳の衛やさまざまな儀式に駆り出され、吠声(はいせい)させられ、屈服した時の様・隼人舞を供したという。
それは、彼らの呪詛力故とも言われるが、都では犬のように扱われ、故地では働き手を奪われ残された家族は窮状に瀕していた。
最貧の弱者には官による手当はあったようですが、、、
こういう様子を読みながら、今の教育制度や政治の姿がオーバーラップして。
自民党はじめ政治家・官僚による手前勝手な論理って、凄惨な権力闘争を繰り広げていたヤマト政権と何ら変わってないじゃん、、、
いつも、当事者の都合は後回し(涙
わぁ~、しまった!
天気予報を見て洗濯やめたのに、このお天気✨☼
恨めしそうな顔(たぶん)をして外出したら雨(@@ ちょぴり複雑。
そんな今日は、風が強く、落ち葉が駆けっこしたり、夾竹桃が風に揺られて激しいダンス。
ということで、予想通り魚屋さんにはこれといった魚が見当たらず、甘エビの半端を買って帰りました。
今夜は甘エビのお刺身、と言ってもほんの数匹(^^;;帰りにスーパーで買い物、もう少し待つと出てくるんだけどなあと思いながら、オイル漬けにしようと思ってフキノトウを購入。
帰っていつものところを見てみると、枯れ葉に半分隠れてフキノトウが開きかけ。
よく観察するとあと数個、やっぱり予想通りだった(^^;;
きっと品種によるんでしょうね、新庄の駐車場などでは10日ほど前にたくさん開いていたのに、、、
ふ~~っ!やっと一段落かな?
2日に産婆さん一家を送り出し、午後から味噌づくりの準備と仕込み。
3日は公民館での味噌づくり。
昨日は、潜象道塾(カタカムナ)勉強会、新たな目から鱗もてんこ盛り。
恒例の交流会も大盛り上がって、終には瓢箪から駒のように凄いプログラムも生まれたような?
そんな余韻を引きずった朝、講師の芳賀さんを送り出し、すぐに、先日に続いて2回目、自家消費用のお味噌作り。
麹の量が予定より少なかったけど、20キロ余りのお味噌を仕込め、一昨日のお味噌と併せて30キロ強。
自家消費用を40キロほど仕込むつもりだったので、少し足りませんが、、、
でも、昨年仕込んだものがたくさんあるから、十二分ではあります(*^^*)
今日はカムの宿の納屋での作業でしたが、一昨日は本庄公民館に20人余りが集まり、大賑わいの味噌づくり。
全部で100キロ余りのお味噌づくり、子どもたちもたくさん来てくれて生きのいい常在菌をたっぷり混ぜてくれたので、さぞや美味しいお味噌になることでしょう。
そうそう、ミンサーから出てくるお味噌、モンブランを連想した方が何人か。
栗でモンブランケーキ作り、何て話で盛り上がっていたようですが、本気?