見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

まつろわぬ人々

2024-03-09 15:09:06 | 古代のこと

香取市大根に(今まで茨城県だとだと思ってた!)に切手神社という神社がありますが、以前は大根神社といったそうです。
あっ、郵便に係る神社ではありません(^^;;)で、数千人とも1万数千人とも言われる出雲を本貫とする人たちが舌を切られたり、腕を落とされたり、殺されたりした場所で、その人々の鎮魂のために建てられた神社と聞いています。

藤原としえ著「抹殺された古代出雲王朝」に触れられていますが、崇神天皇の時代と書かれた同書は少し違うような気がします。
僕の聞いた?理解している話では、かなり時代が下り、蝦夷征伐の時、日高見国を建てた出雲を本貫と意識するまつろわぬ人たちが、彼らの持つ能力故に狩り集められてそういう受難に遭ったということ。
以前、会津に行ったとき、三島神社があり驚きましたが、蝦夷征討軍と戦った出雲を支え続けた三島一族ゆかりの神社と聞きましたが同様の流れ?

悲劇の歴史・熊襲と隼人
話がかなり横道でしたが、先日来、出雲とのかかわりは?が気になり、熊襲と隼人に係る資料を何冊か読んでいます。
昨夜、古い本ですが井上辰雄著「熊襲と隼人」(1978年)を読み終えました。

時の権力に何度も何度も反乱を企て潰されてきた彼らの歴史、不毛に近いようなシラス台地に根を下ろして生きていた彼らにとって、力によって支配され、律令制を押し付けられた彼らの苦しみはいかばかりだったろうと思います。
それは、やませなどの影響で凶作を余儀なくされていた蝦夷と名付けられた人たちも似たような状況にあったように思います。

それが、力によって抑え込まれ、隼人にあっては都近辺に移譲させられたり、残った人たちは数百人単位で朝貢させられ、数年間都に留め置かれたという。

都に召された人たちは、宮城の門衛や古墳の衛やさまざまな儀式に駆り出され、吠声(はいせい)させられ、屈服した時の様・隼人舞を供したという。
それは、彼らの呪詛力故とも言われるが、都では犬のように扱われ、故地では働き手を奪われ残された家族は窮状に瀕していた。
最貧の弱者には官による手当はあったようですが、、、

こういう様子を読みながら、今の教育制度や政治の姿がオーバーラップして。
自民党はじめ政治家・官僚による手前勝手な論理って、凄惨な権力闘争を繰り広げていたヤマト政権と何ら変わってないじゃん、、、
いつも、当事者の都合は後回し(涙

コメント
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