お昼ごろ、急激に気温が下がりましたね。
竹ひごづくりに行ったおちらと村から帰ってきてしばらくすると、白い結晶が空から落ちてきました。
今夜、積もらなきゃいいのですが、、、そんな中で、夕飯の支度などをしながら、立花隆をしおりを入れているところから読み始め、最後の章に来て、あれっ!?読んだところだ!
なんとなく読んだ感じがしていたけど、寝る前の読書って半分夢うつつで活字だけ追っている、そんなことがありますよね、いや、自分だけ?
もう一度読み終わってみると、やはり、読み終わっていた(^^;;
それにしても、頭の構造が違うなあ、って心から思える人って結構いますよね。
彼の本、本棚にありますが今まで読んだことがなかった。
新書コーナーで目に留まった「東大生と語りつくした6時間 立花隆の最終講義」、彼は東大生に何を伝えたかったんだろうと思わず手に取りました。
いや、彼の博学ぶりと掘り下げ方って本当に舌を巻いてしまいます。
こんなに幅広いジャンルを深く、しかもわかりやすく語ることができるなんて!!
それって、興味を持ったらとにかく行動し、現場に行く、記者魂というのか、探究者というのか、そういうものに裏打ちされた揺るぎない自信から発せられるのかも。
もっと早く読んでいても、、、恐らく、いや、間違いなく変わってないだろうから、まあ、自分は自分らしくで行ったんだろうけど。
本の内容もですが、立花隆の人となりや生き方に触れることができてとても良かったなあ。
内田樹の教育論、学力論は、うんその通り!と心底頷かせるものがあります。
彼の著書「武道論」を読み終えようとしていますが、彼の武道論・教育論はシチェチニン先生の学校の考え方にとても近い。
公立でありながら、この様態の学校を存立させるロシアって凄い!と思ったものですが、このロシアの“シチェチニン先生の学校”の必修科目は武道と伝統舞踊で、まさに内田樹の考え方とオーバーラップするのです。
彼は「学ぶ力」についても書いていますが、学力とは学ぶ力であり、「学んで得た知識や情報量」のことではないと断じ、学校を覆いつくす「競争信仰」では学力は伸びない、劣化するだけだと。まさに!
また、白川静が孔子を評した本に、「思想は富貴の身分から生まれるものではない」とあるが、これは白川静がその実存をかけて書いた一行であるとしています。
「富貴」をもたらし、「享楽主義」や「現世利益」と相性がいいのは「どうでもいい才能」で、そんなものは「あっても、なくても、どうでもいい」と書き、、、
この世のシステムはいずれ崩壊する、今の「閉塞感漂う現代社会」の閉塞感は、システムが順調に機能しなくなりはじめている兆候であると。
社会が破局的な事態を迎えた後、瓦礫から「新しい社会」を再建するという面倒な仕事を引き受ける人たちは、今の学校教育の場ではあまり「パッとしない」のだろうと思う。~学校に行きたくない症候群って、そういう子どもたちかも。
「これを勉強すると良いことがある」的な利益誘導に反応せず、「グローバル人材育成」戦略にも乗らず、「英語ができる日本人」にもなりたがらず、遠い目をして物思いに耽っている。
それは、「どんなことがあっても、諦めてはいけないもの」を望見しているからである。きっとそうだと思うと。
ずいぶん端折って書いたけど、“いけずご王国”は、富貴な人を目指すのではなく、面倒な仕事が立ち現れた時に敢然と立ち向かう、そんな子どもたちの思いに寄り添い、支えるところでありたいものだと思っています。
もうすぐ93歳になる母の食欲が急激に衰え、ほとんど起きれなくなりました。
支えるリソースのストックが底をついた感じで、介護認定を受けて支える体制を作るまでしばらく入院することになりました。
ということで、きょう午前中は母の部屋の片づけと掃除、介護保険のお世話になって介護用のベッドを入れられるようにと準備しました。
それにしてもですが、ほぼ嫁さんに任せっぱなしでしたので、そうか、そういうことって必要だったんだ!と今更。
家で看取るって勝手に決め、嫁さんの同意も得てはいたけれど、、、
介護保険も何もなかった頃と今、何が違うのか?家族の覚悟???
シンガポールでは、福祉がほぼない中あの高層アパートで全部家族が支えていましたが、整うと脆弱になるって経済故?家族は楽になるけどね。
今、買い求めた本
そんな中になってしまいましたが、まさに今、買い求めた本。
一冊は、どう紐づけされたのか、ネット作業中に飛び込んできた売り込み、思わず反応して購入を押したルネッサンスVOL.7「『日本』とは何か『日本人』とは何か」。
日本人のルーツがとても気になっているこの頃、そこにドンピシャでしたから。
ただ、今まで読んだところでは、さて、、、
残りの3冊の新書、昨日購入しましたが、新聞で見てすぐ買おうと思ったのが内田樹と姜尚中の対談、「新世界秩序と日本の未来」、さて、何が見えるか?
先日、BSプレミアムで知った斎藤幸平、微妙な感じだったけどもう少し知りたいと本屋で見ると、新書売り上げNo.1!「人新世の『資本論』」、最後まで読ませるか?
もう一冊、母のことがあったので、手に取ってしまった上野先生の「在宅ひとり死のすすめ」、認知症でも大丈夫と帯、そんなこと可能?
相当前から周到な準備が必要じゃないかって、それができる人っていわゆる良くできた人じゃないかなあ?とすると、そう多くはないんじゃ?
すくなくとも相当いい加減な僕には無理かなあと、思いを馳せつつ手に取りました。
ただ、誤解なきよう、野垂れ死ぬ覚悟はしているつもり。
人が違うんだから当たり前!?基本的な考え方が違うなあというところはありますが、同世代だから?彼の考え方、見方には激しく同意するんですよ。何冊かの読みかけの本を脇に置き、内田樹の「生きづらさについて考える」を読んでいます。
いつから読み始めたのか、本棚には彼の著作が並んでいますが、一番共感を覚えているのは彼の教育論でしょうか。
この著作で改めてそうだろうと思ったのは「日本の学校教育はどうしてこれほど質が悪いのか?」ということ。
16年、米国の政治外交専門誌「Foreign Affairs Magazine」が最初に取り上げ、17年には英国の自然科学のジャーナル「Nature」が同趣旨の論文を掲げたと。
そこには、日本の大学の学術的発信力の低下を人口当たり論文数の減少、GDPに占める大学教育への支出(OECD内でほぼ常に最下位)、研究の国際的評価の低下などのデータに基づいて、日本の大学教育の過去30年の試みを「失敗」と断じたと。
そして、日本の大学に著しく欠けているものとして「批評的思考」「イノベーション」「グローバルマインド」を挙げているとか。
学校教育の目指す柱の一つ、グローバル人材の育成って何なんだろう?
学びたいことを学ぶ、身に付けたい技術を身につける
グローバル人材の育成は置くとして、彼は、これからの若者たちに勧めることはとりあえず一つとして、「学びたいことを学ぶ、身に付けたい技術を身につける」。
「やりたくはないけど、やると食えそうだから」という小賢しい算盤をはじかない。
それは、やりたいことをやっていると、人のパフォーマンスは最も高まる。生き延びるのが困難な時代になるから、生きる知恵と力を最大化しておかないと。
これ、今の学校教育も社会も最も苦手としているところじゃないかな?
同化圧力が極めて高いから、時代の行く末を皮膚感覚で感じている子どもたちが、不登校になるのは当たり前かも。
『天皇主義者』宣言
もうひとつ、「『天皇主義者』宣言について聞く」は一読の価値があるかな?
天皇制を功利的に活用する政権サイドと、旧弊な因襲は廃止すればいいという左翼・リベラルの二極的な見方ではなく、護憲の最後の砦が天皇陛下であるという見方を示した彼は、天皇制は「ツール」ではなく「リソース」だと。
出典は「福音と世界」2018年8月号。
ホーキング博士の晩年に師事し、薫陶を受けた最後の弟子高水裕一氏の「時間は逆戻りするのか」、あと数ページで他の本に乗り換えていましたが、昨夜やっと読了。
題名の結論はお読みいただくとして、“ホーキング博士の残したこの言葉が、私は大好きです”と最後に著者が記したのは、、、僕たちから見ると、余りにぶっ飛んでいて何でもあり!?と思わせ、深い闇に誘ってくれる量子力学の世界。
その世界で、余りにも大きな業績を残した“大天才”ホーキング博士が、このような言葉を残しているのは何とも嬉しい。
それは、ーーもし宇宙に愛するひとがいなければ、それはたいした宇宙ではないーー
著者は「私たちは自然を愛するために生まれ、自然は私たちに愛されるために存在しているのだと考えて見たら、なんだか素敵な気持ちになりなす」と書いています。
アナスタシアは、「愛のエネルギー」が最も大きくて人を変える力があると、8巻で述べていますが、通底していますね。
ホーキング博士のこの言葉、噛みしめてステキなステキな人生を歩んでいきたいものだと、、、
そう考えると、時間は逆戻りするか否か、そんなことは些末なことかもしれません。
あっ、ホーキング博士、ブラックホール理論などで結構馴染みがある?