書道のお稽古、臨書と言いつつお手本に少しづつ修正を加えながら筆を運ぶ、、、
書は気持ちがそのまま表れるから勢いも必要だし、手本とする王義之の思いというものをそこに表す、という努力のようなものがあるべきだろうということかなあ。
それと、お手本に忠実に書こうと思うと、自ずとそれにあった筆遣いが必要とされる。
それは、書聖・王義之の思いや技法をそのまま自分の書のベースとして定着化させることですから、自分の創造性を多様に花開かせることができる、ということ?
10年後になるか、20年後になるかは別として。
まあ、そんな大層なことは求めていないけど、書の中で、自分の創造性が思うままに展開できたとしたら、とても素敵だろうなあ(*^^*)
重ねる齢を楽しむ、そこに幾重にも華を開いていくものがある、そんな原動力になると最高かもしれません。
身を任せられる師のもとでの毎月のお稽古の日、本当に楽しみです。
清書提出に急き立てられるのは、ちょっぴり辛いけど(^^;;
書道のお稽古、臨書と言いつつお手本に少しづつ修正を加えながら筆を運ぶ、、、
書は気持ちがそのまま表れるから勢いも必要だし、手本とする王義之の思いというものをそこに表す、という努力のようなものがあるべきだろうということかなあ。
それと、お手本に忠実に書こうと思うと、自ずとそれにあった筆遣いが必要とされる。
それは、書聖・王義之の思いや技法をそのまま自分の書のベースとして定着化させることですから、自分の創造性を多様に花開かせることができる、ということ?
10年後になるか、20年後になるかは別として。
まあ、そんな大層なことは求めていないけど、書の中で、自分の創造性が思うままに展開できたとしたら、とても素敵だろうなあ(*^^*)
重ねる齢を楽しむ、そこに幾重にも華を開いていくものがある、そんな原動力になると最高かもしれません。
身を任せられる師のもとでの毎月のお稽古の日、本当に楽しみです。
清書提出に急き立てられるのは、ちょっぴり辛いけど(^^;;
新庄で一人で寝ているとちっとも暖かくならない(>< いつも川の字で寝ているワンコの恋しいこと。
というくらいに、昨夜から今朝にかけて冷え込みましたね。
あの雪から一転、寒かったものの雪景色がキラキラ輝くステキな朝、ずいぶん時間がたってからでしたが、大山の姿は一層優美でした。
そんな今日は“房仙会”のお稽古の日、今日から新しい仲間も加わりワクワクでしたが、房仙会らしい弟子を思う師の厳しい言葉に会場の空気も張り詰めました。
新しく加わったMIraさんも、ほ~~!とか思われたかもしれません。
さは言え、どこでも受けられそうにない先生の熱血指導と生徒たちを思う気概は十二分に伝わったんだろうと思えます。
“ぬるま湯”とも指摘される米子校、新しい方の加入もあって飛躍する時期かも。
折しも?今日は房仙先生の雪上揮毫も行われ、雪上揮毫って、雪の上に書いているんだよなあと思っていましたけれど、片隅には???
雪上というくらいですから、やはり雪の上、“愛”という字が喜び勇んで雪の庭を駆け回る、そんな感じだったかな?素晴らしいタイミングでの雪上揮毫だったかも。
今月の課題は“進影百重寒暑”、どんな意味なんでしょうね、時を刻みながら進む影は寒さ暑さを幾重にも重ねる、そんな感じでしょうか?
それはどうでもいいとして、前回のウ冠と今回のは書き方が違うけど、、、とか思って聞いてみましたが、先生も日々進歩の中にあり、様々な形を教えたいと。
王義之も、その時その時でシチュエーションは違うはずだから、そういうものを一つ一つ自分の意識にとどめおくことで一層面白くなる?
そんなことで整理しました。
この課題のお稽古、何回向き合えるのか、気を整えながらも楽しんでやっていこう!
昨夜は遅くまでおよばれ、30分近く千鳥足で帰り、半分寝ながらTVの前に陣取り、はっと気が付けば午前3時(^^;;
午後から書道のお稽古!と思って向かったものの、こういう時っていくら書いても筆がいつもに増して動かず、自分のイメージと程遠いお稽古になるものです。
だましだまし、2時間近く向かって見ましたが、今日はあきらめて明日~~!
午前中は、やらなきゃやらなきゃと思っていた乾燥させたホーリーバジルのカット作業、以前はハサミでカットしていたものですが、今は裁断機。
と言っても、もちろん手作業ですから、部屋中ホーリーバジルの香り、癒されます。
何とか午前中に終わり、陣取っていた納屋の隅の倉庫もすっきりです。
書道のお稽古、倉庫もすっきり、ホーリーバジルのいい香りの中だったんですが、やっぱり!昨夜の所業をごまかすことはできませんでした。
今日は、書道のお稽古の日。
会場は米子の東光園で、僕は二日目の午後の二コマと決めています。
ということで、毎回、米子周辺での用事はこの際!今日は、藻塩の受け取りと水汲み、ホームセンターのはしごでチェーンソーの品定め、野大根採り。
房仙会の定例会は、所属する会の会誌に掲載された課題をお稽古するのですが、数多ある課題の中から書聖と言われる王義之の作品の臨書をお稽古しています。
今回は「山川撥煙霞而」が課題ですが、草書と行書が入り混じったような感じ。
師匠の房仙先生に手を取って貰えたりすることもあるんですが、そうきたか!という驚きの連続で、自分の意識はいかに教え込まれたものに依存しているのか良くわかります。
今の房仙会は“基本を学ぶ”のがお稽古のスタイルですから、他の書家の皆さんの行き方とは若干違うかもしれませんが、基本を学ぶ、そこにチャレンジすることで一番見えてくるのが“我”なのかもしれません。
自分が曲げたくない“我”を乗り越えることで初めて、王義之の書に迫れる!?
別に迫らなくても困らないけど、迫ろうとする中で“自分が作りあげている曲げたくない自分”を感じるってことが大切かも知れません、いるんですよね曲げたくない自分。
今日も和気あいあい、だけど火花が飛び散る中でお稽古が終わりました。
お稽古の帰り、夕焼けに染まる大山がとてもロマンチックでした。